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宮園遺跡
所在地:堺市中区宮園町
種類:集落跡
時代:縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世
調査期間:令和5年4月から令和5年7月
主な遺構:中世の粘土採掘土坑(ねんどさいくつどこう)、溝(みぞ)、古墳時代の土坑(どこう)
主な遺物:須恵器(すえき)、土師器(はじき)、瓦器(がき)、瓦質鉢(がしつはち)
堺市中区宮園町に所在する宮園遺跡(みやぞのいせき)は、縄文時代から中世にかけての遺跡です。本遺跡は泉北丘陵から北西方向に伸び、ゆるい傾斜地となっている泉北台地の中ほどに位置しています。平成22年度からの府営住宅の建て替え計画を受け、敷地内の調査を行い、新たに遺跡として周知しました。
今回の調査は平成28年度から行われている府営住宅の建て替え事業に伴い実施しました。以下では主に発見した遺構について調査区ごとに説明します。
宮園遺跡の調査区位置図
【1区】約13m×5m
中世の溝・土坑が見つかりました。
調査区の全面にある土坑は、深さが30cmから50cm程度で、ブロック状の土で埋め戻されていました。土坑からは14世紀から15世紀の碗、鉢、羽釜が見つかっています。これらの土坑は、粘土を採掘した痕跡と考えられます。
写真1 1区全景(南から撮影)
写真2 土坑の遺構断面(北から撮影)
【2区】約30m×7m
中世の溝・鋤溝(すきみぞ)群が見つかりました。鋤溝は東西方向に掘られています。これらの遺構の中からは13世紀頃の土器が見つかり、この頃耕作が行われていたことが伺えます。
写真3 2区全景(北東から撮影)
【3区】約53m×4m
古墳時代のピット・土坑が見つかりました。土坑からは、古墳時代の須恵器甕(すえきかめ)が見つかりました。
写真4 3区全景(東から撮影)
写真5 古墳時代の土坑 須恵器甕出土状況1
写真6 古墳時代の土坑 須恵器甕出土状況2
また中世の粘土採掘土坑も見つかりました。土層を観察すると、粘土を採掘したあと、埋め戻されている様子が分かります。土坑の深さは50cmから1m程度でした。その後整地され、現代に至るまで耕作が行われました。
写真7 中世の土坑の遺構断面(東から撮影)
【4区】約8m×5m
調査区のほとんどが住宅建設工事で破壊されていましたが、南側で中世の溝の一部が見つかりました。
写真8 4区全景(南から撮影)
今回の調査では、古墳時代から中世の遺構を検出しました。特に中世の粘土採掘土坑は、過去の宮園遺跡の調査でも見つかっています。また宮園遺跡の周辺では、東に位置する深井幡池遺跡(ふかいはたいけいせき)や、南に位置する平井遺跡(ひらいいせき)で、古墳時代から中世の土器窯(どきがま)が過去の調査で見つかっています。宮園遺跡では窯跡は見つかっておりませんが、土器を作るための粘土を採掘した場所であり、周辺で土器を作成していた可能性が考えられます。