ここから本文です。
光明池
光明池(堺市南区、和泉市)
堺市南区と和泉市にまたがる光明池は、槇尾川上流から分水貯水された農業用ため池です。満水面積は35.6ha、貯水量は大阪府内最大の369.6万立方メートルを有します。現在は堺市・高石市・泉大津市・和泉市の4市の約300haの水田を潤しています。池の周囲に広がる樹林帯では野鳥が多く見られるほか、周辺湿地帯には絶滅危惧種ヤマトサンショウウオが生息しています。
泉北地域では、大正末期から昭和初期の人口増加とともに耕地面積が拡大されてきました。それにも関わらず農業用水のほとんどを雨水に頼っていたため、干ばつがによる不作が頻発していました。そのため槇尾川からの取水による大容量の農業用ため池の新設が検討され、1931年(昭和6年)から1936年(昭和11年)にかけて大阪府営事業として光明池が築造されました。その後、1977年(昭和52年)から1985年(昭和60年)にかけて、本堤防の補強、余水吐の改修、取水塔の改築を目的とした「昭和の大改修」が、2007年(平成19年)から2012年(平成24年)にかけては、副堤防の補強、耐震化を目的とした「平成の大改修」が行われました。
現在は光明池土地改良区が維持管理を行っています。光明池土地改良区(外部サイトへリンク)(別ウィンドウで開きます)
取水される前の槇尾川上流部
光明池の全景(1992年撮影の航空写真)
光明池の余水吐(よすいばき)
光明池の名称の由来 光明皇后
光明池の取水堰がある槇尾川上流の和泉市国分町や浄福寺に伝わる、光明皇后(聖武天皇の皇后)の生誕伝説にちなんで光明池と命名されました。槇尾川上流で修行僧の小水をなめた女鹿が懐妊し光明皇后を生んだといわれていることから、光明池や浄福寺の周辺には光明皇后や鹿に関連するものが設けられています。
副堤防上にある「光明皇后御生誕伝承之地」の碑
浄福寺にある鹿の像
浄福寺裏の「鹿の足跡の石」
大阪ミュージアム みどり・自然部門に登録されました
大阪府には魅力的な地域資源が数多く存在し、それらを「大阪ミュージアム」の登録物に見立て府内外に発信しています。光明池は「みどり・自然」部門に登録されました。
1989年 大阪みどりの百選に選ばれました
大阪みどりの百選は、府民からの投票をもとに、府内の優れたみどりの景観を100ヶ所選定したものです。光明池もその中の一つとして選ばれています