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牛石9号墳(うしいしきゅうごうふん)から出土した須恵器
牛石古墳群は、堺市の南部にある泉北丘陵に所在します。この古墳群は昭和30年代に泉北ニュータウンを造成する時に発見されました。ここではこの古墳群のなかで最終段階に築かれて使用された横穴式石室をもつ牛石9号墳と、そこから出土した須恵器を紹介します。
牛石9号墳の発掘調査は、昭和42年度に帝塚山大学堅田直教授の指導により大阪府教育委員会が実施しました。調査の結果、牛石9号墳は直径約20メートルの円墳で、その外側に幅1.2メートルから1.5メートルの周濠がめぐることがわかりました。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、玄室の幅約1.6メートル、羨道の幅約1.0メートル、石室全体の長さは7.1メートルです。
石室の床面からは沢山の須恵器が発見されました。写真1はその一部です。器種は蓋坏(ふたつき)、壺などがあります。写真1中央にある杯身の口径は、約10センチメートルです。これらの須恵器は6世紀末から7世紀中頃の時期のものです。須恵器の年代から考えると、牛石9号墳は6世紀末に築かれて、7世紀中頃まで埋葬施設として使われていたと考えられます。
写真1 牛石9号墳の石室から出土した須恵器
牛石9号墳の石室からは、須恵器の他に金属製品や琥珀玉(こはくだま)、ガラス玉などの装身具も出土しました。写真2は鉄鏃(てつぞく)、写真3は刀剣の鍔(つば)、鍔は半分欠損していますが、中心の孔の大きさは2.5センチメートルです。写真4は耳環や琥珀玉、ガラス玉などの装身具です。中段左端は水晶(すいしょう)の切子玉(きりこだま)です。
写真2 鉄鏃
写真3 鍔
写真4 耳環・玉類
牛石9号墳はこれらのさまざまな遺物の出土状況から、玄室や羨道を利用して少なくとも3回以上の埋葬がおこなわれたと推定できます。牛石9号墳から出土した須恵器は、この古墳群の最終期を物語る重要な資料といえましょう。