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大町遺跡
- 遺跡:大町遺跡(おおまちいせき)
- 所在地:岸和田市大町
- 時代:縄文、弥生、古墳、平安、鎌倉、室町
- 調査期間:令和3年6月から7月
- 主な遺構:耕作面(水田跡、畠地跡)
- 主な遺物:弥生土器、須恵器、黒色土器、瓦器、瓦質土器、陶器、埴輪
大町遺跡の概要
大町遺跡は、JR阪和線「久米田駅」の東700メートルほどに位置する縄文時代から中世におよぶ遺跡です。府営岸和田大町住宅がほぼ遺跡の範囲です。
文化財保護課では住棟の建替えや整備の工事に伴って、平成15年度から発掘調査を行ってきました。今回の調査区を合わせると17地点にのぼります。
そのうちの多くの調査地点では、弥生時代の終わり頃から古墳時代初めにかけて(紀元2世紀から3世紀)の土器が多数出土しました。その時期の住居などは見つかっていませんが、大きな集落があったと予測しています。
また令和元年度の調査では、古墳時代中期中頃(紀元430年前後)の竪穴建物や掘立柱建物が見つかりました。竪穴建物はなんらかの作業場であった可能性が高いといえます。
図1 調査地点の位置
今回の発掘調査の成果
今回の発掘調査はいずれも30平方メートルほどの狭い調査地点3箇所に分かれています(21-1・2・3区)。いずれも団地内を縦断する天の川の脇に位置しています。
天の川は、奈良時代に行基が開いた久米田池から供給するための水路ですが、その前身は周辺地域の氾濫流路が最終的にまとまった旧河川と考えられます。そのため天の川両側の地形はもとの地表面が削られて、周辺よりも2メートル近く低くなっています。
こうした天の川脇の調査地区で、中世およびそれ以降の耕作層の重なりを検出しました。さらに、出土した遺物の中には10世紀代13世紀の土器類も含まれていることから、そうした時期の耕作層も付近に存在した可能性もあります。河川脇の低い土地まで開墾して耕作地にする、中世の土地利用のありかたが明らかになりました。
写真1 21-1区南壁堆積土状況
現状の地表面から下約2メートルまで、府営住宅造成時の盛土があり、その下に水田跡がいくつも重なっていました。出土した土器から、中世以降の耕作地だと考えられます。また部分的に土質が違う層も見られ、耕作をやめた水田の可能性があります。写真右端近くには畦の高まりが認められます。
写真2 21-2区稲株痕検出状況
21-2区では、15世紀の耕作土の上面で斑点状の痕跡を発見しました。稲の株がくちた跡と考えられ、水田層であることが確認できました。