大阪産(もん)名品【御菓子司亀屋茂廣】

更新日:2024年3月31日

認証商品一覧

懐中志る古

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安部晴明 ゆかりの地 阿倍野王子に古くから皆様方に愛された庶民の味を受け継いだ亀屋茂廣が自信を持ってお届けします。旅人が熊野詣に行くときは、お供につれていきました。『いつでも だれでも どこででも お湯を注げば 茶屋の味』懐中志る古は旅人がふところの中にいれて持ち運んだことからそう呼ばれるようになりました。懐中志る古のもち皮がなぜ、ホタテ貝殻であるのか?熊野詣の旅人はホタテ貝殻を食器として持っていたからです。熊野古道とサンティアゴへの道との姉妹道提携の中にもホタテ貝があります。阿倍野王子神社は、熊野詣の九十九王子の現存する第二王子社大阪に誇れるこうした古くから伝わった伝統ある商品があります。創業以来、大阪の地で長年にわたり愛されて来た商品であり、伝統のある商品です。

草もち

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亀屋茂廣の開店したときに、初めて上生菓子として、販売しました。初代は、この地域に定着した草もちを、上生菓子の製法で、茶人も一般の人にも分け隔てなく愛される菓子として、亀屋茂廣の名物となるよう販売しました。戦国時代、真田幸村(真田信繁)が真田山(宰相山)に、陣を布陣した際、天王寺村の茶屋に草もちを作らした言い伝えがあります。その際、草もちの餅はつかないこと。粒餡は使わないこと。草は、よもぎを使うこと。なぜなのかというと、つくのはつき潰す。粒餡は、潰れる。よもぎは、食あたりをしないためです。亀屋茂廣の草もちは、餅は練り餅(ねばり強く)餡はこし餡(戦を勝ち越す)草はよもぎを使い、他店に類のない製法にて、一つ一つ手作りで生産しています。茶屋より引継ぎ、亀屋茂廣が現代に草もちを伝えています。阿倍野菓子博2009(近鉄百貨店阿倍野本店)では、連日完売いたしました。また、大福フェアーとして大阪に福が来るように(大阪生菓子青年クラブ)で大福フェアー(JR大阪伊勢丹三越)にて2011年販売した際も大盛況でした。今回、大阪産(もん)愛され続けるもん「名品」として、大阪府の皆様にも知っていただき食べていただきたいと考えています。

桜もち 

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亀屋茂廣の開店したときに、上生菓子として、販売しました。初代は、藤井寺に定着した道明寺糒を、上生菓子の製法で、茶人も一般の人にも分け隔てなく愛される菓子として、亀屋茂廣の名物となるよう販売しました。道明寺糒の歴史は、今から1000年以上も前に大阪府藤井寺の道明寺で、菅原道真公の伯母上が菅原道真の無事を祈願してお供えとしたものが起源である。道明寺糒の製法は、糯米を水に浸し、吸水したあと水を切り、釜の上に蒸篭を置き蒸し上げ、天日で乾燥させたものである。戦国時代、豊臣秀吉が兵糧として、使用した由緒あるものとして殿下の筆跡として「ほしいひ」と道明寺に残っている。江戸時代は将軍家に献納しており、一般民間に販売されたのは、明治以降である。亀屋茂廣の桜もちは、道明寺糒を使用して、道明寺の覚寿尼(かくじゅに)の道真の無事を祈りその餅を振舞うと病気が治るという伝説が残っています。亀屋茂廣の桜もちにはそうした思いと大阪ならではのものとして、お釜で桜もちを炊き上げ、他店に類のない製法にて、一つ一つ手作りで生産しています。亀屋茂廣が現代に桜もちとして伝えています。歌人にも桜もちの味と香りをもとめて買いに来たという歌がある。JR大阪三越伊勢丹でも、販売しており、大阪の桜もちとして現代に伝えている。今回、大阪産(もん)愛され続けるもん「名品」として、大阪府の皆様にも知っていただき食べていただきたいと考えています。

このページの作成所属
環境農林水産部 流通対策室ブランド戦略推進課 産業連携グループ

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