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雁屋遺跡(かりやいせき)から出土した銅鏃
雁屋遺跡は四條畷市に所在する弥生時代を中心とした集落遺跡です。遺跡は標高約8メートルの扇状地に立地し、弥生時代中期では遺跡の西側に河内潟が望める、低地ながらも比較的安定した集落でした。
遺跡は、昭和58年四條畷高校グランド西方で行われた試掘調査で発見されました。昭和61年以降、四條畷高校の増改築に伴い、大阪府教育委員会が6回にわたり発掘調査を実施してきました。
発掘調査の結果、弥生時代中期から後期の集落跡、方形周溝墓群などが発見されました。出土した資料は、土器・木製品・石製品などさまざまな種類があり、また土器の出土量も多く、このことから、雁屋遺跡が北河内地域で最大級の弥生時代の遺跡であったことがわかります。
ここではこれらの出土資料の中から銅鏃を取り上げて紹介します。
銅鏃は、弥生時代中期に出現し、後期に普及しはじめます。それ以前から使用されていた石鏃が1点ずつ成形されていたことに比べると、銅鏃は鋳型を用いて大量生産できるという利点があります。
写真上の6点の銅鏃は、平成6年度、平成9年度の調査で発見されました。三角形式、柳葉式などがあり、同じ形のものは1点もありません。右端の銅鏃は多孔銅鏃とよばれるもので、鏃身が出来上がった後に穿孔されています。右から2点目の柳葉式は最も大きく長さが6センチメートルあります。さまざまな形の銅鏃の出土は、雁屋遺跡と他地域の交流を物語っているといえましょう。