ここから本文です。
東郷遺跡
所在地:八尾市荘内町
種類:集落跡
時代:古墳・奈良・平安・中世
調査期間:令和5年5月から令和5年12月
主な遺構:古墳時代の竪穴建物(たてあなたてもの)、掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)
主な遺物:土師器、須恵器、鉄製品
八尾市荘内町に所在する東郷遺跡(とうごういせき)は、旧大和川が形成した河内平野沖積地の中央部に立地する、弥生時代中期から鎌倉時代にかけての遺跡です。周辺には北に萱振遺跡(かやふりいせき、弥生時代から江戸時代)、南に成法寺遺跡(じょうほうじいせき、弥生時代から鎌倉時代)、西に久宝寺遺跡(きゅうほうじいせき、弥生時代から室町時代)、南東に小阪合遺跡(こざかいいせき、弥生時代から室町時代)が隣接しています。東郷遺跡では、大阪府教育委員会、八尾市教育委員会、公益財団法人八尾市文化財調査研究会により多くの調査が行われてきました。今回の調査区周辺の過去の調査では、弥生時代後期後半から古墳時代初頭(3世紀頃)にかけての溝、古墳時代中期(5世紀)の竪穴建物、中世から近世にかけての耕作溝や井戸などが見つかっています。
図1 調査地位置図
今回の発掘調査は、大阪府八尾警察署の建て替えに伴い実施しました。その結果、古墳時代前期を中心とする遺構および遺物が見つかりました。以下では、主に出土した遺構について解説します。
調査地の西側では古墳時代初頭の溝や土坑、古墳時代前期(4世紀)の土坑、古墳時代中期の柱穴や土坑、中世以降の耕作溝が見つかりました。
図2 調査地西側全景(北から)
図3 土器群A出土状況(南から)
図4 土器出土状況(北から)
中でも古墳時代前期の土坑からは、壺(つぼ)や甕(かめ)などの土器とともに、鉄製品が出土しました。当時の鉄は貴重品であり、古墳から出土することが多い一方で、集落域での出土例は多くありません。またほとんどの土器は据えられた状態で出土しているほか、直口壺(ちょっこうつぼ)を割り、口縁部を甕の上に乗せるなど、特殊な状態で出土しました。これらの土器の出土状況から、当時の人々はここで祭祀を行っていたのかもしれません。
図5 土器群B出土状況(南から)
土器群Aや土器群Bが設置されたのち、調査地は複数回の洪水などにより徐々に砂が堆積していきました。堆積した砂の上でピットや土坑を検出しています。遺構から出土した遺物や周辺の調査成果から、古墳時代中期から後期にかけて、調査地は洪水などの影響を受けることなく安定したと考えられます。
図6 土坑049須恵器(すえき)出土状況(南西から)
調査地の東側では古墳時代前期の掘立柱建物2棟、竪穴住居1棟、井戸、土坑、古墳時代中期の土坑、中世以降の耕作溝が見つかりました。
図7 調査地東側全景(北から)
掘立柱建物は、いずれも2間(けん)×1間の大きさです。建物の軸は北西-南東を向いています。建物01の規模は4.2m×3.2m、建物02の
規模は3.1m×2.7mです。規模や構造から、倉庫と考えられます。
図8 掘立柱建物01(南東から)
図9 掘立柱建物02(北東から)
竪穴建物は南北5.5m×東西5.6mの隅丸方形です。建物内には屋根を支えていた4つの柱穴があります。南辺には礫(れき)を敷き詰めた部分があります。また中心に炭が溜まっており、炉(ろ)の跡と考えられます。
図10 竪穴建物(南西から)
井戸の中には、上層と下層にそれぞれ壺や甕などの土器が置かれていました。上層と下層の土器の間には板材や腐食した植物が溜っていました。
図11 井戸上層土器出土状況(西から)
図12 井戸下層土器出土状況(西から)
土坑258の底からは甕が2個重なって出土しました。2個ともほとんど完形であることから、土坑内に意図的に設置していたと考えられます。
図13 土坑258内土器出土状況(南から)