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大阪府の治山の歴史
後世に伝えるべき治山60選より
現在、泉州地域の山々は広葉樹を中心とした森林におおわれていますが、昭和40年ごろまでは、都市近郊に位置する森林は、住民の生活を支える薪、芝、炭などの燃料や農耕用に利用され、過剰に伐採された結果、裸地化し荒廃した山が多く見られました。
大阪府南部の泉南地域(泉南市・阪南市・岬町)の森林回復事業は、林野庁において「後世に伝えるべき治山―よみがえる緑60選―」「泉南地域のはげ山復旧」に選定されています。
後世に伝えるべき治山60選
治山事業の実施が100年を経過したことを機に、平成25年度に林野庁が、荒廃山地の緑がよみがえり国土の保全に寄与した治山事業地を「後世に伝えるべき治山―よみがえる緑―」として全国で60箇所、選定したものです。
後世に伝えるべき治山60選については林野庁のページをご覧ください(外部サイトへリンク)
昭和27年7月、阪南市の山間部にある鳥取池が決壊する大規模な災害が発生しました。この災害は、記録的な大雨によるものでしたが、当時、周辺の森林の多くは裸地化し保水力がなく、降った雨は直ちに山腹を流下するといった状況でした。大阪府では治山事業・府営林事業等によるはげ山復旧を昭和の初期から続けていましたが、本格的な治山事業によるはげ山復旧に着手したのは、鳥取池の大災害の翌年、昭和28年度からです。
昭和初期の泉州地域の山の様子
昭和初期の森林の様子(泉南市)
薪炭瓦斯(ガス)発生機展示会(大阪府・大阪市共催)
当時、木材はエネルギー源として大きな役割を果たしていた。
山で切り出した木を炭に
山でつくられた炭は町に運ばれ、家庭他で燃料として使用していた。
木材が都市部の生活を支えていた。
昭和初期の泉州地域の治山事業
大阪府では初期から治山事業・府営林事業等による荒廃山地・はげ山復旧を昭和初期から続けていました。
石筋工とあわせた植栽(泉南地域)
昭和初期の治山ダム
人力による階段切付
水平に切付けた筋工が確認できる。筋工とマツの植栽(阪南市)
泉州地域の本格的なはげ山復旧事業
昭和27年7月、阪南市の山間部にある鳥取池が決壊する大規模な災害が発生しました。この災害は、記録的な大雨によるものでしたが、当時、周辺の森林の多くは裸地化し保水力がなく、降った雨は直ちに山腹を流下するといった状況でした、大阪府が本格的な治山事業によるはげ山復旧に着手したのは、鳥取池の大災害の翌年、昭和28年度からです。
植生盤・石筋工・植栽工による、はげ山復旧(昭和35年)
石筋工施工状況
玉石コンクリート治山ダム
玉石配列及びコンクリート打設状況
はげ山復旧事業は、昭和38年度までの11年間にわたり実施され、積苗工・石筋工18万8千m等により山腹からの土砂の流出を抑えるとともに、植栽261haが実施されました。また、谷部には玉石コンクリート等の治山ダム45基を設置して、谷に堆積した土砂を固定するとともに、山脚を固定しました事業の実施から50年の歳月が流れ、泉南地域で裸地化した山は見られなくなり、現在では広葉樹を主体とした豊かな森林が広がっています。
はげ山復旧事業以降も、荒廃した渓流には治山ダム等が設置され、泉南地域では近年、大規模な災害は発生していません。
森林が回復した当地域では現在、多くのハイカーが訪れる近畿自然歩道が整備され、都市近郊の身近な森林レクリエーションの場ともなっています。
ハイカーなど、この地を訪れる人々は、かつて泉南地域にはげ山が多く存在していたこと、その回復のために治山事業が実施されたことに気付くこともないほどです。
現在の泉南地域の森林の状況 阪南市 第1パノラマ台より