ここから本文です。
人権学習シリーズ わたしを生きる 論文「アイデンティティとカミングアウトについて―この冊子の活用に必要な基礎知識―」
アイデンティティとカミングアウトについて―この冊子の活用に必要な基礎知識―大阪教育大学 森実
はじめに
この冊子では、「尊厳」、「自分」、「人間関係」を大きなテーマとし、カミングアウトを切り口にして、アイデンティティという概念にもふれています。
そこで、この冊子を読み進め、活動を実施する上で必要と思われる範囲で、簡単にこのことについて述べておきましょう。詳しくは、「アイデンティティとカミングアウト―自己・他者・社会との関わりのなかで―」という文章をお読みください。
[1]アイデンティティとは?
アイデンティティとは、「これを欠いては自分ではないと思う属性や特性」をさします。
その1つは、自分がどんなルーツをもっており、どんな集団に属しているかということに関わります。たとえば、「オレは男だ」とか、「わたしは大阪人だ」という感覚です。アイデンティティという言葉を使う場合、この属性が自分にとって重要だということを意味しています。言い換えると、尊厳や誇りの源になっているということです。この冊子でいうアイデンティティはこちらの意味です。
アイデンティティのもう1つの意味は、趣味や好みなどに関わります。「わたしの趣味は読書です」とか「私は優しい人間です」などで、「自分らしさ」ともいえます。
アイデンティティというのは、多くの場合、幼い頃から、周りの人たちの言葉や仕草などを通して、空気を吸うように感じ取っていくものです。そして、思春期になるころから、次第にそれを自覚的に受け止めるようになります。
青年期になると、とくに被差別集団に属する人のなかには、「なんで○○に生まれたんだろう」と自分のアイデンティティを否定的にとらえてしまう人たちが出てきます。しかし、その思いを覆くつがえすような出会いや学習があれば、次第に自己を肯定するようになっていきます。人権学習の場がそのような変化をうながすきっかけになることをめざしたいものです。
[2]カミングアウトとはなにか?
カミングアウトとは、明かしていなかった自分のアイデンティティを他の人に告げることです。短くカムアウトと言うときもあります。これは、もともと「カミングアウト・オブ・ザ・クロゼットComing out of the closet(押し入れの中から出てくること)」と表現されていました。「押し入れの中に閉じこめられているような状態」から、隠していた面を他者や社会全体に向けてさし出していくという意味です。
カミングアウトで最も大切にされるべきことは、周りに強いられて行う筋合いのものではないということです。本人が言う必要がないと感じている場面でカミングアウトする必要はまったくないのです。周りの人たちの働きかけは本人が判断する手がかりになるなどの域を出ません。
[3]現代的プライバシー観とアウティング
その点を考える上で、プライバシーのとらえ方が参考になります。現在では、プライバシー権は、「自分に関する情報を自分でコントロールする権利」とされています。昔なら、プライバシー権は「私生活に踏み込まれない権利」を意味していました。しかし、情報化が進むなかで、どこまでどうすることが私生活に踏み込むことなのか、一律に決めることができなくなりました。他の人の名前を出すだけでもプライバシーの侵害だという場合がありえます。
そこで、OECDが1980年(昭和55年)にプライバシー8原則を打ち立てました。その基本原則が「自分に関する情報を自分でコントロールする権利」という考え方です。この原則に立てば、他者に関するなんらかの情報を伝える前に、本人の了解を得ておかなければならないということになります。個人情報保護法もこの考え方を土台にしています。
アウティングとは、そんな手続きをとらずに、勝手に他の人に関する情報を他者に伝えることを意味しています。現代的なプライバシーの考え方に立つと、許されない行為であることが明らかです。
[4]カミングアウトするのはなぜ?しないのはなぜ?
誰かがカミングアウトするかどうかを左右するいくつもの要因があります。
第1は、世の中がその人のアイデンティティのもとになる属性をどう見ているかという問題です。世の中がそのアイデンティティを否定的にさげすんで見ているなら、カミングアウトはなんらかの意味でしにくくなりやすいでしょう。
第2には、世の中がどう見ていようと、本人が自分のそのアイデンティティをどう見ているのかということです。世の中が否定的に見ている属性について、自分自身でも否定的に感じている場合には、カミングアウトには至らないことが多いでしょう。世の中が否定的に見ていても、自分が肯定的に見ているなら、カミングアウトしやすいと推測できます。
第3に、上の2つとは別に、今、周りにいる人たちがどんな価値観をもっているのか、その人たちとどんな関係にあるのかという問題があります。周りの人たちとの関係は、カミングアウトするかどうかを左右する決定的な要素になりえます。カミングアウトする人が「支えてほしい」と思ってしている場合であれ、「問題をしっかりとらえて自分に引きつけて考えてほしい」と考えている場合であれ、その聴き手がどんな人であるかは抜きにできないからです。世の中がそのアイデンティティを否定的にとらえていて、本人もまだためらいがあるという場合であっても、周りの人たちが、そのことを受け止められる状態であれば、本人は語るかもしれないのです。人権学習で求められているもう1つの課題は、この意味で、周りにいる者としてのわたしたちが、話しやすい関係をつくれているかということです。その集団の一員である自分が、いろいろな人にとって居心地のいい居場所づくり、社会づくりに貢献できているのかということです。
[5]カミングアウトから深まる人間関係、変わる社会
カミングアウトしたことによって、本人と相手の関係が大きく変わっていく場合があります。受け止める側の姿勢や誠実さによって、カミングアウトした人の暮らしやすさは全く違ってきます。両者の関係も、豊かで深まりを見せるようになります。カミングアウトとは、そういう新しい関係が生まれる可能性を秘めています。両者の努力と誠実さによって、そうなるかどうかが左右されるのです。その経験の蓄積が社会を変えることにもつながっていくことでしょう。