ここから本文です。
連載コラム「大阪のだし」 第11回 (平成25年1月31日)
「お好み焼きに、こだわりの“だし”あり」 お話いただいた方:土屋 雅昭 さん
南北約2.6kmの長さを有する天神橋筋商店街は、日本一長い商店街として有名だ。昔ながらの古風な専門店や、驚きの安値を付けた品々が並ぶショップ、そして、安くて美味しい飲食店など約600店が建ち並ぶ。近くには、天神祭で有名な「大阪天満宮」、落語専門の定席「天満天神繁昌亭」、江戸時代の日本の物流拠点「天満青物市場」を引き継いだ「ぷららてんま 天満市場」、「大阪くらしの今昔館」などもあって、連日、地元の人から外国人観光客まで、多くの人で賑わっている。
そんな天神橋筋商店街の南端、大阪天満宮から歩いて2分ほどの場所に、「お好み焼き 甚六」はある。
店主の土屋さんは73歳。天神橋筋で生まれ育った土屋さんが、安くて新鮮な食材が手に入る「天満市場」が近くにあり、知り合いもいる天神橋筋商店街で物件を探し、「甚六」を開業したのは42歳のときだ。お好み焼きにはうるさい大阪人の間で、土屋さんが焼き上げる、ふわふわサクサクのお好み焼きは、あっという間に評判になり、以来、「お好み焼きの名店」として、繰り返し、グルメ雑誌や番組などに取り上げられてきた。
「甚六」のお好み焼きは、普通のお好み焼きと何がそんなに違うのだろう。
土屋さんのこだわりは随所に見られる。まずは、キャベツ。天満市場でその時期にごとに、産地を変えて、甘くてしゃきしゃきとしたものを選んで仕入れる。
「これからのキャベツは、ちょっとわるなりますんでな。」
春キャベツが出てくるまではしばらく硬いキャベツしかないそうで、土屋さんは残念そうである。
豚肉は、やはり天満市場の精肉店で特注したものだ。ちょうどお好み焼き一枚くらいの丸い形で、ロースとバラの部分がくっついたものを、厚めに切ってもらっている。
そして、こだわりの真髄は、なんといっても“だし”だ。
「いくらソースで味付けしても、基になる生地にしっかりした味がついてないと、美味しいお好み焼きにならん。」のだそうである。
土屋さんが丹精込めてとる“だし”は、鶏がらベース。胴体部分だけでなく、コラーゲンがたっぷり含まれる“とさか(鶏冠)”や“もみじ(足先)”も使う。これらを一度下茹でし、水を替えて、5時間ほど煮込む。途中、昆布、花かつお、しいたけ、人参、白菜、たまねぎなどを加えていく。これらの投入のタイミングが、「企業秘密」なのだそうだ。
こうして、じっくりとった“だし”は、ゼラチン質が豊富で、常温では、堅いゼリーのように固まってしまう。土屋さんは、このゼリー状のものを湯煎し、薄力粉、塩、酒、生姜汁を練りこんだものを、「タネ」として使っている。
驚きである。こんなに手間ひまかけてお好み焼き用の“だし”をとっているなんて、これは、「甚六」さんだけが特別なのではなかろうか、と私は疑った。
「こんなにこだわって“だし”をとっているお好み焼き屋さんって、他にあるんですかね?」
土屋さんは、あっさりと断言する。
「うちみたいなやり方でとっているとこはないでしょうけど、そりゃ、どこのお好み焼き屋でも、“だし”にはこだわってると思いますよ。」
・・・・・そうだったのか。
私は、お好み焼きというのは、ソースが味の決め手なんだと思っていた。もちろん、いつも使っている市販のお好み焼き粉に、かつお節やこんぶの粉などが入っていることも知っていたし、外でいただくお好み焼きの生地に下味がついていることも知っていた。しかし、お好み焼き屋さんにおいて、“だし”がこれほどまでに丁寧に扱われているとは思ってもみなかったのである。大阪のお好み焼きは、ソースの陰で“だし”が支える、実に奥の深い食べ物なのであったのだ。
深く感動しながら、土屋さんがお好み焼きを焼いていくのを見つめる。
まずは、小さなカップに細かく刻んだキャベツをたっぷり入れ、卵一個と、先ほどの「タネ」を湯煎して溶かしたものを大匙一杯混ぜる。小麦粉の量でいえば、たった大匙3分の1ほどでしかない。こんな量で、キャベツがくっつくのか心配になるが、
「この、キャベツと粉の割合が大事なんですわ。」
と土屋さんは言う。
これらをざっくり混ぜあわせて、鉄板にひっくり返し、弱火で形を整える。その上に、丸い形のロース&バラ豚肉をのせ、さらに溶いた卵を広げる。それをひっくり返し、金属性の覆いをかぶせる。こうして、蒸すように焼くのが、甚六流。
しばらくしてから覆いをとり、さらに何度かひっくり返して、表・裏を色よく焼いたら、次はいよいよソース。これも、なかなかに複雑な手順だ。
まず、からしを広げる。次に、ケチャップ、辛口のソース、そして更にマヨネーズを広げていく。これで終わりかと思いきや、最後に甘口のソースを広げてやっと終了。トッピングには、刻みのり。普通、お好み焼きには鰹節をのせるお店が多いが、
「かつお節は、生地のなかに入っているから、“のり”のほうが味わいが深くなるし、ボリューム感もでていいんじゃないかと思って。」
と、土屋さんは、既成概念に捉われずに、とことんこだわるのである。
「甚六」には、こんなこだわりのお好み焼きを食べに、たくさんの人がやってくる。俳優の仲代達矢さんも20年来の常連客だそうである。土日には、グルメ雑誌などを見て訪れる一見さんも多くなるという。私も、取材後、早速、予約を入れさせてもらった。
生地はふわふわなのにシャキシャキ感があり、厚めの豚肉が甘くて美味しい。ソースは思ったよりあっさりしていて、ほんのり利いたからしがほどよいアクセントになっている。のりの風味も、ソースとベストマッチ。でも、正直、私の舌には、だしの味は判然としない。が、きっと、このお好み焼きの美味しさを陰で支えているに違いない。“だし”とは、素材の味を引き立てる裏方でよいのだから。
土屋 雅昭 さんのプロフィール
土屋 雅昭(つちや まさあき)
「お好み焼き 甚六」店主
1939年、大阪生まれ。実家は天神橋筋6丁目にあり、天神倍筋商店街の中で育つ。
1981年に脱サラし、「お好み焼き 甚六」を開業。“だし”はもちろん、豚肉、キャベツなどに独自のこだわりを持ち、愛情こめて焼き上げるお好み焼きはまたたく間に有名となる。テレビ、新聞、グルメ雑誌などの何度も取り上げられる有名店。俳優、仲代達矢氏から贈られたのれんが宝物。
「お好み焼き 甚六」
定休日 月曜日
営業時間 [火~土]16時から23時
[日・祝]15時から22時
大阪府大阪市北区天神橋1-13-11
電話:06-6353-4816
だしの材料(一部)
だしと小麦粉などを混ぜた「タネ」。使うときは湯煎してどろどろの状態にして、キャベツと混ぜる。
「甚六」人気メニューの豚玉
文=日下部貴美子 写真=山田泰常・日下部貴美子