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更新日:2015年10月23日

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大坂城跡(おおさかじょうあと)から出土した金箔瓦

大阪市中央区に所在する大坂城跡は、豊臣秀吉が石山本願寺の跡地に築いた城です。大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡し落城した後は、徳川氏の命により再建されました。徳川時代の大坂城は、豊臣時代の石垣や堀を埋めて築造されています。現在の天守閣は昭和6年に再建されたもので、平成9年には国の登録有形文化財となっています。

大阪府教育委員会は、1986年、1988年から1992年にかけて、府立大手前高校やドーンセンター建設に伴い大坂城三の丸跡の発掘調査を実施してきました。調査の結果、大坂城が築造される前に存在した石山本願寺の時代、豊臣氏の時代、徳川時代各時期の建物跡などがみつかりました。同時に瓦・土器・陶磁器・木製品・金属製品などの大量の遺物が出土しました。これらの遺物は大坂城下に暮らした人々を物語る手助けとなります。

ここではその多くの遺物の中から、金箔瓦を取り上げて紹介します。金箔瓦とは正しくは「金箔押し瓦」のことですが、通常はこれを略して「金箔瓦」と呼んでいます。豊臣氏の時代の大坂城では、金箔瓦が多く使われていたことが知られています。大阪府教育委員会の調査でも100点以上の金箔瓦がみつかっています。

金箔軒丸瓦・軒平瓦

上の写真の軒丸瓦・軒平瓦は、府立大手前高校建替えに伴う大坂城三の丸跡の発掘調査で、豊臣後期(注1)の土層から出土しました。軒平瓦の文様は、中央に三葉、左右に唐草と葉を配したもので、下地に赤漆をぬってから金箔を施しています。左端は欠けているので復元していますが、幅は約32cmです。軒丸瓦も下半分は欠けているので復元しています。文様は桐文で、直径は約17cmです。写真のように、大坂城跡から出土した金箔瓦は、文様の浮き出た部分に金箔がみられます。

下の写真の瓦は、棟の装飾に使われていたと考えられる板状飾り瓦です。3点とも文様は桐文で、ドーンセンター建設に伴う発掘調査で、豊臣前期の土層から出土しました。角の部分が欠けて完全な形ではありませんが、復元するとタテ11cm、ヨコ20.5cm、厚さ2cmを測ります。金箔を施した飾り瓦には、この他にも形や文様に様々な種類があり、鬼瓦に金箔が施されているものも出土しています。

大坂城の金箔瓦は本丸のみならず、三の丸の武家屋敷まで華やかに飾り立てていたことがわかります。

金箔飾り瓦

(注1)豊臣前期→大坂城築城開始(1583)から三の丸築城開始(1598)までの期間
豊臣後期→豊臣秀頼大坂入城(1599)から大阪夏の陣豊臣大坂城落城(1615)までの期間

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