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更新日:2024年5月22日

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学校に眠る遺跡(大阪府立能勢高等学校、暮坂古墳)

大阪府立能勢高等学校と暮坂古墳

大阪府立能勢高等学校は、昭和29年(1954)に第49番目の大阪府立の高等学校として創立されました。
そして農業科・普通科・家庭科が開設され、授業が開始されました。

昭和32年(1957)からは、学校の北側約1.2キロメートルにある山林を順次買収して、農場作りも始まりました。
平成16年(2004)に能勢高等学校から発行された『創立五十周年記念誌』には、生徒と教職員が共に広い山林を開拓し、長い苦労の末、栗園・ぶどう園・牧草畑などをつくり、立派な農場を完成させたことが紹介されています。

この農場には、12基の古墳から構成される「篠口暮坂古墳群(しのくちくれさかこふんぐん)」が存在しており、開墾作業中に多くの須恵器や土師器などの土器が採集されました。
これらの土器によって「篠口暮坂古墳群(しのくちくれさかこふんぐん)」は古墳時代後期(6世紀後半頃)に形成された古墳群とわかりました。

しかし、その全容については全く明らかにはなっていませんでした。

また、これらの土器は、現在も学校で大切に保管されています。

【図】くれさかこふんいちず
暮坂古墳位置図

【写真】のせこうこうにほかんされているしのくちくれさかこふんぐんから採集されたどき(大阪府立のせ高等学校所蔵)
「篠口暮坂古墳群(しのくちくれさかこふんぐん)」から採集された土器(大阪府立能勢高等学校所蔵)

学校を掘る

能勢高等学校の農場の北端に、暮坂古墳と呼ばれる古墳が一基保存されています。
大阪府教育委員会では、平成12年(2000)に、この暮坂古墳の部分的な発掘調査を実施しました。
その結果、暮坂古墳は直径17メートルの円墳で、墳丘(ふんきゅう)の高さは、2.4メートルから3.5メートル、主体部には南東に開口する両袖式の横穴式石室を有することが判明しました。
古墳の北端部分は、後世の里道(りどう)によってすでに壊れていましたが、完存している玄室の上には、天井石が良好な状態で残っていました。

横穴式石室(よこあなしきせきしつ)は全長8.2メートル、玄室の幅は2.5メートル、玄室の長さは3.8メートル、羨道の幅は1.2メートル、羨道の長さは4.4メートルの規模をもつことがわかりました。

暮坂古墳の調査によって、篠口暮坂古墳群(しのくちくれさかこふんぐん)内の様相の一端が明らかとなり、地域の歴史を解明する貴重な資料を得ることができたといえます。

発掘調査終了後、古墳は横穴式石室や墳丘(ふんきゅう)も含め、埋め戻されて現在も農場内に保存されています。

【写真】くれさかこふんのいち
〇で囲われたところに暮坂古墳があります。(南東から)
平成12(2000)年撮影

【写真】くれさかこふんのぜんけいと横穴式石室(東上空から)
暮坂古墳の全景と横穴式石室。(東上空から)
手前が羨道、奥が玄室。玄室の上には天井石がのっています。

【写真】よこあなしきせきしつのせんどうぶ
暮坂古墳横穴式石室の羨道部全景(南東から)

【写真】くれさかこふんよこあなしきせきしつのげんしつぶ
暮坂古墳横穴式石室の玄室部(北西から)

【写真】ちょうさふうけい
暮坂古墳調査風景(北東から)

用語説明

  • 横穴式石室:古墳の内部施設の一つで、一方の壁面に外部との出入口が設けられています。遺骸を安置する玄室と通路である羨道をもっています。
  • 両袖式:羨道が玄室の中央部からはじまるものが両袖式で、左右の一方に片寄るものが片袖式と呼ばれています。

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