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人権学習シリーズ 同じをこえて 「差別と平等」をどう学ぶのか/3.これまでの歴史
3.これまでの歴史
日本社会における平等のモノサシの変化について、簡単に歴史を振り返ってみましょう。
1960年頃までは、「機会が平等ならそれでよい」という考え方が中心だった時代です。明治時代、人は生まれによってどんな人生になるか、ずいぶん違いました。そのため、第二次世界大戦後に新しい憲法ができて、次のように定められたとき、喜んだ人が多くいました。
日本国憲法(1946(昭和21)年公布、1947(昭和22)年施行)
- 第十四条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない
1970年代から1980年代までは、「不利な人に手厚く」という考え方の広がった時代です。「チャンスを平等に」という考え方だけでは、進学率や所得はなかなか平等にならないと分かってきました。そのため、差別を受けてきた人たちや地域に手厚くすることが必要だという法律が生まれました。
同和対策事業特別措置法(1969(昭和44)年公布、同年施行 ※ただし、今はすでになくなった法律です)
- 第一条(目的)
この法律は、……歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が阻害されている地域に……行なう同和対策事業の目標を明らかにするとともに、この目標を達成するために必要な特別の措置を講ずることにより、対象地域における経済力の培養、住民の生活の安定及び福祉の向上等に寄与することを目的とする。
障害者基本法(1970(昭和45)年公布、同年施行)
- 第十六条(雇用の促進等)
国及び地方公共団体は、障害者の雇用を促進するため、障害者に適した職種又は職域について障害者の優先雇用の施策を講じなければならない。 - 第十七条(住宅の確保)
国及び地方公共団体は、障害者の生活の安定を図るため、障害者のための住宅を確保し、及び障害者の日常生活に適するような住宅の整備を促進するよう必要な施策を講じなければならない。 - 第十八条(公共的施設のバリアフリー化)
国及び地方公共団体は、障害者の利用の便宜を図ることによつて障害者の自立及び社会参加を支援するため、自ら設置する官公庁施設、交通施設その他の公共的施設について、障害者が円滑に利用できるような施設の構造及び設備の整備等の計画的推進を図らなければならない。
そして現在は、「みんなちがってみんないい」という考え方が広がりはじめた時代です。特別措置から、さらに一歩進んで、すべての人にとって便利な品物や制度がつくられるようになりました。例えば、シャンプーの容器とリンスの容器、台所で使うラップとアルミホイルの箱などは、違いがさわっただけで分かるように作られたりしています。この考え方をユニバーサルデザインと呼びます。
制度の面でも同じような発想が大切にされつつあります。例えば、公営バスとしてノンステップバスを使うように定めているような例があります。また、ユニバーサルデザインそのものとは言えませんが、国によっては、大学や大学院まですべての学校の授業料を無償にしたり、誰でも安心して病院に通えるようすべての人が健康保険に入れるようにしたりしています。このようなやり方をとれば、特に誰か一部の人だけが恩恵を被るわけではありません。ですから、「不利な人に手厚く」という考え方に賛成しない人も納得しやすいと言えます。
問題は、ユニバーサルデザインのような発想を制度や社会のすべてに行き渡らせるのは難しいという点です。だから、すべての人が使いやすいユニバーサルデザインのような発想や制度は、特定の人に手厚くする特別措置と、場面や領域に応じて使い分けられ、併用されています。バスの例で言えば、誰でも乗りやすいノンステップバスがどんどん導入されつつ、障がい者や高齢者に料金の減免が適用されています。つまり、「みんなちがってみんないい」という考え方は、「不利な人に手厚く」という考え方とあわせて使われているということです。