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宮園遺跡
所在地:堺市中区宮園町
種類:集落跡
時代:縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世
調査期間:令和4年7月から令和4年11月
主な遺構:古代の粘土採掘土坑(ねんどさいくつどこう)、中世の粘土採掘土坑、溝(みぞ)
主な遺物:土師器(はじき)、瓦器(がき)、羽釜(はがま)、鉢(はち)、
堺市中区宮園町に所在する宮園遺跡(みやぞのいせき)は、縄文時代から中世にかけての遺跡です。本遺跡は泉北丘陵から北西方向に伸び、ゆるい傾斜地となっている泉北台地の中ほどに位置しています。
今回の調査は平成28年度から行われている府営住宅の建て替え事業に伴い実施しました。以下では主に出土した遺構について、調査区ごとに説明します。
図1 調査地位置図
1区
古代の粘土採掘土坑が多数見つかりました。大きさは30cmから1mを越えるものまで様々です。土坑は掘ったのちに埋め戻されているものとそのまま放置されているものの両方が存在します。これらの粘土採掘土坑の底面付近から古代の土師器甕(はじきかめ)が複数出土しました。土坑は中世の耕作土により覆われており、古代に粘土を採取したのち、しばらく経って中世に耕作地として整地を行った可能性があります。
図2 1区全景(北から)
図3 遺構断面確認あぜ(西から)
図4 土師器甕(かめ)出土状況(西から)
2区
中世の粘土採掘土坑が見つかりました。1区で検出した古代の粘土採掘坑と比較するとサイズは大きく、深くまで掘り込んでいます。埋土に地山の土がブロック状に混じっていることから、掘削後は余剰の土で埋め戻していることが分かります。瓦器椀がほぼ完形で出土しており、粘土を採掘していた時期は13世紀頃と考えられます。
図5 2区全景(北から)
図6 瓦器椀出土状況(北から)
3区
中世の粘土採掘土坑が見つかりました。2区と同様の規模であり、1区で検出した古代の粘土採掘土坑と比較すると規模が大きく、深くまで掘り込んでいます。3区の北側では土坑の掘り込み面が2面あることと、その間に耕作土と考えられる層が入っていることから、粘土採掘土坑を掘削したのち、埋め戻して耕作を行い、再び粘土採掘土坑を掘削している様子が復元できます。2回目の粘土採掘土坑は1回目よりも広く深く採掘を行っているようです。2区の粘土採掘土坑と同じく、埋土にブロック状の地山の土が混じっており、掘削後は余剰の土で埋め戻していることが分かります。粘土採掘土坑の中から瓦器椀や鉢が出土しています。土器の特徴から、粘土を採掘していた時期は14世紀から15世紀頃と考えられます。
図7 3区全景(北から)
図8 羽釜出土状況(東から)
図9 鉢出土状況(西から)
4区
調査区のほとんどが府営住宅の建築工事によりかく乱を受けていましたが、中世の溝が見つかりました。
図9 4区全景(北から)