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宮園遺跡
遺跡の概要
宮園遺跡(みやぞのいせき)
- 所在地:堺市中区宮園町
- 種類:集落跡
- 時代:奈良・平安・中世
- 調査期間:令和2年5月から令和3年3月
- 主な遺構:古代の掘立柱建物、土坑、中世の粘土採取土坑群
- 主な遺物:土師器(はじき)、瓦質土器(がしつどき)
宮園遺跡は堺市中区に所在し、泉北丘陵上の緩い傾斜地に立地しています(図1)。
これまでの調査から古代(奈良時代・平安時代)、中世(鎌倉時代・室町時代)を中心とする時期の遺跡と考えられています。
図1 宮園遺跡の位置
今回の発掘調査の成果
今回の発掘調査は、府営八田荘住宅の建替工事に伴って約3300平方メートルを対象として実施し(写真1)、埋没した自然流路及び谷地形、古代の掘立柱建物、土坑や中世の粘土採取土坑群を確認しました。
写真1 調査区全体写真
図2 宮園遺跡遺構平面図
古代の掘立柱建物(調査区5)
谷に挟まれた微高地上に、奈良時代後半ごろに建てられたと考えられる掘立柱建物を1棟検出しました(写真3)。桁行3間以上、梁間2間の規模で、直径15cm程の丸太状の柱を、一辺50cm程の方形の掘方を掘って据えています。平安時代初めごろに、建物としての機能を終え、柱を抜き取っていました。また、柱を抜き取った後を埋めた土の中から、縄文時代の石鏃を検出しており(写真4)、周囲に縄文時代の人々が暮らしていた可能性があります。
写真3 掘立柱建物検出状況(西から)
写真4 石鏃(縄文時代)検出状況
古代の土坑(調査区1、2)
埋没した谷地形に近く、低くなっているところを中心に古代の遺物を含む土坑が見つかりました。これらの土坑からは、奈良時代の終わりから平安時代初頭と考えられる甕が出土しました(写真5)。土坑は掘った後に、埋め戻されることなく徐々に埋まっていったものと考えられます。
写真5 土器(古代)出土状況(調査区1)
中世の粘土採取土坑群(調査区1・2・3)
埋没した谷地形より高くなったところでは、多数の土坑が見つかりました(図2・写真2・6)。これらの土坑は下層の砂質層までで掘るのをやめていることや、粘土に多く砂が含まれる箇所ではその数が希薄になることから、粘土の採取を目的としたものと考えられます。土坑の一部からは、羽釜や擂鉢といった瓦質土器が完形に近いような状態で出土しており(写真7)、遺物の年代から室町時代に掘られたものと考えられます。今回の調査では、これまでの調査の中でも最も多く粘土採取土坑が検出され、深さも最大で70cmを超える箇所もあり、徹底的に粘土が採取された箇所であることが伺えます。
写真6 中世の粘土採取土坑群(調査区2)
写真7 土器(中世)出土状況(調査区2)