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南河内のため池(寺ケ池)
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誕生のひみつ 寺ケ池(てらがいけ)
河内長野市最大の寺ケ池は、深いことでも知られ干ばつのひどい年でも池底を見せたことのないため池として有名で、滝畑ダム下流の石川から8キロメートルにもおよび長い水路を利用して水をたくわえています。
寺ケ池が誕生したのは、慶安2年(1649年)徳川幕府の「年貢制度」が強化された江戸時代でした。多くの水をたくわえるために行われた池の工事は、大きな水圧に耐えるよう、堤防の中央部にふくらみを持たせるなど工夫がされていました。また、もう一つの大きな工事は、曲がりくねった山の斜面を切り開いてつくった長い水路です。
現代のような測量機器や建設機械もない時代に、いったいどのようにして水路をつくったのでしょうか。伝えられているところでは、夜になると水路予定地にちょうちんをたて、遠くから眺め、その高低差を測って掘り進んだと言うことです。池の完成で米の生産量は一気に百倍になったといわれています。
静かに、なみなみと水をたたえる池を前にすると、16年の歳月をかけ、のべ4万人の人々の力によって完成させた当時の苦労がしのばれます。
現在、寺ケ池の周辺は住宅地が広がり、寺ケ池公園の一部として季節ごとに美しい水辺の風景を生み出し、訪れる人の心を和ませてくれます。