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津堂遺跡
所在地:藤井寺市津堂4丁目
種類:集落跡
時代:古墳、古代、中世、近世
調査期間:令和5年8月から令和6年1月
主な遺構:古墳時代の掘立柱建物、竪穴建物、井戸等
主な遺物:土師器、須恵器、瓦、石器、木製品
津堂(つどう)遺跡は藤井寺市の北西一帯に所在し、羽曳野丘陵から北に向かってのびる段丘の北縁部に立地する古墳時代から中世にかけての集落遺跡です。昭和48(1973)年に府立藤井寺高校の建設に伴って初めて調査がなされ、弥生時代から平安時代にかけての遺構・遺物が出土したことから、遺跡として周知され現在に至ります。(図1)。
図1 津堂遺跡の位置
津堂遺跡の南東約1キロメートルには、世界遺産百舌鳥・古市古墳群を構成する前方後円墳の一つである「津堂城山古墳」が所在しています。
これまでに行われた調査のなかでも注目されているのは、平成27(2015)年に行われた物流倉庫の建設に伴う調査です。この調査では、古墳時代前期末から中期初頭(4世紀後葉)の大型建物2棟と祭祀遺構が発見されました。
さらに、大阪府文化財保護課が一般府道大阪羽曳野線の建設に伴い行った、令和3(2021)年の調査では、古墳時代前期末から中期初頭にかけて機能したと考えられる掘立柱建物7棟と敷地の北側を区画する柵列、土坑などがみつかっています。
写真1 調査区と津堂城山古墳(調査区北から)
今回調査の結果、上面にて近世の井戸や耕作地の溝跡、その下の面にて中世の耕作地の溝跡、さらにその下の面にて、古墳時代の建物や溝、井戸がみつかりました(写真2)。
写真2 調査区全景(北から)
調査区の中央でみつかった掘立柱建物1は、柱間が、3間×4間(約7メートル×9メートル)で、柱を据えるための堀方は大きいもので一辺約1メートルの方形をなしています。また、調査区の南西においてみつかった建物2は、柱間が1間×2間(約2メートル×4メートル)でした。
掘立柱建物の西側には南西から北東にのびる溝を検出しました。溝からは古墳時代前期末から中期初頭の土師器がみつかっています。令和3年度の調査でみつかった建物群と同時期のものであると考えています。さらに、この溝と建物1・2は主軸の傾きがほぼ同様であることから、同時期の遺構と考えています。
調査区南東においては、立板を用いた井戸や竪穴建物がみつかっています。出土遺物からそれぞれ、古墳時代前期末から中期初頭の遺構と考えています。
写真3 掘立柱建物1 柱跡断面
写真4 溝1 土師器出土状況
写真5 井戸 土師器壺出土状況
図2 調査区配置図(同時期の遺構のみピックアップ)
令和3年度調査区でみつかった建物群はいずれも倉庫と考えられている総柱建物でしたが、今回の調査でみつかった掘立柱建物は総柱建物ではありません。また、竪穴建物や井戸は、人々の居住に関係する遺構であり、溝より東側は居住区であったと想定することができます。今回の調査では、当地域の古墳時代の様相について、新たな知見を得ることができました。