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長原遺跡
所在地:大阪市平野区長吉長原西
時代:古代から中世
調査期間:令和4年11月から令和5年3月
主な遺構:土坑、ピット、耕作面(水田跡)
主な遺物:埴輪、須恵器、土師器、瓦器、陶磁器
長原遺跡の概要
長原遺跡は大阪市平野区に所在し、約350ヘクタールの面積を有する府内でも有数の大規模遺跡です。
昭和48年に大阪市営地下鉄谷町線の延伸にともなう試掘調査によって発見され、その後、近畿自動車道の建設、区画整理事業、大阪市営住宅の建設や建て替えなどの大規模開発による緊急発掘調査が盛んに行われました。それらの調査では、旧石器時代から現代に至る人々の生活が連綿と営まれた地域であることが分かっています。
今回の調査区は、遺跡の南西部にあたります。既往の調査では、長原遺跡と隣接する瓜破遺跡の間を北西へのびる「馬池谷」が存在が確認されています。さらに谷の東側にあたる長吉長原地区では、塚ノ本古墳や一ヶ塚古墳のほか約180基の古墳が集中する地区でもあります。
図1 調査区と周辺の古墳
調査の成果
今回の調査は、大阪府平野警察署川辺交番の建て替え工事に伴うものであり、約50平方メートルを対象として行いました。
調査区では古代から現代にかけての堆積層を確認しました。
近世の調査面や中世の調査面からは耕作地の溝跡を検出しました。中世の包含層を除去すると調査区北半には低位段丘がありました。この低位段丘は北から南へと落ち込む谷地形をなしており、「馬池谷」の支谷と思われます。
谷部では古代の堆積層を確認しました。この堆積層の中には、水成堆積があり、洪水によるものと考えられます。その後、中世になると谷は埋没したようです。
なお、各時代の包含層からは、周辺の古墳に使用されたと思われる埴輪片が出土しています。
写真1 長原遺跡調査区全景(南から)
写真2 各層出土遺物(須恵器、土師器、瓦器、陶磁器)
写真3 各層出土遺物(埴輪)