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南河内のため池(教えてため池)
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質問一覧
- 「大阪府にあるため池を全部集めると、その面積と水の量はどれくらいになりますか?」
- 「ため池の多いほかの都道府県を教えてください。」
- 「ため池はどのようにしてつくられましたか?」
- 「ため池の構造を教えてください。」
- 「ため池の歴史を教えてください。」
- 「ため池の水辺の植物の名前を教えてください。」
- 「ため池で最も種類が多くみられる昆虫はなんですか?」
回答
「大阪府にあるため池を全部集めると、その面積と水の量はどれくらいになりますか?」→質問一覧にもどる
府下にあるため池の総面積は2,500ヘクタールで、甲子園球場の約630倍。貯水量は7,300トンで、海遊館の大水槽の13,000杯分の水の量となります。
「ため池の多いほかの都道府県を教えてください。」→質問一覧にもどる
次の通りです。この資料は農林水産省のホームページからの転載です。
「ため池はどのようにして作られましたか?」→質問一覧にもどる
私たちの先祖が稲作などに必要な水をたくわえるために、山あいに堤防を作って川などをせき止めてつくりました。平野部では囲むように堤をに作り、そこに川から水を引き込んで水を貯えました。
「ため池の構造を教えてください。」→質問一覧にもどる
- 堤体(ていたい) 水をせき止めます。
- 刃金土(はがねど) 水が漏れないように粘性土でできています。
- 余水吐(よすいばけ) 大雨の時、溢れないように安全に水を流すための水路。
- 斜樋(しゃひ)と底樋(そこひ) 水を池の外に流す口
「ため池の歴史を教えてください。」→質問一覧にもどる
今から約2千年前に中国から米作り(水田稲作)の技術が伝わりました。稲の栽培にはたくさんの水が必要で、最初は川の近くの湿った土地で作っていたのですが、限られた場所では収穫も少なく、川があふれたり、いろいろ問題がおこりました。そのうちに農作業をする道具や技術が発達してくると、川の水面よりも高い土地でも栽培が行われるようになりました。そのため必要なときにいつでも水を引いてこられる、ため池が作られるようになりました。
古墳時代になると、中国や朝鮮の稲作技術に日本の技術が合わさって、古墳と同じ方法で土を盛り固めて作るため池が登場しました。大和朝廷や豪族たちは、こぞって古墳や大きなため池作りました。古墳では仁徳天皇陵(堺市)、またため池では狭山池(大阪狭山市)がその時代の代表的なものです。
飛鳥、奈良、平安、鎌倉時代になって荘園ができると、重い年貢米(お米で納める税金)に苦しむ農民がたくさんでてきました。それを見た「行基」「空海」というお坊さんたちは、少しでもお米がたくさんとれるようにと、ため池を作る技術を広めました。久米田池(岸和田市)は、行基によって作られたものです。
現在、全国にあるため池の半分以上は、それから後、江戸時代に作られたものです。
狭山池博物館のホームページは大阪府立狭山池博物館のページ(外部サイトへリンク)から。
「ため池の水辺の植物の名前を教えてください。」→質問一覧にもどる
たくさんの種類が生えているため池と、少しの種類しか生えていないため池、さまざまです。背の高い水生植物だけでなくヒシやエビモ、クロモなどの背の低い水生植物がたくさん生えている池は汚れが少ない水のため池です。でも反対に種類が少なく、ガマやマコモなど背の高い水性植物しか生えていない池は、水が汚れているため池です。
「ため池で最も種類が多くみられる昆虫はなんですか?」→質問一覧にもどる
トンボの仲間です。ヤゴと呼ばれる幼虫時代に水中生活をするトンボは種類が特に多いです。ため池の多い岸和田市では43種類のトンボが見つかっています。トンボの名前は、「田んぼ」からきたという説もあります。