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人権学習シリーズ 同じをこえて 「差別と平等」をどう学ぶのか/6.確かに話し合える社会こそ求められている
6.確かに話し合える社会こそ求められている
このように、現代社会では、「機会の平等」と「不利な人に手厚く(結果の平等)」という2つの考え方を同時に追求するという平等観が広がっています。どちらか一方が正しいというのではなく、さまざまな平等観があることを認識した上で、それぞれの場合にどのような平等のモノサシを適用するべきなのかを判断できることが求められているのです。
領域によって、「機会の平等」だけでよいのか、「結果の平等」に向けて踏み込む方がよいのか、判断は異なってきます。例えば、同じ女性差別についてであっても、政府や自治体の審議会の委員は目標としての女性比率が定められています。しかし、国会や市議会などの議員については女性の比率が定められているわけでもなければ、何らかの特別措置がとられているわけでもありません。格差の実態や領域の特性に応じて判断が変わってくるということです。もちろん、このような政府の姿勢に異論をもつ人もいます。諸外国でも、スウェーデンやフィンランドを始め、国会議員について実質的な割当制を採用しているところが少なからずあります。私たち、社会を構成するメンバーが一つひとつの問題領域について自分なりの考えを持ちつつ、社会的に議論を広げていき、社会全体での判断を形成していくことが望ましいと言えます。
これは、一朝一夕にできるものではありません。社会的に広く地道に議論を重ね、一つひとつ積み重ねていくべきものです。
この冊子で提供している教材などが、そういう議論を促進する手がかりとなることを期待しています。さまざまなモノサシがあることを認識した上で、それぞれの場面でどのようなモノサシを適用するべきなのか。誰でも同じように住みやすい、社会や制度全般のユニバーサルデザインはできないのか。そのような話し合いのできる社会こそ、成熟した社会だと言えるのではないでしょうか。