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大阪の古墳の出土品-最近の調査成果から-
世界遺産登録を目指す百舌鳥・古市古墳群をはじめ、府内には多数の古墳があります。大阪府教育委員会がおこなった古墳そのものの調査件数は、ここ十数年で20件程度ですが、得られた成果はどれも重要なものです。それらの出土品の中から、主だったものをいくつかご紹介します。
シシヨツカ古墳のきらびやかな副葬品
南河内郡河南町の平石谷は、巨大な花崗岩の切石を組み合わせた横口式石槨を主体部とする王陵級の古墳が集まっていることで、全国的に知られています。シシヨツカ古墳は古墳時代後期(6世紀後半)に築かれたもので、金銀の象嵌で飾った武器や馬具、全国で4例しかない漆塗籠棺など貴重な遺物が多数出土しました。
銀象嵌亀甲繋鳳凰文大刀装具(ぎんぞうがんきっこうつなぎほうおうもんたちそうぐ)
金象嵌龍文鞍金具(きんぞうがんりゅうもんくらかなぐ)
漆塗籠棺片(うるしぬりかごかんへん)
加納2号墳から出土した大刀
平石古墳群の近くにある加納古墳群は、横穴式石室をもつ古墳時代後期から飛鳥時代(6世紀から7世紀)の古墳群です。大刀は飛鳥時代(7世紀)のもので、黒漆塗りに赤漆で雲文を描いた鞘に収まっていました。ほかに純金製の耳飾も出土しています。
黒漆塗雲文鞘大刀(くろうるしぬりうんもんさやのたち)
純金製中空耳環(じゅんきんせいちゅうくうじかん)
寛弘寺1号墳から出土した鉄製工具
南河内郡河南町の寛弘寺古墳群は5世紀から6世紀の古墳が100基近く集まった群集墳ですが、1号墳はその中でも古い段階のもので、割竹形木棺を包んだ粘土槨から多数の鉄器が出土しました。とくにノミは刃先の形が一つずつことなり、今の大工さんと同じような使い分けがあったことがわかります。
鉄製ノミ
銭塚古墳の円筒埴輪
仁徳陵古墳など巨大古墳が集中する百舌鳥古墳群の真ん中にあるこの古墳は、府立堺支援学校の敷地内に、直径50mほどの円墳として残っているものですが、明治時代の地図には前方後円墳として描かれています。部分的な発掘をおこなった結果、やはり前方後円墳で、浅い壕があることが確かめられました。
後円部で発見した円筒埴輪
崇禅寺遺跡の古墳に供えられた土器
大阪市東淀川区の崇禅寺遺跡は、古墳時代には海に突き出た半島の先端ぎりぎりで、くちばしのように伸びた砂山になっていた場所でした。そんな砂の上にも古墳が築かれたのです。調査では古墳のほんの一部が見つかっただけですが、たくさんの埴輪や須恵器の破片が見つかりました。
5世紀の須恵器のセット
桑原西古墳群の墓室に敷き詰められた大きなレンガと耳飾
茨木市の桑原西古墳群は、身分の高い人だけが葬られることを許されたという八角形墳が含まれていることで、考古学界ではちょっと知られた遺跡です。塼(せん)と呼ぶレンガは古代寺院の基壇などに使われたものですが、飛鳥時代に墓室を作るのにも使われました。中から金製の耳飾と刀子(とうす)が出土しました。
竪穴式小石室に敷かれた塼(せん)
金・銀の耳環・ガラス玉