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連載コラム「大阪のだし」 第21回 (平成25年8月1日掲載)
「貝塚寺内町への愛と木津市場から生まれる日本料理」 お話いただいた方:山本 弘幸 さん
大阪泉南地域に位置する貝塚市で有名なものといえば、二色の浜海水浴場だろうか。色鮮やかな松林と白砂のビーチが約1キロメートル続く二色の浜は、春は潮干狩り、夏は海水浴、そして真冬以外はバーベキューが楽しめ、若者や家族連れに人気のレジャースポットだ。
しかし、貝塚市が浄土真宗の寺内町として古い歴史を持つことを知る人は、そう多くないのではないか。
貝塚寺内町は、室町時代末期に成立し、戦国時代、石山合戦によって一旦灰燼に帰したものの、江戸時代から明治までの250年以上にわたり、願泉寺住職卜半(ぼくはん)家を領主として自治が行われ、繁栄を遂げた。江戸時代に建てられた商家屋敷や卜半家家臣の住居が今でも数多く残っており、中には一街区を占める広大なお屋敷もある。
日本料理の名店「花祥」は、この貝塚寺内町に接するエリアにあり、南海電鉄貝塚駅から徒歩2、3分の距離だ。
店主の山本弘幸さんは、滋賀県の有名料亭で修行をしたのち独立し、この貝塚で店を開いた。というより、貝塚で店を開くために、料理人になった、と表現するほうが適切である。
「普通、料理人には料理が好きでなるもんだと思いますが、僕の場合は、貝塚の寺内町が好きで、町屋を残す見本となるような仕事がしたいと考えて、料理人の道を選んだんです。」
教員になるため東京の大学に通っていた山本さんは、帰省するたび、大好きな貝塚の町屋がどんどん壊されていくのを目のあたりにし、どうすれば歴史ある町屋を残せるのか、自分はこれからどう生きていくべきなのかを考え抜いたそうである。友人とも大議論を重ねるなか、たどり着いた答えが貝塚で料理屋を開くことだったという。
「遠くからでも人に来ていただけるような料理屋を貝塚でやろうと決めました。なので、料理だけでなく、建築設計のことも、禅の精神や茶事のことも勉強できるお店で修行させていただくことにしました。大学卒業式の翌日から下足番をすることになり、そう友達に話したら、呆れられましたね。」
5年間の修行を終えて、貝塚にオープンした「花祥」は、庭から、建物、内装に至るまで、全て山本さんがデザインしたそうである。
「ここの敷地は、貝塚寺内と同じ台形なんですよ。なので、寺内町にある桜や竹やぶ、神社などを、敷地内に同じように配置しているんです。」
山本さんは、仕入れから、仕込み、仕上げまで、調理の一切を一人で行っている。そればかりでなく、花も自分で活け、時には山に山菜や料理に付け合せる葉物などを取りに行ったりもする。
「確かに、僕は一人で店をやっていますが、僕一人で料理ができるわけじゃない。僕の仲間は、木津市場の人たちなんです。」
山本さんが、「花祥」を開いたばかりの頃、木津市場の昆布屋さんで、昆布を一箱ごと買おうとしたら、『なんでそないようけ買うんや、最低の1キロだけにしといて。保管が悪いとカビが生えたりするさかい。』と、言われたのだそうだ。
「おまけに、昆布の用途や僕のだしのひき方を伝えると、『そんなら、そんな高い天然の真昆布使わんでもいい。促成栽培の一等品で十分ええだしが取れる。』と安いものを薦めてくれるんです。普通なら、高いものをようけ買ってもらいたいはずなのに、ありえないでしょう。」
「この昆布屋さんだけでなく、木津市場には、目先だけの儲けを考えて商売してない、ほんまの大阪商人たちが大勢いるんです。自分が気に入らないものは、『こんなん、納められへんわ。』とか、『これは昨日の売れ残りやけど、モノは今日入ったのよりええと思うで。自分の目で確かめてみて。』とか正直に言ってくれる。そして、そういう人たちにはネットワークがあるんですよ。『あの店では、あの人から買いや。正直やし、若いのによう勉強しとる。』とかね。だから僕は、魚、肉から野菜、果物まで、他のとこからは絶対買わない。木津市場の人たちは僕の宝なんです。」
ただ、最近、山本さんは困っていることがあるのだと言う。
「うちは、真昆布とマグロ節でお碗のだしをひいていますが、昆布は、鍋から泡が立つかたたんかの低い温度のお湯のうちに、さっと引き上げてしまうんで、だしの味はマグロ節で決まると言ってもいい。ところか最近、そのマグロ節のよい品が手に入らなくなっているんですよ。」
マグロ節とは、あまり聞きなれない言葉であるかもしれないが、キハダマグロの幼魚を原料とした節である。節類のなかでは最も生産量が少ないが、鰹節に比べると上品でくせがないだしがとれるため、高級料理店でよく使われている。
山本さんは、毎朝、木津市場で、削りたての血合い抜きのマグロ節を買ってきて、お客に出す直前にだしをひいているのだそうだ。
「鰹節にしてもマグロ節にしても、基本的には脂気のない魚体が節には向いているんですが、脂は旨味ですからね。魚にある程度の脂気がないと、節にしたときの旨みが足りないんですよ。」
山本さんがこれまで使ってきたマグロ節は、綺麗なピンク色をしていて、手触りはふんわりしっとりと絹のようで、だしをひくと、旨みも色合いもすこぶる上品であったという。ところが、そんなマグロ節は、2007年あたりから手に入りにくくなり、今年に入って特に質が落ちているのだという。
「木津市場の鰹節屋さんで、値段が倍になってもいいからって、言ったんですが、『値段の問題やない、花祥さんが言わはるような品がないんや。』と言うんです。マグロの漁獲量自体が減っているらしいんですよ。」
そうお聞きし、早速、キハダマグロの漁獲量について調べてみた。
乱獲によるマグロ資源の枯渇については、新聞やニュースでご存知の方も多いだろうが、比較的成長が早いキハダマグロについては、他のマグロ類よりは深刻な状況ではないと言われており、ここ20年間の世界の漁獲量は、100万トンから140万トンを維持している。日本の漁獲量についても、ここ10年ほどは8万トン前後で横ばいだ。
では、マグロ節の生産量が減っているのかと調べてみたが、農林水産統計では、「カツオ節」「サバ節」の項目はあっても、生産量の少ないマグロ節は、「その他の節」として記載されているため、正確なことがわからない。大阪の削り節問屋2軒に問い合わせみたが、『節全体としては徐々に生産量は減ってはいるが、特にマグロ節の生産量が減っていることはないと思う。品質が落ちているということもない。』という返事であった。
これでは、山本さんの言っていたことと辻褄があわない。こうなったら産地に直接聞いてみようと、マグロ節を製造している鹿児島県枕崎の会社に電話してみると、親切にこう教えてくれた。
「マグロ節には、インドネシア近海で獲れるキハダマグロが一番向いているんですが、マグロ節に適したサイズの漁獲量が減っているのと、竿釣りで獲れたものは、ヨーロッパの国に買い負けて、日本には入ってこなくなっているんですよ。」
実は、キハダマグロは、主にツナ缶の原料として世界で消費されている。ヨーロッパでは、一網打尽型のまき網漁より竿釣りのほうが環境に優しいということで、竿釣りで獲った材料で作られたツナ缶は、エコ商品として通常より高い値で流通するのだそうだ。高い値で売れるのであれば、高い値で仕入れることができる。
インドネシア近海の小型サイズのキハダマグロは、漁が規制されたり(※)、買い負けたりして手に入りにくくなったため、現在は主に、屋久島や奄美大島近海でまき網漁により獲ったものを、マグロ節用に使っているのだという。
再度、統計にあたってみると、サイズも産地も不明ではあるが、冷凍キハダマグロの輸入量は、2005年までは10トン前後だったものが、2007年以降は5トン前後と半減している。
確証はないが、もしかすると、山本さんがこれまで使ってきたマグロ節の原料は、インドネシア近海で竿釣りしたものだったのかもしれない。いずれにせよ、鰹節問屋のプロでも気付かないような微妙な品質の違いがわかる山本さんの感性・感覚の鋭さには、ただただ恐れ入るしかない。それなのに、山本さんは、
「自分の料理に自信を持ったことなど一度もないです。毎日、これでいいのか、もっといい料理ができるんじゃないかと思って悩んでいます。」
と、あくまで謙虚だ。
定休日であるにもかかわらず、門灯をともし、涼やかな花を活け、まるでお客様のように私たちを出迎えてくださった山本さん。
地元貝塚への徹底した愛と、誠実でまじめな人柄、そして料理に向きあう真剣さ。山本さんの全てに志の高さが感じられて、私たちは、終始、背筋が伸びる思いであった。
山本 弘幸 さんのプロフィール
山本 弘幸(やまもと ひろゆき)
日本料理「花祥」店主
昭和38年大阪府貝塚市生まれ。
貝塚寺内のまちなみを守りたいという思いから、早稲田大学卒業後、滋賀県にある名店「招福楼」で修行し、平成4年1月に貝塚市に「花祥」を開く。
以来、庭、建物、室礼、器、花を含めた日本文化の総合芸術として、日々茶事を催す心構えで、国内外からのお客様を迎える。
鮮度と産地にこだわった食材を使い、春から秋にかけては自ら山に山菜やきのこを求めるなどして、季節感を大切にした料理は、「ミシュランガイド京都・大阪・神戸・奈良2013」で二つ星に選ばれるなど、高く評価されている。
「花祥」
〒597-0001
貝塚市近木975-17
TEL:072-438-8739
玄関には花とともに、山本さんが大好きな「太鼓台祭り」のポスターが貼られていた。
室内から眺めた庭。山本さんのデザインによるもので、貝塚寺内のまちになぞらえて、竹やぶや祠を配する。
※マグロ類の主な漁法には、はえ縄漁業、まき網漁業、竿釣り、手釣りなどがあるが、このうち、マグロ節に適した70cm前後の小型のキハダマグロを主に漁獲できるのは、まき網漁と、竿釣りである。
まき網漁とは、巾着のような帯状の大きな網を使い、その中に追い込まれた魚を巻いて獲る漁法で、漁獲物は、群れによって大きくことなり、小型から大型まで様々なサイズが漁獲される。船から人口の浮漁礁を放流し、これに集まる群れをまき網で漁獲する方法では、主に小型の魚が漁獲されるため、日本など東アジアの国々が加盟する中西部太平洋まぐろ類委員会資源保護の観点から3ヶ月間、この集魚装置の使用が禁じられている。
文=日下部貴美子 写真=谷 秀樹