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大町遺跡
- 遺跡:大町遺跡(おおまちいせき)
- 所在地:岸和田市大町
- 時代:弥生・古墳・平安・室町
- 調査期間:令和元年10月から令和2年2月まで
- 主な遺構:竪穴建物、掘立柱建物、溝、井戸、水田跡、畦
- 主な遺物:弥生土器(中期、後期)、布留式土器、須恵器、瓦器、陶器、磁器、石器
大町遺跡の概要
大町遺跡は、JR阪和線「久米田駅」の東700メートルほどに位置する縄文時代から中世にかけての遺跡です。府営岸和田大町住宅地がほぼ遺跡の範囲です。
文化財保護課では住棟の建替えや住宅内の整備事業などの工事に伴って、平成15年度から発掘調査を実施してきました。今回の調査を含め、14地点にのぼります。
これまでの発掘調査では、弥生時代終わりから古墳時代初め(紀元2世紀から3世紀)頃の土器が多数出土しました。その時期の住居跡などは見つかっていなかったのですが、大集落があったと推定されてきました。
今回の発掘調査の成果
今回の発掘調査は住宅内道路の整備工事に伴うもので、そのために「岸和田市立八木市民センター」(八木図書館併設)の西側の調査では、調査範囲の長さが100メートルにも及びました。その長い範囲の北半分で、これまでの調査成果にはなかった新しい、そして非常に重要な発見がありました。まとめると以下の3つになります。
- 第1は、竪穴建物4軒、掘立柱建物2棟を発見しました。
- 第2は、建物はいずれも古墳時代中期中頃(5世紀前半)に建てられたことがわかりました。
- 第3は、竪穴建物は規模が小さく、炉やカマドがないなど、住居としての要件を欠きます。
ところで、大町遺跡の西には田鶴羽(たづは)遺跡が隣接しています。そこでは5世紀後半から6世紀前葉にかけて築かれた方墳6基が群集していました。今回の調査地点から僅か50メートル先です。大町遺跡の建物群は古墳群と時期が近く、また日常的な住居とは考え難いことから、古墳群形成に関係があった可能性が浮上します。
竪穴建物の形状には2つのパターンがあります。写真1・2の建物はそのひとつで、1辺3.5メートルほどの方形プラン、四周の壁際床面を一段高める、その高まり部分に柱を建てる穴を巡らせる、という特徴があります。そのほかカマドがない点は4棟共通です。さらに写真1の建物では、対をなすような穴が床面に掘り込まれ、内側に粘土が貼られていました。物を貯えるための施設であったかも知れません。
写真2の建物で注目されるのは、作業台が作り付けされている点です。床面を掘り込んだ中に直方体の石を据え、隙間に粘土を詰めて固定していました。石の大きさは長さ・厚さともに20センチメートル、幅15センチメートルほどで、平らな上面には硬い道具で叩かれた傷がみられます。
ふたつ目の竪穴建物の形状パターンは、写真3のように、長辺4.5メートルほどの推定長方形プランで、建物の床面は掘り下げた地面のままである、壁に沿って直径の小さな柱が何本も立ち並ぶ、という特徴があります。炉やカマドがない点は共通しています。
写真1 方形プランの竪穴建物(左側の穴の中に土器が見えます) |
写真2 方形プランの竪穴建物(石製の作業台があります) |
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