ここから本文です。
津堂遺跡現地説明会資料
遺跡の概要
津堂遺跡は藤井寺市域の北西一帯に広がる、古墳時代から中世にかけての集落遺跡です。昭和48(1973)年に府立藤井寺高校の建設に伴って初めて調査がなされ、弥生時代から平安時代にかけての遺構・遺物が出土したことから、遺跡として周知され現在に至ります。
また、津堂遺跡の東約1キロメートルには、世界遺産百舌鳥・古市古墳群を構成する前方後円墳の一つである「津堂城山古墳」が所在しています。
これまでに行われた調査のなかでも注目されているのは、平成27(2015)年に行われた物流倉庫の建設に伴う調査です。この調査では、古墳時代前期末から中期初頭(4世紀後葉)の大型建物2棟と祭祀遺構が発見されました。
さらに、大阪府文化財保護課が一般府道大阪羽曳野線の建設に伴い行った、令和3(2021)年の調査では、古墳時代前期末から中期初頭にかけて機能したと考えられる掘立柱建物跡7棟と敷地の北側を区画する柵列、土坑などがみつかっています。
今回の調査成果について
調査の結果、上面にて近世の井戸や耕作地の溝跡、その下の面にて中世の耕作地の溝跡、さらにその下の面にて、古墳時代の建物跡や溝、井戸がみつかりました。
調査区の中央でみつかった掘立柱建物1は、柱間が、3間×4間(約7メートル×9メートル)で、柱を据えるための堀方は大きいもので約1メートル×1メートルの方形をなしています。また、調査区の南西においてみつかった建物2は、柱間が1間×2間(約2メートル×4メートル)でした。
掘立柱建物の西側には南西から北東にのびる溝1を検出しました。溝1からは古墳時代前期末から中期初頭(4世紀後葉)の土器がみつかっており、令和3年度の調査でみつかった建物群と同時期のものであると考えています。さらに、この溝1と建物1・2は主軸の傾きがほぼ同様であることから、同時期の遺構と考えています。
そのほか、調査区南東においては、立板を用いた井戸や竪穴建物がみつかっています。
出土遺物からそれぞれ、古墳時代前期末から中期初頭の遺構と考えています。
まとめ
令和3年度調査区でみつかった建物群はいずれも倉庫と考えられている総柱建物でしたが、今回の調査でみつかった掘立柱建物は総柱建物ではありません。また、竪穴建物や井戸は、人々の居住に関係する遺構であり、溝より東側は居住区であったと想定することができます。今回の調査では、当地域の古墳時代の様相について、新たな知見を得ることができました。
現地公開資料(カラー版)はこちらから→津堂遺跡現地説明会資料(カラー版)(PDF:753KB)