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更新日:2013年11月25日

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第9回 大阪府広域自治制度に関する研究会開催結果 概要

  • 日時:平成20年6月3日(火曜日)午前11時30分から午後1時30分
  • 場所:大阪府市町村会館特別会議室(大阪府庁別館6 階)
  • 出席委員:
    (座長)新川達郎 同志社大学大学院総合政策科学研究科長
    山下 淳 関西学院大学法学部教授
    中井英雄 近畿大学大学院経済学研究科長
    玉岡雅之 神戸大学大学院経済学研究科准教授

1 開会

挨拶

(企画室長)

本日は前回に引き続き、(1)国・道州・市町村間の役割分担、併せて(2)国と地方の立法のあり方、(3)道州と市町村間の関係のあり方などについて御議論をいただきたいと考えている。

先月(19日)、京都府知事と兵庫県知事及び本府の知事との間で「3府県知事会議」が開催され、道州制にも議論が及んだ。そのなかで、橋下知事からは「国から押し付けられた道州制としないためにも、地方から道州制を発信していく必要がある」、「少子高齢化や経済環境の急激な変化を考えれば、道州制の導入は急ぐべき」などとの考えが示された。

また知事からは、大阪府の発展的解消もにらみ市町村優先を徹底して、市町村への権限・財源の移譲を大胆に進めたいとの考えも示された。これは、第二期分権改革での大阪府の取り組みについて述べられたものだが、「大阪府の発展的解消」という表現には、道州制を含めた新たな広域自治体のあり方も探りたいとの思いがあるものと認識している。

前回の議論も踏まえ、お手元に若干の資料を用意させていただいた。これに沿って忌憚のないご意見をいただきたい。
それでは、座長の新川先生に議事を引き継ぎたい。よろしくお願い申し上げる。

2 議事

  • 国・道州・市町村の役割分担について
  • その他

(事務局)

⇒配布資料(資料1、資料2-(1)から(6)、資料3、資料4-(1)から(3))について説明。

(座長)

事務局の方から説明をいただいた第8回会合論点整理、本日の配布資料を踏まえ、国・道州・市町村の役割分担についてご自由に議論いただきたい。

(座長)

市町村に道州がどう関わるかという議論はこれまであまりしてこなかったと記憶している。市町村の政策や意思決定に道州がどのように関わるかを考えていかねばならないが、原則として市町村自治を前提に議論を進めなければならない。道州中心に議論を展開すると、市町村に対する「関与」と受け取られる可能性があるので気をつけなければ。

(山下委員)

道州と市町村の分離型を想定すれば、道州の条例・計画に市町村がどのように参加するかを考えると同時に、市町村の条例や計画に道州がどう参加するかについても考えておかねばならない。この二つの方法を考えることで、手続き的な形での整合性が図れる。参加の具体的な方法をどう考えるかの問題はあるが。

(座長)

バランスはその方がいい。道州と市町村は双方向性が基本であることから、市町村が道州に参加する権限や範囲、道州が市町村に参加する権限や範囲は基本的に同じ。事務の区域の範囲に違いはあるが、性質としては同じである。

(山下委員)

考え方はそうなのだが、基礎的自治体の規模や能力に大きな差異が残るとすれば、実質どう動くか、どう左右されるかも考えておかねばならない。

(座長)

そういう不安は確かに残る。

(玉岡委員)

これまでの研究会の中で、国と道州間の協議機関について議論をしたが、道州と基礎的自治体との間の協議機関をどうするのかという議論は出来ていなかった。

(山下委員)

これまで想定していたのは、道州の政策決定のプロセスに基礎的自治体がどのように関わっていくかであるが、先ず一つは個別の政策ごとに関わるのか、もう一つは基礎的自治体の連合組織や統一組織のようなものが道州の中にビルドインされている形を想定するかである。

(座長)

連合組織や統一組織がある種の協議機関となって、そこでコミュニケーションが図れるというイメージになる。

(山下委員)

また、個別の政策ごとに基礎的自治体が関わる際にどこまで意見を出せるかが問題である。

(玉岡委員)

そういった二つの手続きをどこまで担保できるかが重要になる。

(座長)

あまり規律を厳しくすると道州の‘関与’ということに繋がるため、気をつけなければならない。

(山下委員)

ただ、現在でも市町村の政策や計画の策定において、都道府県が関わっているのではないか。

(事務局)

例えば、大阪市の総合計画を策定するのに、本府の職員が参加することもある。ただ、大阪府下すべての市町村に対して同様の対応をしているかは確認できていない。

(座長)

市町村の総合計画は条例で策定の審議会があって、あらゆる人材を確保している。例えば、議員や広域団体の職員等がその審議会に参加している場合もある。市町村側としても、こういう対応はおかしくない。

(事務局)

逆に、府の計画策定において一部ではあるが、市町村の職員が参画することもある。

(山下委員)

それが、お互いの双方向のコミュニケーションの場であることを、どう自覚して協議しているかが重要だ。

(座長)

仕組みとして双方向の議論の場を、道州制を導入するにあたって制度上位置付けることも必要。

(山下委員)

話は変わるが資料2-(1)について、考えれば考えるほど混乱してしまう。つまり、国の専管事務のメルクマールと全国共通事務のメルクマールとの違いが分かりづらい。この二つのメルクマールには重なる部分が多いという印象である。

資料2-(2)についても同様の印象である。例えば、国の専管事務のメルクマールで『全国一律に規律しなければ、重大な支障が生じる国民の諸活動に関する事務』というものがあるが、全国共通事務のメルクマールとして『全国統一した制度』というものもある。この違いが見えてこない。

(座長)

内政に国の事務を残そうとした場合は、こういう役割分担になってしまうのではないか。

(事務局)

メルクマールの表現はご指摘のとおり分かりづらいかもしれないが、概念的に国の専管事務は国自身が実施をしないといけないもの、全国共通事務については地方で実施はできるが執行基準、執行手続は全国統一する必要があるというイメージで区分けをしている。但し、ご指摘のように、メルクマール上でどう区分しているのかという点においては明確な違いがだせていない。

(玉岡委員)

地方分権改革推進委員会の第一次勧告において、国と地方の役割分担を重複型、分担型、重層型、関与型、国専担型の五つに分けているが、この区分の仕方についても非常に分かりづらい印象である。

(座長)

国の専管事務を考えるときは限定列挙しないと意味がない。国でしか対応できないものしか残さないという考え方が望ましい。それ以外で全国で統一した方が望ましいものについては、全国共通事務にするという整理をすべきではないか。道州と市町村との間においても同様の考え方ができる。

(玉岡委員)

前回の研究会では、先ず基礎的自治体である市町村にできる事務は全て移譲し、市町村ができないものを道州へ、道州ができないものは国が事務を執行するという考えを原則として議論を行ったが、シャウプ勧告の『市町村優先の原則』の考え方と違いが見えてこなかった。しかし、シャウプ勧告と今の議論の違いを考えると、その当時の市町村の規模や市町村の数に違いがある。

役割分担の議論の際、先ず国の専管事務を限定列挙し、その後に道州、市町村の事務を考えることが大半だが、市町村や道州の執行可能な事務から考えていくと、国の専管事務と考えられるような外交であっても一部道州が担う、例えば関西圏でアジア外交を行うなど、国の専管事務と考えられていたものが一部消滅していく。この考え方で議論をすれば、国の仕事と思われていたものが大幅に変わる可能性がある。

(事務局)

今の考え方でいくと、基本的に全国の共通性がある程度必要なものであっても、先ずは市町村、その次に道州が対応可能なものを積み上げ、それで残ったもの、つまり一括して国が対応することが望ましい事務のみ国の専管事務となる。

(座長)

そのように考えると、国の専管事務は根本から変わることとなる。私が考える国の専管事務は国有財産管理ぐらいである。

(事務局)

航空管制や海難審判は国の専管事務という固定概念があるが、こういったものも一旦道州が引き受け全国共通の仕組みを作ることも可能になる。

(座長)

要するに、地方ができる仕事は全て地方が担う、そういう仕組み作りが必要だということ。今の制度設計を変えていけばいい。

(山下委員)

その際に気になるのは、地方ができる仕事であっても実際にそれをするか否かは別問題で、今でも地方ができる仕事であってもその仕事をしない、する気がないというものもある。

地方の仕事を積み上げた時に、ある州では対応するが、他の州では対応しないという事態も想定できる。そういう自由な選択を道州ができるのか。また、道州ができる仕事であっても執行しなかった場合、その事務はどこがするのかという問題が残る。もう一つの問題は全国共通事務と位置づけたものであっても、対応する州に応じて制度設計を行うのか、或いは全国共通事務は絶対的なものなのか。そこまで踏み込んだ議論が必要ではないだろうか。

また、今では国の法律で事務の役割分担が明確化(義務付け)できているが、道州制を導入することによってこういった仕組みがどう変わるか気がかりだ。

(座長)

本質的に道州間での協議が成立しなければ全国共通事務にはならないことから、一つの事務に対して対応するか否か道州間での意見が分かれれば、原則的にはその事務は道州が担わないということになる。ただ、そういう問題が発生した時に現実問題として、どう対応するかという問題は当面でてくる。

その一方で、全国共通事務の土台は今の法律制度で対応できているため、それをどう全国協議の中で組み立て直すかで問題は解決するとも考えられる。そんなに心配する必要なないのではないか。ただ、道州自治や市町村自治の世界の中で、積み上げ式の仕組みや手順を作れるかが大きな問題である。

(山下委員)

地方に事務を移譲した場合でも当面は現行制度を踏襲することになるだろうが、それを全国共通事務に完全移行する際に制度設計を変えられるかも課題である。

また、座長は全国共通事務について、全ての道州の合意が必要と考えておられるが、本当にそれだけでいいのか多少疑問に思う。

(中井委員)

ある人がある大学教授にこんな質問をした。「財源の水平的調整と垂直的調整の違いは?」と。すると教授は、「垂直的調整というのは国が意思決定をする調整方法であるから、補助金を交付される地方自治体は国の権限に縛られる。水平的調整というのは、交付される側の意思も施策に反映できる。」とこう答えていた。つまり、国の専管事務に対して道州は何のコミットも出来ない。だからこそ、国の専管事務は相当に限定列挙した方がよいのではないか。ところが、全国共通事務は恐らく道州協議会にて合意しなければならず、場合によって合意できなければ国の専管事務として託す形になる。

垂直的調整と水平的調整の意思決定に関する定義が、国専管事務、全国共通事務の区分に繋がってくるのではないか。この定義付けによって、行政学上の問題と財政学上の問題が同じ論理で説明できる。

(山下委員)

国の専管事務を限定列挙するというのをどこまで細かく描けるかは別にして、限定列挙した以外の事務について、抵触するような形で国が地方に関与してきた場合、司法に判断を委ねる選択肢もあるのではないか。つまり、国が法律を作って制度設計をしたときに、それが国の専管事務として相応しくなかった場合、法的な問題として訴訟の可能性を地方に残す形を取ればどうだろうか。か
なり裁量の幅はあるが、国が立法をするにあたって、国の立法手続きに地方の事前参加(手続き)を認めることと、事後として裁判手続きを組み込むことが考えられる。

(座長)

国と地方間の係争裁判所のようなものを高裁レベルで作ってもいいのではないか。色々と問題の生じることが想定されるので。

(山下委員)

全国共通事務として決定した事務であっても、道州協議会の中で事務の執行について合意形成できなかった時に、国がその事務を引き継ぐ方法や手続きを残しておくかどうかについても考えねばならない。

資料2-(1)を見ていると、共通性が図れるものと、その一方で道州間で利害対立を生むようなものも考えられる。道州間で利害対立するものについて、どういった形で合意を図るか不安はある。場合によっては多数決も方法の一つ。

(事務局)

地方の立場からすると、道州間で協議が成立しないからといって直ちに国がその事務を担うということではなく、道州間で事務区分が統一されてなくとも、その事務を担いたいという道州が現れる場合も想定できる。しかし、統一性のないことが住民にとって果たしていいものか。統一性が図られなければ国が中心となって事務を担い、全国共通政策とした方が住民にとってベターではないだろうか。

(山下委員)

事務例で考えると、例えば義務教育を8年や10年にしたいという州が現れた時に、どうするかという問題である。小学校を5年、中学校を4年にするなどの上書きは各道州で決めればいいが、義務教育は最低9年であることを全国共通原則とした場合、これを10年や12年に上乗せするのは構わないが、逆に8年や7年に削ることは認めないなど、一定のルールが必要である。こういったレベルの話での合意形成は可能だろうが、義務教育に限って考えれば到達すべき内容の共有も問題となるから、現行の指導要領みたいなものをイメージしているなら、道州制を導入した際、果たして合意形成が図れるか不安が残る。

(座長)

指導要領の中身はそもそも全国一律に決めるような性質なものなのか。

(事務局)

例えば、義務教育の間に分数の計算を習得するとか、全国共通の最低基準は必要ではないだろうか。

(座長)

その基準は市町村間で決めればいい。義務教育として何が必要かというのは、国民の教育を受ける権利を踏まえ、その中身は各市町村で決めるべきでは。

(山下委員)

義務教育の年限ぐらいは各市町村で決めておけばいいと考えていたが・・・。例えば最低賃金はどうお考えか。

(座長)

最低賃金は道州ごとで基準が違ってもいいのではないか。労働者の保護という観点で最低賃金、労働基本権は共通して保障しなければならないが、その時間や金額などの中身は道州ごとで判断すればいい。

(山下委員)

道州ごとに最低賃金を保障する何らかの仕組みや制度を作るが、最低賃金の内容は全国一律にはならない・・・。

(座長)

道州間の協議というのは、条約のような個別具体的な権利義務を課すような話ではなくて、基本的には政策方針を話し合うレベルではないだろうか。だからこそ、全国共通と括っている意味があって、その後は各道州が相互に調和的に議論を進めるかに委ねられ、多少の足並みが乱れてもそれが自治というものではないだろうか。それが民主主義のリスクでもある。

(山下委員)

全国共通事務をメルクマールの方から考えていくよりも、具体例を挙げて考える方がいいのでは。例えば、義務教育の中でも、全国共通事務と地域振興事務とに選別していくイメージの方がいいのではないだろうか。

(玉岡委員)

そういった方法で「1+1=3」の形を具体的に示していければいいのではないか。

(山下委員)

事務を市町村から積み上げていった場合、市・道州・国がそれぞれで事務を担うことになるが、事務を遂行する上である程度の擦り合わせが必要なものを全国共通事務とし、その摺り合せは関西州と中四国州のような隣り合った州の単位で行うものもあるだろうし、全国の道州が共通せねばならない擦り合わせというものもある。いくつかの場面を想定するというイメージになるのでは。

(玉岡委員)

道州間の関係は緩く考えることが議論の前提だが、例えば競争と協力という関係で考えると、道州が独自で行う事務については他の州よりも勝っているところをアピールし(競争)、全国共通事務は協力して取り組むものというイメージである。

(山下委員)

隣り合った道州や2、3の道州の間では、かなり細かいところまで共通性が図れ、また共通条例みたいのものを策定するようなイメージも出来る。しかし、全ての道州を対象とした共通条例を策定する場合は、細かな執行基準や執行手順は決めない方がいいかもしれない。ただ、共通の目標や方向性、或いは大きな政策レベルのようなものは道州相互で共通しておいた方が望ましい。事務を市町村から積み上げれば、こういうイメージになる。

(座長)

全国共通といった場合、北海道から沖縄まで共通というものについては、基本方針とか枠組みだけの共通政策を策定するのが原則で、その後はそれぞれの自治に任せる。

その一方で、共通条例的なものは、いくつかの地域間で相互の利益を考えて成立をしないといけない場合を考えると、隣り合わせになっている州においては通勤・通学、環境規制等々で共通の条例を作った方がいい。北東北3県で同じような廃棄物処理場を作っているが、そういうケースは有りうる。こういう整理の仕方でいいと思う。

(山下委員)

こういうイメージは市町村と道州の間でも同じようにイメージできる。市町村が条例や計画を策定する場合、隣り合った市町村との擦り合わせや調整が必要であり、場合によっては共通条例を作る。

ただ、問題は共通条例を作る際に、それに賛同しない市が出現した場合だろう。

(中井委員)

現状の都道府県体制では、どこの都道府県も同じような事務をこなしているだけで、特色が出ていない。大阪府としての一つの問題は、隣接している兵庫県のことを何も知らないというのを議論のスタートにした。仮に、47都道府県のデータがあったとして、それぞれの平均値を出しても他府県の動向を全然知らない。しかし、大阪府は霞ヶ関と繋がっているから、霞ヶ関の言うとおりにしているとすれば、気がついた時には隣の県と同じことしかしていないということになる。本来は各都道府県での施策に違いがあるにも関わらず、隣接している他府県のことを何も分かっていない。これが、議論の根底にある。

道州制が導入されて全国を10のブロックに分けた場合、国は指針を述べないことから、各都道府県はデータの平均値を物凄く気にするようになる。これを義務教育を例に考えると、ある州が9年を10年に変えた場合、これを他の州が問題視するか否か大きなポイントになる。その際に、競争と協力の問題が発生し、ある州が義務教育を10年にした場合、他の州もこれに歩調をあわせるのか、或いは方向性の違いでこれに協調しないのか、こういった問題が出始めた時に他の州の動向を気にするようになる。国から権限を移譲される以上、これまでのような画一的な政策展開ではなく、独自性を出していくことが求められる。道州制を考える上で、このような考え方をうまく伝えていかねばならない。

道州間の協議の中でうまく纏まらなければ国に事務を返すという考え方は、望ましくない。先程も話しが出ていたが、地方は国有財産の管理以外、何でもできる能力を兼ね備えている。しかし、どこまで権限を移譲するかという際に一番注意しなければならないのは、国が手におえないような事務ばかりを移譲されることは避けなければならない。

また、これまでの議論は連邦制を踏まえながら道州制について考えてきたが、今の国・都道府県・市町村の関係を考えると、形としては瓢箪型で都道府県は瓢箪の真ん中部分の仕事・意思決定をしている。私が知る限り連邦制をとっているオーストラリアでは‘ひし形’で、州が膨大な仕事をこなし意思決定も行っている。しかし、そもそも連邦制と道州制は全く違うものであることから日本の構図を考えると‘ひし形’ではなく‘長方形’を目指すべき。現行では都道府県の役割が瓢箪の真ん中部分になることから、道州制導入後は国から移譲されるべき事務を地方が担い、国と道州、市町村の関係を‘長方形型’にしなければならない。決して‘ひし形’にしてはいけない。‘ひし形’では市町村が脆く崩れてしまう。ある人が、目指すべき姿は‘三角形’ですかと聞いてきたが、現行でも市町村は膨大な量の事務を行っており、それだけの能力を兼ね備えているため、道州制導入後しばらくはそのような形になるかもしれないが、最終的には市町村の事務もある程度は道州や広域連合に任していかねばならないだろう。一番気がかりなのは、市町村が事務を抱えすぎることだ。

今、国が何をしているのか正直なところ見えてこない。霞ヶ関は何かしらの意思決定を行っていることは分かるが・・・。つまり、何が言いたいかと言うと、国の事務を何でもかんでも移譲することが道州制の目的、狙いではない。本日の議論で言えば、国専管事務として、国の責務をきちんと果たしてもらうべき事務は多くあるということも考えておかなければならない。年金問題にしても、国の果たすべき役割が大きいものは道州制導入後にも必ず残る。国でしか担えない仕事は、道州制導入後も国が責任をもって事務を遂行する。そういう考え方も必要ではないだろうか。

(座長)

現実問題としては、そういう方向で議論が進められていることから、中井委員の意見も理解できる。

(中井委員)

企画立案では失敗が見えない。執行をして初めて失敗が見えてくる。今の国は都道府県や市町村が失敗すると決め付けている風潮があるが、国が企画立案をし執行をしてきたことによって大失敗をしてきたものが多くあることに気付いた。年金問題がその最たるものである。事務を執行するには常に失敗が伴うが、例えば橋本元総理の行政改革は北海道拓殖銀行を破綻させるなど大失敗に終わった。その責任を誰も問われていない。故に、企画立案というレベルで失敗は見えにくい。年金の給付、生活保護の認定などはすぐに失敗が見える。

(座長)

道州制導入後は逆に大きな国を目指し、国家的な事務は国が一貫して担い、道州も市町村も極力仕事はしないという手もあるかもしれない。なんとなく米国の市町村みたいになるが・・・。

(山下委員)

国の専管事務は限定列挙するというのがこれまでの議論の流れだが、当然に国が担うべき事務は国が担う、国がすべきことまで道州や市町村に押し付けるのは望ましくない。

資料2-(1)の地方委託事務の取り扱いは、効率性から考えれば理解できるが、そう望ましいものではない。国の事務は国が企画立案から執行まで全て国がすべきという発想が大事なのではないか。要するに、政策作りと執行のレベルを国と地方で分けられること自体が問題だと認識する必要がある。

(座長)

基本的な考え方として、企画立案と実施を分けないことが大原則であるため、それぞれの段階で事務を完結する。それでも調整をしなければならない時は企画立案と実施を一体化して役割分担を考える方が望ましい。

(中井委員)

座長がおっしゃったように、国の事務として残るのは国有財産の管理ぐらいで、残りの事務は道州・市町村で何でもできるという考え方には賛成だが、これまでの議論は、国をコンパクトにするということと、国の関与を極力排除するとう考え方が前提になっている。しかし、市町村がどこまでするべきかという議論について、企画立案と実施を前提に考えていかねばならない。

(山下委員)

企画立案と実施を分けると、企画立案した方が実施をする方に関与するという図式に必ずなってしまうため、それはいいことではない。

(玉岡委員)

企画立案と実施、これにセットでお金の話も今後は議論していかねばならない。

(中井委員)

道州制導入後の意思決定をする場合、現在、自民党や公明党を含めた霞が関で行われている国会議員に対する根回しを今度は、道州でしていかねばならない。今の地方議会の保守があるような、議会に政党の色がないような状態からは全く違う議会運営が予想される。また、与党の政策会議に道州の職員は参加をし、大臣クラスとの折衝が行われる。地方に権限を移譲するということは、地方の職員にもこれまで国の官僚が行ってきたような根回し等が必要になる。

つまり、国の実態を知らなければ、どういう権限を地方に移譲するか議論できない。方向性としては、企画立案と実施をセットとして能力のある市町村に移譲することが前提だが、どこまで市町村や道州が事務をするのかは別の問題として考えていかねばならない。

(座長)

先ほど山下委員からご指摘があったように、事務例として挙がっていたものについて、市町村や道州で何でもこなすことは可能であるが、国で果たすべき役割についても研究会としてどう考えるかが大きなポイントになる気がする。

国有財産と国家公務員、最高裁判所は現行制度のままでいくしかないかもしれないが、それ以外は国・地方のどちらが事務を担ってもいい。但し、先ずは国の方で責務を果たすという事務があってもおかしくない。

(事務局)

企画立案といった時に、その中身についてどこまでが企画立案なのか判断が難しい。

(山下委員)

先ず、「事務」という単位がわかりにくい。もう一つは、事務の区分といった時に、地方自治法にもメルクマールが入り、また自治事務と法定受託事務に関してもメルクマールをという話になっているが、具体的な事務配分というのは結局、個別の法律で決まっているから、そういう意味で事務区分をどういう形で決めていくか、基本法を作って国の仕事を決めることはできるとしても、それが行政活動のどこまで縛れるのかが大きなポイントである。逆に道州や市町村がどんな事務でもできると考えてきたが、法律や道州の条例で市町村や道州がすべきこととされた場合でも、その事務を市町村や道州ができないと意思表示することが出来るのか。特定の仕事を義務付けられることをどこまで認めるのか。例えば、国が道州の事務配分を法律で決められるのか。或いは、道州が市町村の事務を条例で決められるのか。前者も後者もその事務をどこまで義務付けられるのかについても考えねばならない。

それを裏返しに言えば、義務付けはよくないから止めようといった時に、ある事務に関してやるところとやらないところが出てきても構わないのか。市町村から事務を積み上げたときに、市町村間である事務について対応するところとしないところが出てきた時に、それは自治ということで認めるのか。

(座長)

今、議論しているのは、山下委員がおっしゃったように、ある事務についてこれは移譲して欲しい、これは移譲して欲しくないという議論を市町村から働きかけるべき。そういう議論をできる手順や仕組み、それを国と道州の関係で言えば、現在、国で担っている仕事でも道州に事務配分することが望ましいものはきちんと言える仕組みを作り、逆に道州が担っていて国の事務として望ましいものは国に税源も移譲するという話ができる仕組みを作らねばならない。

(山下委員)

今の仕組みとしては、既に法律で都道府県に義務付けられた事務を、そのまま市町村に義務付けた上で移譲することになる。道州制の導入後にこれをどう変えることができるのかというのが問題。

市町村からすると、本来どのような事務を担うのかは概括的授権のはずで、「やりたいと考えればできる」というレベルである。もちろん、日本の市町村は事務処理能力が高く、総合的に行政を担い得るという前提ではあるが、法律で特定の事務を一方的に市町村に義務付けるのではなく、まず「やる・やらない」の判断を市町村に委ねるということがなければならない。

道州制下において、誰が・どこで・どういう形式で事務配分を決定するのであろうか。そういう機関が必要になるのか。

(座長)

それは一番はじめに議論していたように、協議の仕組みをどう作るかという枠組法の問題となる。

分権型の道州制、市町村制を実行するという以上は、とにかく市町村の自治を市町村自身が考えていくことが出来る枠組み、仕組みというものが必要。市町村相互で議論ができるような場については、基本的に参加することが国民としても義務になる。しかし、そこから先は個々の市町村、道州の個別判断に委ねられる。

(山下委員)

市町村が対応しない事務は道州が担うというような、協議の仕組みについて考えた方がいい。

(座長)

そこで逆に、これは絶対にやらないといけないものを道州条例で市町村に義務付けると言い始めると、それに違反すればどうなるのか。

(山下委員)

それだと現状の仕組みと変わらなくなる。

(事務局)

現状から考え方が脱し切れていない観がある。イメージが掴みにくい。例えば、義務教育について、我々の従来の考え方では義務教育は法律で決まっていて、それを担うのが例えば市町村とすれば、年限や基準はどのレベルで決めるのかという発想になってしまうが、今の話しでいくと、どういうところで誰がどういう風に決めていくのかというのがイメージし辛い。

(座長)

具体的に言うと、例えば憲法で教育を受ける権利が保障され、これは国民的にも守らねばならないが、それをどういう風に実現するかということは先ほどの手順で考えると、先ずは市町村がこの義務教育について議論をする。その中で、市町村レベルで基準を決められないので、実際の教育はしても義務教育の年限など枠組みだけは道州で決めて欲しいと投げかける。そうすると、道州は個々の道州で決められないものを横の繋がり、つまり各道州間で相談をする。それでも決められないものは、国に委ねる。そういう議論ができるような仕組みを先ずは作っておくことが大事である。

(山下委員)

ボトムアップ型の積み上げだと、そういう形を取るしかないのだろう。

義務教育は憲法上の義務だから、どのレベルの政府かというのはともかく、政府として行うべき責任の範囲ということになる。では、義務教育を何年にするかということについては、先ず市町村に議論の第一次的な優先権がある。それぞれの市町村で義務教育の年数を考え、なかなか決められないという場合は道州に投げかける。そういう形をイメージしている。

(事務局)

市町村が道州に答えを委ねずに、義務教育を8年にするというところが現れた場合、それは問題ないのか。

(座長)

それは構わない。しかし、他の地域で義務教育を12年にするところが現れれば、8年の地域に子どもがいなくなる可能性はあるが・・・。

(山下委員)

道州制導入後は、国の動きに一喜一憂するのではなく横の動き、つまり他の市町村の動きを観察するようになり、その時に調和を図るか否か市町村が判断をすればいい。

(座長)

競争と協調は自治の中に十分働く。別に、そういう議論を白紙から始める必要はなく、現行の法律や義務付けがあり、一定の国民的コンセンサスがあることから、それの発想を変えてどういう風に処理したらいいか議論できればいい。

現行の制度で基準だけを横に移し、仕組みをボトムアップすればいい。

(山下委員)

仕組みを変えるときはボトムアップでしか変えられないようにしておく方が望ましい。

(座長)

近い将来、国際社会の中で国家的な役割が変わってきた場合、国から何か発議をしたいという議論が出た場合、どうするかという問題は残るが、それはもう少し後になってから考えましょう。

(山下委員)

少し話は変わるが、私が資料2-(1)でどうしても気になるのは危機管理の部分なのだが、危機管理はどういう位置付けになるか、少し特殊なイメージでもあるが・・・。これに関連して、警察は活動で考えるより組織で見た方がいいのかもしれない。警察という組織をどうすればいいか判断が難しい。

(座長)

先ず、防衛問題に関しては、国の責務という考え方で止むを得ないのではないか。ゲリラ・テロの問題については、国防と治安警察の両方が必要となる。警察は、国家警察と地方警察の両方が必要ではないだろうか。犯罪の広域化が問題になっているが、現在でも実際の犯罪捜査では各都道府県警の横の繋がりで情報交換を行っており、警察活動自体は現場レベルでの協力関係は構築できている。このため、それを警察庁から事務を移譲してというような関係ではないことから、情報通信やコミュニケーションさえしっかり取れておれば、問題ないのではないか。

(山下委員)

日常の治安維持的な警察活動に関しては、市町村が対応するという形も可能だろう。例えば、スピード違反の取り締まりは市町村で十分対応できる。

(座長)

交通警察は市町村レベルの方がいいのではないか。ただ、大規模なテロ、ゲリラに対してはどうするか。それから、麻薬の取り締まり、組織暴力への対応という問題はあるため、それに対しては道州警察というものがあって横に繋がっているというイメージがいいのかもしれない。

大規模災害時の相互応援はどうするのかという問題に関しては、その時に国がたくさんの資材を持ち集中的に供給できる体制がいいのか、それとも道州間の相互応援がいいのかは、また議論が必要であろう。

(山下委員)

大規模災害・テロ・戦争といった危機管理的なものを事務区分に入れておいた方がいいのか、こういったものは極めて特殊なものであることから、一般的な事務区分とは別に考えておいた方がいいのか、そこの議論が必要。警察に関しては莫大な費用を要することから、どこの市町村も抱えたくはないかもしれない。但し、市町村レベルで警察を作りたいというところが現れた時に、それを認めるかどうかは問題である。

(座長)

市町村で考えると、駐在のレベルでいいということになれば、市町村警察があっていいかもしれない。

(山下委員)

警察の場合は、警察官の人数は標準定数であるとか、人事・身分など非常に特殊な体制になっているのを、どこまで崩せるかがポイントとなる。

(中井委員)

標準定数に追加している部分について議論はできるのかということを、前大阪府知事時代の行革担当者に尋ねてみたが、これは行革対象ではないと言われた。しかし、教育委員会については多少議論が出来るなど、そういう実態が全く分からない。

(座長)

法律上は標準定数の追加分を触れない訳ではなく、追加分はそれぞれの公安委員会の判断、裁量で決定し、予算は議会の議決を経るため、標準定数の増減は各自治体で決められる。ただ、警察組織は自分たちを強力に守ろうとすることは事実。警察組織にはなかなか手を付けられないという歴史もある。

(山下委員)

同じ行政委員会の下にあるといいつつも、教育委員会と公安委員会、警察との違いを言うと、警察という組織が自立をし過ぎてしまっている。身分・人事・その他を含めた縦の繋がりの強さを道州制にすることによってどこまで普通の行政組織に出来るのかと言われると、なかなか答えがでない。

(座長)

少なくとも国家公務員の身分と警察庁、国家公安委員会はなくなるという前提で考えると、道州警察がそれぞれ自立的に警察活動をする、但し道州間協調は必要なので、きちんと横の連携で連絡は取り合うという仕組みを原則に考える。

(山下委員)

今でも広域捜査でそのような対応を行っているので、全く問題はない。横の連携で出来ないはずはない。

(座長)

逆に言うと、警察庁みたいな組織が本当に必要なのかという議論にもなる。例えば、科学警察で研究をするというレベルになると必要かもしれないが、それは全国の道州警察が費用を負担しあって独立行政法人のようなものを作ればいい。

(山下委員)

警察と消防の取り扱いは難しいが、消防は市町村の管轄であるけれども、広域防災の体制作りというところで、本当に横の連携だけで対応できるかどうかというのは少し気になる。

(座長)

消防に関しては全国的にも事実上再編されているところもあるので、それについては少し考えなければならない。都道府県に1消防とか3消防という話しもある。

(山下委員)

そういう意味で警察・消防・自衛隊・国家警察の扱いは少し慎重に考えねばならない。特殊な危機管理体制の構築みたいなところで考えた方がいい。

(座長)

それ以外のものは地方が考え、どうしても事務を執行したくなければ国に任せるという発想でいいと思う。

(山下委員)

特殊な事務事業を考えて仕組みを作るのはいいことではなくて、普通の行政活動でイメージをして、そこからはみ出るものも多少あっていいというぐらいの制度設計が望ましい。

(座長)

殆どは普通の行政活動で治まることから、見切り発車でも構わない。

(山下委員)

話は少し変わってしまうが、資料の中で河川管理の話しについて、小規模なものは市町村対応、大規模なものは道州対応という風に示されているが、河川管理は分けた方がいいのか。

積み上げの議論で言えば、市町村の連携では対応できないものは道州に委ねるというイメージなのだが、そういうイメージが資料からは伝わってこない。

河川管理は市町村で対応できると言いつつも上下流の差などがあり、一つの市町村や市町村の連携では対応しきれない部分を道州に委ねるという話になる。しかし、道州に管理を委ねるとしても市町村がそれにどういう形で関わっていくかという問題が出てくる。

(座長)

単に、河川の本川管理をどうするかという議論ではなく、流域を一体として空間的に管理をしていくというのが前提にあり、その中で各市町村がすべきことやしたいことが必ずある。例えば、都市計画とか内水面管理は市町村が対応する。但し、それは本川管理の議論と重なるため、そこは道州と市町村が協調して本川管理をしっかりしなければならない。こういうことは市町村の横の繋がりだけでは難しいため、全体としての戦略を立てるときに道州に入ってもらい、道州の専門知識を持った部隊が本川管理はしっかりやってもらう。そこの戦略計画は両方で一緒に作る、そういうイメージである。

(山下委員)

一緒に作ると同時に、道州の政策と市町村の政策の間の調整が必要であろう。

(座長)

河川区域の堤防の問題や管理については、地元の市長村の要望を新しい戦略や計画の中で調整していくということになる。

京都鴨川の景観に関して新しい条例が出来たが、京都市の景観条例で規制されている部分と鴨川から見た時の景観というものがうまく合わなかった。本当は鴨川の整備と鴨川から見える景観を一体的に大事にするという議論を行っているのだが、京都市の景観条例上は別の話になってしまう。この部分をうまく摺り合わせる方法を考えたが、双方に何の義務も発生しないため中々うまくいかない。

(山下委員)

それを道州制に当てはめると、道州という組織内の調整の話しが出てくるだろし、市町村の政策との調整の話が出てくるというイメージになる。

(座長)

市町村が頑張って出来ることは全て担う。しかし、単一の市町村が出来ないことを隣接する市町村と話し合い、それでも出来ないことを道州に委ねるというところで、調整の義務が市町村側に発生する。

(山下委員)

調整の義務が市町村側にあればいいのだが、義務付けられた市町村が逆に調整をして欲しいと道州に依頼した場合、嫌だと言えない状況も考えられる。

資料2-(3)の役割分担で描いてあるのは理解できるが、総合的な河川管理は道州に任せるというのはいかがなものか。市町村からボトムアップしていくという事務配分のダイナミックさが必要ではないか。河川管理の主体は道州とされているが、道州だけが河川管理を行うのではなくて、色々な形での政策間調整が必要であり、そのための仕組みをぶら下げた河川管理だということを描けないものか。今日の資料では従来型のフレームで、道州が出来た時に国が担っていたものを単に道州に移譲しているだけに思えてしまう。今のイメージでは事務なり権限の付け替えに過ぎない。そういうものではなく、うまくイメージを膨らませられないか。

(玉岡委員)

議論の中で‘移譲’という言葉が出てくるが、例えば、大学生の単位は取得するものであって受領ではない。権限は移譲されるものではなくて獲得するものである。そういう観点から事務の積み上げを行わねばならない。

(座長)

事務の再配分をする話しではなく、国民・住民・市民が自ら自治をしていくことをどう具体的に組み立てていくのか。その中で、先ずは市町村という身近な自治の中で何を解決していこうとするのか、市町村の連携の中で何が解決できるのか、そしてそれが出来ないときに道州がどう解決するのかを考えねばならない。そういう観点が入った中でこの河川管理を道州が担うという話が出てきた時に、初めて相乗効果が認められ、また道州制を導入した良さが出てくるということになるだろう。そんな風に、イメージできないだろうか。

(山下委員)

道州の事務になるとしても、その事務を全て道州が囲い込むのではなくて、もう少しオープンな調整システムを内在させるということを入れておかねば、道州と市町村との関係が分権型にならないのではないか。

(座長)

そのご指摘は道州と国との関係でも言えるだろうし、市町村と道州の関係にも言えることである。常に、市町村や道州の側から政策提案や制度改革提案、或いは改めての企画・執行のあり方の組み換えというものが出来る、それから現場的には政策調整が出来る、そういう仕組みは作っておかねばならない。ある意味で、レベルが違ったもの同士での新しい政府間関係というかマルチガバナンスという話はしておいた方がいいかもしれない。

結果的に、資料のような事務配分になっていい訳だが、これを作るプロセスであるとか、これが機能していくプロセスを立体的に描くということである。

(玉岡委員)

絵に描いた餅に終わらないようにということ。

(事務局)

ご指摘のとおり、今の国の事務配分と組織のあり方から出発してどういう風に変えるかということでイメージをしているので、市町村からボトムアップした時にどうなるかというものを作らねばならない。

また、役割分担を決め付けすぎている部分があるので、もう少しダイナミックに変われるように、事務配分については再考したい。

(座長)

そういう理想の仕組みを一方で見据えながら、どちらにしても現状から変えていく話になるため、ステップとしてはそう難しくはない。そういうことを組み込めば、最終報告では荒唐無稽の話にはならないと思う。

<日程調整>

→調整の結果、次回の研究会は次のとおり決定。

第10回研究会
日時:7月1日(火曜日)午後6時から午後8時
場所:大阪府公館

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