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監察医制度創設の経緯
監察医制度は、飢餓、栄養失調、伝染病等により死亡が続出していた終戦直後において、これらの死因が適切に把握されず対策にも科学性が欠けてため、公衆衛生の向上を目的として、連合軍総司令部(GHQ)が、国内の主要都市に監察医を置くことを日本政府に命令したことにより、昭和22年に創設されました。
- 昭和21年4月1日
連合国軍総司令部から東京都への申し入れの結果、「東京都変死者等死因調査規程」を制定。東京都民生局長(後に衛生局長)の主管の下に東大、慶大に委嘱して日本で最初の監察医業務が東京で開始される。 - 昭和21年4月9日
厚生省から「公衆衛生ノ必要ニ依ル死体ノ検案及解剖ニ関スル件」として全国の主要都市に通達が発せられた。 - 昭和21年12月11日
連合国軍総司令部公衆衛生福祉部より厚生省医務局長に対し「監察医局の設置」に関する覚書により、各主要都市に監察医を任命配置するよう指令があった。 - 昭和22年1月17日
勅令第542号に基づく厚生省令「死因不明死体の死因調査に関する件」公布。監察医制度が東京に続いて大阪、京都、横浜、名古屋、神戸、福岡の7大都市に広げられ、各都市の医科大学がその業務を委嘱された。 - 昭和24年6月10日
「死体解剖保存法」公布。同年12月10日施行。 - 昭和24年12月9日
「監察医を置くべき地域を定める政令」が公布され、翌12月10日施行。実施地域が、東京都23区、大阪、京都、横浜、名古屋、神戸、福岡と定められた。 - 昭和60年7月12日
「監察医を置くべき地域を定める政令」の一部改正(京都、福岡の削除)。