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【プロジェクト体験記】重文民家 高林家に伝わる 年中行事の食を体験
「重文民家 高林家に伝わる 年中行事の食を体験」取材記
株式会社140B 中島 淳(『ザ・古墳群〜百舌鳥と古市全89基』編集者)
世界遺産に登録された古墳群のある百舌鳥と古市。2つのエリアは似ているようでかなり違う。空が広くて国境の山々も近く、旧街道があちこちに残る古市と違って百舌鳥は、国内十傑に入る巨大古墳が3つもある反面、都市型住宅に取り囲まれるように古墳が点在し、ちょっと「窮屈な」感じがある。人口80万人を超える政令指定都市の中心部近くに古墳が集中しているのだから、無理もないのかもしれない。
そんな百舌鳥の中でも、JR阪和線百舌鳥駅の東に広がる御廟山(ごびょうやま)古墳から百舌鳥八幡宮にかけての一帯だけは「別格」の雰囲気が漂っている。
この界隈には戦前から建っている日本家屋が数多く残り、曲がりくねった旧道が網の目のように張りめぐらされていて、足を踏み入れると道に迷うこと必至だ。界隈には、布団太鼓を格納する立派な蔵も点在する。そんな地域の「へそ」のような角地に、白漆喰の土塀をめぐらせた高林家住宅がある。
庄屋ではなく「大庄屋」の屋敷
高林家は武士の出で、天正年間(1573-92)にここ百舌鳥の地に帰農し、屋敷を構えたと伝えられている。2022年11月8日、日本の津々浦々で数千万人が夜空を見上げた天体ショー「皆既月食と惑星食」が442年ぶりに国内で見られたが(1580年は土星食で2022年は天王星食)、高林家の人びとも戦国時代に、だんだん赤くなる月をこの屋敷から見て「何でやろのぅ……不吉な兆候でなければよいが」などと話していたのかもしれない。
現存する高林家の建物は、4度にわたって増改築されたことが分かっている。最古のものは17世紀の前半。そこから19世紀前半までに4回建て増しされたそうだ。
それだけ増改築された大きな理由は、当家が最上位の村役人である大庄屋(おおじょうや)であったこと。苗字帯刀を許される家柄で、この建物は豪農の屋敷であるとともに役場でもあり、警察署や裁判所でもあった。百舌鳥という地域の自然や治安を守り、産業(主に農業)を振興させてお上に収める年貢などの割当を調整する。そして百舌鳥八幡宮の氏子として、また周囲にある古墳の調査や保全をする地元の代表として、家人たちは日常業務だけで朝から晩まで忙しくしていたに違いない。家の中で拝むべき神棚も28もある。「お世話」する対象がとてつもなく広いのである。
こちらに初めて足を踏み入れたのは平成29年(2017年)11月のこと。堺市恒例「文化財特別公開」の目玉企画がこの高林家住宅の公開だった。
たまたま古墳の取材で周辺の古墳をカメラマンと訪れていた筆者は偶然にも前を通りかかって屋敷内にお邪魔し、内部も撮影させてもらえた。加えて、高林家に伝わる貴重な百舌鳥古墳群の絵図(堺市博物館が保管。現存しない海沿いの長山古墳や上野芝の大塚山古墳も掲載)も、当時編集していた古墳のガイドブックに転載させてもらった。
その高林家にお邪魔するのは5年ぶりのこと。大阪府の文化財保存活用プロジェクト(仮称)として、府のHPで一般募集した「重文民家 高林家に伝わる 年中行事の食を体験」というスペシャルイベントの
取材というお題である。
なんと高林家のみなさんが、土間にある大きなかまどを使って煮炊きをし、参加者に振る舞ってくれるというではないか。当日は久しぶりに百舌鳥の空気にゆっくり浸ろうと、南海高野線百舌鳥八幡駅で下車し、百舌鳥八幡宮にお詣りしてから参上した。
行事を続け、自然環境と折り合う
11時半になったので、大阪府文化財保護課の岡田賢さんに続いて、26代目当主の高林永統(ながつね)さんがご挨拶を行う。
「高林家は文化財としてみなさんに親しまれていますが、最も大切なことは建物を維持するということ以上に、伝統的な年中行事を執り行うことです。と言いますか、行事を続けるためにも高林家という容れ物が必要で、それが400年続いてきたということです」。終始にこやかに参加者に語りかけておられたが、GDP世界一のアメリカ合衆国は建国300年も経っていない。時間の幅を聞くと正直、気が遠くなった。
そのあと、アナウンスの声がよく通る堺市文化財課の小林初惠さんの案内で玄関から奥の間をのぞかせていただいた。
高林家住宅の住居部分や米蔵、西蔵は北西にある斜面を避けるように建っている。斜面の上には不動堂や稲荷社などが建ち、その向こうにはクスノキの巨木や竹林がある。高林家の敷地内だけでひとつの生態系が確立されている。
「最近はアライグマも来ますし、鳥が木の実を突っついたりしますのでご近所からのクレーム対応も大変ですね」(高林さん)。マンションが林立する地下鉄御堂筋線なかもず駅から徒歩15分程度の便利なロケーションにもかかわらず、この一角はとくに自然環境に恵まれている。鳥や虫、野生動物にとっては楽園のような場所なのだ。それらは時に人間生活に害を与えてしまうこともあるため、文明の利器を使ってある程度「駆除」はする。しかし高林家住宅は「周囲の自然込み」で成り立っているので、そのような生き物たちとも上手く「折り合い」をつけて共生していくことも、高林家の大切な「行事」だという気がした。敷地が2,000坪近い広さと聞いて再び気が遠くなってきたが。
炎と煙から生まれるご馳走
そうこうしている間に空腹が襲ってきた。へっついさんの煙がそれに拍車をかける。竈の中で木の枝がぱちぱちとはぜる音や、立ち込める湯気に包まれていると、「生きもの」の一員としてえもいわれぬ幸せがわき起こってきた。
今回いただくのは「百舌鳥精進料理」。高林家では、12月31日の夕食から1月3日の昼食までの間は肉や魚は口に入れず、野菜や豆腐などの植物性の材料だけのお正月料理で過ごしている。年末年始に煩悩のかたまりとなる人間にはちょっと真似のできないストイックさである(精進明けでは焼肉に行くそうだ)。それぞれの品ごとに重箱に用意され、参加者は順番で自分のお皿に取っていく。ところがみなさん一品一品写真に残したいようでなかなか列が進まないのだ。
おせちは右上から椎茸の含め煮、赤人参、焼き豆腐、たたき牛蒡、そして黒豆。そして雑煮は26代目の当主の高林永統さん自らが味付けし、ご家族のみなさんと一緒に椀によそって出していただいた。
高林家の男性陣は元旦の朝4時に起きて土間のかまどに火を入れ、雑煮を作る。200個の餅を用意し、28の神棚にしめ縄、鏡餅、干し柿などを飾り、お雑煮を神さまや仏さまに供えてから、家族揃ってお正月を迎えるそうである。その一端を見せてもらい、五臓六腑にしみわたる料理を頂戴した。文字通りの「ご馳走」。おせちもお雑煮も、よくあるお正月の「華やかさ」とは趣きが少し違うけれど、それぞれの素材から自然の旨さがわき上がって幸せになった。
世界遺産の古墳を誇る「百舌鳥」と高林家
楽しい時間はあっという間に過ぎて14時となったので、当主にご挨拶して失礼する。帰りは、高林家から徒歩1分の御廟山古墳の周囲をのんびり歩いて、JR百舌鳥駅から仁徳天皇陵古墳を抜けて堺の都心に出た。
少年時代に「百舌鳥」と名の付く町に7年ほど住んでいて、この界隈は何度も歩いていたはずなのに、高林家住宅のことはまるで知らないまま過ごした。通り過ぎていただけの場所に、実はとてつもない歴史と文化の集積があることを体感できたことは、ひたすら幸運でしかない。聞けば地元の小学生を対象に、茅葺き屋根の葺き替え工事の見学会なども催しているそうで、実にうらやましい限りである。
子どもたちにとっては「うらやましい」「幸運」と言われてもピンとこないかもしれない。それでもいいのだ。大人になって改めて訪れてみたら初めて「建物や家屋の良さがしみじみと分かる」ことがある。そんな場所が近くにあることの貴重さは、人生の後々になってじわじわと効いてくる。
高林家住宅は、空襲や火災にも遭わずに400年生き延びてこられたが、主屋と同様に重要文化財である米蔵・西蔵・土塀などはまだ本格的な修理に着手できていない状況で、その費用は所有者の高林家や大阪府だけでは賄えないそうである。行政がそういうこともできずに「万博」を開いて世界の人たちに大阪の何をアピールするんやと言いたくなるが、それはさておき。
2019年7月に開かれたアゼルバイジャンでの世界遺産委員会で「百舌鳥・古市古墳群」の登録を推した各国の委員たちは、堺のような大都市で古墳が美しく保存されているのは、「地元の人たちの努力に負うところが大きい」と口々に発言していて、不覚にも“うるっと”きてしまった。
世界遺産の古墳群は「百舌鳥」という風土あってのもの。その重要なファクターである高林家の文化財が修理もままならないということであれば、筆者は微力ながら応援したいと考えている。
22世紀の子どもたちが、あの高林家で「百舌鳥精進」のおせちやお雑煮を笑顔で食べていることを想像するだけで愉しいではないか。それを願う人はきっと少なくないはずである。
※「高林家」の「高」は、正式名では旧漢字を使用しています。