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更新日:2020年1月7日

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北方領土返還運動

大阪府における北方領土返還運動について

北方領土(歯舞群島(はぼまいぐんとう)、色丹島(しこたんとう)、国後島(くなしりとう)、択捉島(えとろふとう))は我が国固有の領土です。

大阪府においては、内閣府北方対策本部(外部サイトへリンク)、独立行政法人北方領土問題対策協会、北方領土返還運動推進大阪府民会議(外部サイトへリンク)等の関係機関と連携し、府民の皆さまへの北方領土問題の啓発に努めています。街頭啓発活動や2月の「北方領土の日祈念大阪府民大会」への参加、8月と2月の「北方領土返還運動全国強調月間」における懸垂幕掲示等北方領土返還運動への世論の高揚に取り組んでいます。

2月7日は「北方領土の日」です

北方領土問題への国民の関心と理解をさらに深め、返還要求運動の全国的な盛り上がりを図るため、政府は昭和56年の閣議了解により、毎年2月7日を「北方領土の日」と定められています。ぜひこの機会に北方領土問題について考えてみましょう。

【「北方領土の日」設定の経緯】

北方領土返還要求運動は北方領土に隣接する北海道・根室地域から全国に展開していきましたが、北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め、運動の全国的な盛り上がりを図るためには「北方領土の日」を設けるべきである、という声が北海道をはじめ運動を熱心に進めている民間の各団体から上がってきました。
また、昭和55年(1980年)11月には、衆・参両院において全会一致で「北方領土の日」の設定を含む、北方領土問題の解決促進に関する決議が行われたのを始め、全国の地方関係団体等においても相次いで同様の決議が行われました。
このような各方面からの強い要望を受け、政府は更に広く関係各層の意見を聞いた上で、昭和56年(1981年)1月6日の閣議了解により、2月7日を「北方領土の日」として設定されました。
1855年2月7日(旧暦では安政元年12月21日)、伊豆の下田において日魯通好条約が調印されました。この条約により日露両国の国境が択捉島とウルップ島の間に平和裏に定められ、北方四島が日本の領土として初めて国際的にも明確になりました。
その歴史的な意義と、平和的な外交交渉によって領土の返還を求める北方領土返還要求運動の趣旨から、2月7日が「北方領土の日」として最も適切な日とされたのです。

2月7日は「北方領土の日」(内閣府のページ)(外部サイトへリンク)

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