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南河内のため池(寺田池)
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河南台地のため池誕生 寺田池(てらだいけ)
大阪府の南東、金剛・葛城の山々に抱かれた河南町は、豊かな自然環境に恵まれた、農業の盛んな町です。
しかし、町の中心部となっている河南台地は、昔から清流が流れる山手の土地とは反対に、夏になると日照りに悩まされ、稲作に必要な水を確保するのに苦労した土地でした。
「月夜でも田が焼ける」と言われたこの地で、人々は田植えに備え春、青い麦を刈り取り、青いナタネをとったすぐあとに田んぼに水を入れ、かんがい用の水を節約したそうです。
また、村人の中には水源である水越川の水が自分たちの田に流れるよう、夜中に命がけで上流にある「水落の落としの木」を切りに行く人もいたとか。こうした中で、河南台地に住む農家の人たちは、江戸時代の初め頃から多くの資金と労力を費やして大きなため池をたくさん作りました。
その結果、河南台地では一年中豊富な水が使えるようになり、人々はよりいっそう生産にはげみました。この時にできた代表的なため池が「寺田池」です。
寺田池は寛永元年(1624年)に作られ、元禄11年(1698年)に大きく広げられました。現在の寺田池は昭和56年から63年の8年間で堤などの改修を行い、平成4年に府内オアシス整備第2号(第1号は羽曳野市の伊賀今池)として現在の姿になりました。
全景
受益農地の一部
(冬場なので水稲作付け状況がわかりません。すいません)
役場側から眺める
西堤から眺める
現地に建てられた説明看板
水面を泳ぐ水鳥たち
〈寺田池諸元〉
堤高 5.1メートル
貯水量 35千トン
満水面積 0.2ヘクタール