ここから本文です。
府中遺跡
遺跡の概要
遺跡:府中遺跡(ふちゅういせき)
所在地:和泉市府中町五丁目
種類:集落跡
時代:古代、中世
調査期間:令和元年11月から令和2年3月
主な遺構:中世の溝、柱穴など
主な遺物:須恵器(すえき)、土師器(はじき)、黒色土器(こくしょくどき)、瓦器(がき)など
遺跡の概要:府中遺跡は、槇尾川(まきおがわ)右岸の信太山丘陵との間に形成された低位段丘上に立地しており、遺跡内に和泉国府跡(いずみこくふあと)や和泉寺跡(いずみでらあと)の推定地を含む、東西1キロメートル、南北1.2キロメートルの広範囲にわたる遺跡です。
図1 調査区位置図
写真1 調査区全景(南から)
写真2 調査区全景(左が北)
調査成果
府教育庁では平成20年度より大阪岸和田南海線に伴う発掘調査を実施しています。
今回の調査区域は、平成27から28年に実施した調査区の東に隣接する箇所にあたります。
現況の水路を挟んで北側をA区、南側をB区として調査を実施しました。
A区
河川の跡を検出しました。隣接する調査区においても検出しており、その延長部分になります。弥生時代後期と古墳時代前期の土器が出土しており、古墳時代に河川は機能していたと考えられます。
B区
今回の調査では前回の調査で確認した溝の延長部分や柱穴を検出しました。
また、03溝と名付けた溝は、幅約1.5mを測り一定の大きさの礫を中心部分に敷いていました。溝の中からは瓦器・瓦質土器などが出土し、14世紀の終わりには埋没したと考えられます。土地を区画する溝と考えられます。
写真3 03溝(北西から)
今回の調査では古代の土器が多く出土しましたが、遺構はいずれも中世以降に属すると考えられます。古墳時代までは河川があり、古代には集落域となりますが、建物や溝が放棄された中世からは一貫して耕作地として利用されており、畑や水田として利用されていることがわかりました。