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更新日:2016年3月8日

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大園遺跡(おおぞのいせき)から出土した筒形器台

大園遺跡は、大阪府の南部、和泉地域の高石市、和泉市、泉大津市の三市にかけて広がる遺跡です。大阪府教育委員会は、第二阪和国道、府道松原泉大津線の建設に伴い昭和49年度から昭和56年度にかけて発掘調査を実施してきました。調査の結果、大園遺跡は旧石器時代から近世までの複合遺跡であることが判明しました。とりわけ古墳時代や中世の集落、大園古墳の発見は、和泉地域の歴史を解明する大きな手がかりとなりました。出土した遺物には、旧石器時代の石器から弥生土器、土師器、須恵器、埴輪、その他の石製品、鉄製品、木製品などさまざまな種類の資料が含まれます。

ここでは、大園遺跡から出土した初期須恵器の中から、筒形器台を取り上げて紹介します。須恵器は、五世紀初頭に泉北丘陵とその周辺で製作が開始されました。初期須恵器は、その後の五世紀前半までに製作されたもので、大園遺跡では昭和50年度の発掘調査地で、初期須恵器が数多く出土しています。

筒形器台

上の写真の筒形器台は、昭和50年度発掘調査地の井戸1から出土しました。上端、下端ともに欠失しており残存高約50センチメートル、筒部の直径は約10.5センチメートルを測ります。筒部は、長方形の透かし孔が一段に6方向で七段にあけられており、外面は波状文で装飾されています。筒上部は「はそう」という胴部に穿孔した壺形の器種を模した形状になっています。

下の写真は同じく昭和50年度発掘調査地で、溝とその周囲から出土した初期須恵器の一群です。写真後方の筒形器台は、上部と下部の一部は欠損しており、残存高47センチメートルを測ります。三角形の透かし孔が八段、筒部から円錐形に広がる裾底部まであけられており、外面は波状文で装飾されています。

筒形器台は同じ窯から出土したものでも、さまざまな形状のものがあり、装飾もバラエティーに富んでいます。大園遺跡でも上記の2点のほかに、2点の筒形器台が確認できましたが、一つとして同じ形はありません。また筒形器台は、その形から古墳などへの供献土器として使用されたと考えられる特殊な土器ですが、大園遺跡では井戸や溝から出土しており、その使われ方が注目されます。

初期須恵器の一群

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