ここから本文です。
久宝寺遺跡(きゅうほうじいせき)
- 遺跡:久宝寺遺跡(きゅうほうじいせき)
- 所在地:八尾市西久宝寺
- 種類:集落跡
- 時代:弥生、古墳、奈良、平安、中世
- 調査期間:平成30年11月1日から平成31年2月28日
- 主な遺構:平安時代の溝、古墳時代の土坑(どこう)、溝、水田など
- 主な遺物:須恵器(すえき)、土師器(はじき)、陶磁器(とうじき)、石器など
久宝寺遺跡は、弥生時代から中世におよぶ集落遺跡です。平成30年度に、久宝寺緑地の整備事業に伴って、調整池建設予定地などの発掘調査を行いました。
写真1 南から見た調査区
調査地を南側の高所から撮影したものです。写真は上が北で、左半分に遺構が重なり合っています。白線で示したものが遺構です。6基の丸い穴が古墳時代の土坑で、それを平安時代に掘られた溝が破壊しています。平安時代の溝は、南北方向にまっすぐ掘られており、大きさは幅2.5メートルで、長さ34メートルを確認しています。調査地の西側15メートルに位置する公衆トイレ部分の調査で、南北方向に建てられた平安時代の建物が数棟見つかっています。以上のことから、今回の溝は、平安時代の屋敷を方形に囲む壕(ほり)の一部と考えられます。
写真2 平安時代の溝上層の遺物出土状況
平安時代の溝の上層から、たくさんの遺物が見つかりました。写真は、溝の北部で土器が出ている様子です。黒色土器と土師器の小皿が主体で、緑釉陶器(りょくゆうとうき)・瓦・土錘(どすい)・砥石(といし)なども含まれています。おそらく土器は捨てられたもので、時代は土器の形から10世紀のものです。
写真3 平安時代の溝下層から出土した土馬
平安時代の溝の下層から、土馬(どば)が出てきた様子です。土馬は、土で作った手づくねの馬形で、右下が頭です。尻尾、脚、頭は折れていました。残存する尻尾から頭までの長さは9.0センチメートルです。何らかのお祭りを行ったと考えられます。
写真4 古墳時代中期の土坑57
古墳時代中・後期の土坑6基が見つかりました。土坑57は、古墳時代中期の土坑です。直径2.2メートルほどの丸い穴で、二段に掘られています。性格は不明ですが、須恵器や土師器が出土しました。
写真5 古墳時代前期の水田の畦
古墳時代中・後期の遺構面の1メートルほど下で、古墳時代前期の水田が見つかりました。写真は水田の大畦(あぜ)です。調査区の壁でわかるように、水田は大和川の洪水による厚く粗い砂によって覆われて、残っていました。
今回の調査によって、平安時代と古墳時代中・後期の集落遺跡が発見されました。また古墳時代前期には、水田として土地利用されたこともわかり、地域の歴史を明らかにしていく上で、重要な調査成果になりました。
久宝寺遺跡調査地位置図