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上垣内遺跡(かみがいといせき)
- 所在地:寝屋川市高倉二丁目
- 種類:集落跡
- 時代:古墳・奈良・平安・中世
- 調査期間:平成31年1月から3月まで
- 主な遺構:古墳時代の溝、室町時代の井戸や堀状遺構など
- 主な遺物:土師器(はじき)、須恵器(すえき)、埴輪(はにわ)、瓦質土器(がしつどき)など
上垣内遺跡は、東西約650メートル、南北約300メートルの範囲に拡がる遺跡で、生駒山地から派生する太秦丘陵(うずまさきゅうりょう)の南斜面に立地しています(図1)。
この丘陵には、古墳時代前期(4世紀)に造られた忍岡(しのぶがおか)古墳、古墳時代中期(5世紀)に造られた太秦高塚(うずまさたかつか)古墳、石宝殿(いしのほうでん)古墳(7世紀)など各時期の著名な古墳が存在し、また小規模な古墳からなる古墳群も点在しています(図2)。
図1 上垣内遺跡の位置(左図)・図2 上垣内遺跡周辺の地形と遺跡(右図)
(国土地理院作成の基盤地図情報をもとに作成。遺跡の範囲については大阪府地図情報提供システムに基づく。)
発掘調査は、主要地方道の枚方富田林泉佐野線(都市計画道路(梅が丘高柳線))の道路改良工事に伴って実施したものです。この道路改良工事に伴う過去の調査では、古墳時代の竪穴建物(たてあなたてもの)などが見つかっており、この丘陵が墓域としてだけでなく、居住域としても積極的に開発されていくようすが把握されていました。
今回は約900平方メートルを発掘調査し、おもに古墳時代と室町時代について重要な成果が得られました。
まず古墳時代については、ややカーブしながら延びる幅3メートルの溝が見つかりました(写真1)。この溝からは多くの須恵器のほか、わずかですが埴輪も出土しています(写真2)。須恵器の特徴からみて、この溝は5世紀の中頃に掘られ、6世紀に埋まったようです。また、溝がカーブすること、埴輪が出土したこと、集落からはあまり出土しない種類の須恵器が見つかっていることなどから、確定はできませんが、この溝は古墳を囲む周溝(しゅうこう)であった可能性もあります。
室町時代では、堀状の遺構のほか、井戸が見つかったことが大きな成果です(写真3)。この井戸は、井戸として使われなくなるとごみ穴として利用され、不要になった石材や瓦などの廃材を捨てていました。瓦の特徴からみて、この遺構は16世紀頃に使われなくなったようです。
このように、今回の調査では、古墳時代の上垣内遺跡について新たな情報が得られたほか、室町時代の遺跡のようすについても知見が得られるなど、大きな成果を得ることができました。
写真1 古墳時代の溝遠景(西から) |
写真2 古墳時代の溝(東から) |
写真3 室町時代の井戸(北から) |