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更新日:2017年2月20日

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日下遺跡から出土した縄文土器

東大阪市に所在する日下遺跡は、縄文時代、古墳時代の遺跡です。その中で大阪府内では数少ない縄文時代の貝塚を中心とした区域が、昭和47年に国指定史跡「日下貝塚」となっています。

遺跡の発見は大正時代にさかのぼります。昭和7年に山内清男氏(故人)が、日下貝塚から出土した縄文土器の中に東北地方の縄文時代晩期の亀ヶ岡式土器が含まれていたことを発表しました(注1)。関西で東北地方の縄文時代晩期の土器が確認されたのは、この日下貝塚出土例が初めてです。そして亀ヶ岡式土器と関西の縄文土器である二枚貝の条線を有する土器(条痕土器)の組合せを直接確認できたことは、各地の縄文時代終末期の様相を比較して明らかにできるという学史上重要な意義を持つ発見でした。

戦後、堅田直氏(故人)が、昭和35年、39年、41年の3回にわたり日下遺跡の発掘調査を実施しました。この調査では大量の縄文土器の他に、古墳時代の資料もみつかっています(注2)。

堅田氏が調査した日下遺跡の縄文土器は平成26年度に大阪府に寄贈されました。ここではこの縄文土器を紹介しますが、その中にも亀ヶ岡式土器(大洞式)が含まれています(写真上)。この大洞式と共伴して大量に出土した条痕土器を詳しく調べてみると、関西で滋賀里2a、2b、3a式(写真中)、篠原式(写真下)に分類編年されるものであることがわかりました。これらは縄文時代晩期前葉から中葉(今からおよそ3000年前)の時期の土器です。

画像です。大洞式大洞式

滋賀里式滋賀里2b式、滋賀里3a式

画像です。篠原式篠原式

(注1)山内清男「日本遠古之文化」『ドルメン』1ノ6 昭和7年
(注2)堅田 直編「東大阪市日下遺跡」『帝塚山大学考古学研究室考古学シリーズ』2
昭和42年

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