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更新日:2024年5月28日

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連載コラム「大阪のだし」 第8回 (平成24年12月13日掲載)

「しまつ・だしがら・大阪人」 ご寄稿いただいた方:高島 幸次 さん

「だし」について論を立てるのは難しい。うま味は個人の好みなのだから、万人が納得できる論を立てる自信がない。そこで「だし」ではなく、「だしがら」について論じる。

まずは、古典落語『寄合酒』から。

町内の若い者(もん)が互いに肴を一品ずつ持ち寄って酒を呑むことになった。それぞれが不適切な方法で、鰹節や、鯛・数の子・棒ダラなどを調達してくるのだが、それぞれに間抜けた調理法でせっかくの食材をダメにしてしまう。例えば、鰹節担当の男は「だしをとってきた」とザルに盛った「だしがら」を差し出す。

「アホか、これはだしがらやないか!これをぐらぐらっと煮た汁はどうしたんや?」

「えーっ、あの湯ぅも要るのんか?あのまま放るのはもったいないから、源さんがフンドシを洗うて、そのあと痔のお尻を温めてるわ。」

というやりとりで笑わせるのだ。

落語では、「そんなアホな」の勘違いより、「さもありなん」の誤解のほうが笑いは大きい。『寄合酒』の場合も「だしがら」のほうが大切だという誤解が、「さもありなん」だから面白いのだ。

これは鰹節に限らない。昆布や炒り子(煮干し)も、「だし」より「だしがら」のほうに存在感がある。そこで、「だしがら」の利用に知恵を絞ることになる。この知恵を大阪人の専売特許だと決めつけるつもりはないが、限りなく大阪的な知恵であることは間違いないだろう。

当連載コラムの第三回「大阪料理と大阪のだし」においても、畑耕一郎さんが、「鯛も、造りや焼きもんにするだけでなく、アラはごんぼと炊きましょか、骨は潮汁にしましょうか、と丸ごと味わう。大阪では、うなぎの半助も、焼き豆腐とあわせて鍋にしてきました。」と話し、大阪料理の特徴は「しまつ」して、とことん味わいつくすことなのだと説いている。「だしがら」の再利用は「しまつ」の極意といって良い。

そういえば、高田郁さんの『みをつくし料理帖』も、その第一話は「ぴりから鰹田麩」がテーマだ。大坂で育った主人公の澪(みお)が、江戸へ出て料理人として成長する様子を描く人気の時代小説シリーズだが(7巻28話まで刊行中)、その冒頭に「だしがら」を調理した「鰹田麩」を配するなんて、高田さんは心憎い作家だ。巻末付録のレシピによれば、「だしがら」を十分に天日で干し、すり鉢で程よくすったあと、鍋で炒りながら醤油・酒・水飴で味を付け、最後に七味唐辛子、炒り白胡麻、鷹の爪を加えるのだという。

同様の工夫は、鰹節だけではなく、昆布や炒り子にもみられる。昆布の「だしがら」は佃煮や塩昆布に生まれ変わり、炒り子だって素揚げすればオヤツに、ミキサーにかけてレンジでチンすれば立派な振掛けに変身する。

このような「だしがら」を捨てるのはモッタイナイ。「だし」を引いたあとに「だしがら」を再利用しなければ、真の大阪人とはいえないのだ。

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高島 幸次さんのプロフィール

高島幸次さんの画像

高島幸次(たかしま こうじ)

1949年大阪生れ。

大阪大学招聘教授。大阪天満宮文化研究所員、本願寺史料研究所委託研究員、NPO上方落語支援の会理事などを兼務。

日本近世史専攻。

平成24年度大阪市市民表彰(文化功労)。

毎年の天神祭にはTV出演などにより様々な情報を発信、また文化フォーラムや落語会などを数多く企画している。

主著に『大阪天満宮の歴史』(思文閣出版)、『天満宮御神事御迎船人形図会』(東方出版)、『天神祭―火と水の都市祭礼―』(思文閣出版)、『大阪の神さん仏さん』(140B)など。

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