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更新日:2024年5月22日

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府中(ふちゅう)遺跡

遺跡の概要

所在地:和泉市府中町五丁目、黒鳥町一丁目

種類:集落跡

時代:弥生時代、古墳時代、古代、中世

調査期間:令和3年1月から7月、10月から12月

主な遺構:弥生時代末から古墳時代初頭の竪穴建物(たてあなたてもの)、古代の掘立柱建物(ほったてはしらたてもの)、中世の鋤溝(すきみぞ)群

主な遺物:弥生土器(やよいどき)、須恵器(すえき)、土師器(はじき)、黒色土器(こくしょくどき)など

遺跡の概要:府中遺跡は、槇尾川(まきおがわ)右岸の信太山丘陵との間に形成された低位段丘上に立地しており、遺跡内に和泉国府跡(いずみこくふあと)や和泉寺跡(いずみでらあと)の推定地を含む、東西1キロメートル、南北1.2キロメートルの広範囲にわたる遺跡です(図1)。

調査地

 

 

 

 

 

図1 遺跡の位置

調査成果:府教育庁では平成20年度より大阪岸和田南海線に伴う発掘調査を継続的に実施しています。

令和2・3年度調査

令和2年度から3年度(令和3年1月から7月)の調査区域は、平成27・28年度調査F・G区と平成29年度調査第1区に挟まれる箇所にあたります。現況の道路を挟んで南東側を1・2区、北西側を3区として調査を実施しました(図2・写真1)。

調査区

 

 

 

 

 

 

 

 

図2 調査区位置図

全景

 

 

 

 

 

 

写真1 調査地遠景

1・2区

本調査区では、古代(10世紀)の掘立柱建物や弥生時代後期末から古墳時代初頭の土坑などが見つかっています。
古代の掘立柱建物は1区の南東側で検出しました(写真2)。一部は現代の建物により削平をうけていましたが、軸は北東-南西方向を向き、規模は三間×四間、もしくはそれ以上と考えられ、柱間は約1.9mになります。柱の掘方からは10世紀後半と考えられる黒色土器などが出土しています。また建物の南西には土師器皿を埋納したと考えらえる土坑も検出しました(写真3)。

掘立柱建物

 

 

 

 

 

 

写真2 1区掘立柱建物(南西から)

土師器皿土坑

写真3 1区土坑(北東から)

弥生時代末から古墳時代初頭の土坑は2区の北端で検出しました。土坑からは壺や高杯などの土器片が出土しています(写真4)。過去の調査成果も含め、これより北側に当該期の遺構が広がり、南側は希薄になることから、本調査区は集落の南端にあたるものと考えられます。

2区土坑

 

 

 

 

 

 

写真4 2区土坑出土土器(西から)

3区

他の調査区に比べやや遺構が少ない状況でしたが、弥生時代後期末から古墳時代初頭と考えられる土器の破片が、地形の落ち込みに堆積している様相が確認できました。

令和3年度調査

令和3年度(令和3年10月から12月)の調査区域は、平成29年度調査第1区の北側に隣接する箇所にあたります。道路を挟んで東側を1区、平成29年度第1区の西側に隣接する箇所を2区として調査を実施しました(図2)。

1区

調査区の中央部から西側にかけて多数の鋤溝を検出しました(写真5)。これらの鋤溝群は北東から南西方向に走っています。わずかではありますが瓦質土器の破片が出土しており、周辺の調査成果と併せて中世後半の耕作溝と考えることができます。
これ以外に調査区の西側では、弥生時代後期末から古墳時代初頭の土器が出土する土坑が検出されました。

1区鋤溝

 

 

 

 

 

 

 

写真5 1区鋤溝群(北西から)

2区

本調査区は狭い範囲であったものの、弥生時代後期末から古墳時代初頭の竪穴建物を少なくとも2基、古墳時代以降に掘削されたと考えられる溝を検出しました(写真6)。
竪穴建物は、一部の検出しかできていないため、全体の規模がわかるものはありませんが、2基ともに方形のプランで、壁に沿って溝が巡っています(写真6・7)。一つは一辺4.5m程度、もう一つは一辺3.6mとやや小型になると考えられます。今回の成果から、これまでの調査で確認されていた弥生時代末から古墳時代初頭の集落がさらに北西側に広がっていくことがわかりました。

2区全景

 

 

 

 

 

 

写真6 2区全景(南東から)

竪穴建物

写真7 竪穴建物(東から)

地図

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