里親体験談

更新日:2009年8月5日

里親シンポジウムでの体験談

メッセージ1

体験談1 めぐりあわせ

「いろいろありましたが、自分に正直に生きるということが大切だと思っています。年々お父さんお母さんに似てきました。」という、7ヶ月で里親家庭に迎えられ、養子縁組した子どもの立場から。


私は生後7ヶ月の時に今の家庭に迎えられました。私は小学校の時、友だちに「本当の親じゃないでしょう」と言われた時が一番ショックでした。何て答えたらいいのか、わからずに悩んでいると母が素直に「そうだよ」と答えたらいいと教えてくれました。それ以来ずっと誰かに聞かれたら「そうだよ。本当の親じゃないよ」と正直に答えてきました。

高学年になって、(何のことだったかは、忘れましたが)母から注意され、初めて母にむかって反抗的な言葉を口にし、家を飛び出したことがあります。私は、「施設に帰る!」と両親を困らせました。でもそこで母が「誰だって親に対して反抗的な態度を取るのよ、お母さんはすごい絆ができたように思えたからすごく嬉しかった。あなたが帰るところは、我が家です。家に帰るのが“帰る”ということなのよ。施設に帰るという悲しい表現は使わないでね」と言う言葉を聞き、道端で大泣きしたのを覚えています。
中学に入ると黒人音楽が好きになり、黒人のルーツへのこだわりが自分とダブってしまい、生みの親への怒りや育ての親に対してひねくれた解釈をするようになってしまい、何度も児童相談所のケースワーカーさんたちに話を聞いてもらいました。

高校は一年足らずで辞めてしまい、美容学校に行き始めました。美容師として働き始めた頃、私はまだ17歳。親にも反抗的だったし言葉使いや礼儀もわからず、先輩に色々な事を厳しく教えてもらいました。そして先輩に助言してもらった言葉で、自分の事を振り返ってみると、何かうまくいかないこと気に入らないことがあると親のせいにしていたことに気づきました。すごく恥ずかしく、なんて子どもなのだろうと思えるようになりました。19歳の頃、両親に「今までひどいことを言ってごめんなさい」と心の底から謝りました。その時、今までもやもやしていたことが、スパンと切れたように感じ、それからは両親と普通に話せるようになったような気がします。

アトピーがあるので、美容師は辞めてしまいましたが、今はヘルパーとして働いています。勤めているホームに住んでいる方に「あなたを見ていると正直に生きている感じがする。一生懸命生きているのが好きだし親しみがある」と言われました。一生懸命生きるなんて、何かかっこ悪い、ガツガツして嫌だなぁと思っていたのですが、今は、それも良いか!と思えるようになってきました。また両親にも似ているようで、父とは共通の趣味の話をしているとすごく似ているなぁと思います。母とも服の趣味は合わないけれど、陶器、アートが好きで「あっ親子だなぁ。血がつながっていなくてもそういうことってあるんだなぁ」と最近思うようになってきました。

親に対して思いっきり反抗してきました。また親も本気で怒ってくれました。お互いに素直なままぶつかり、親が逃げないで受け止めてくれたことが、今の私の自信になっています。

メッセージ2

わたしたちにもなれた養育里親

子どもたちの柔軟さと可能性に、感心させられる毎日です。学校、地域、親族、そして子ども家庭センターのご協力のもと、子どものニーズに応えられるような養育里親でありたいと願っています。


私の両親は20年前から養育里親をしていて、長短期に合わせて十数人の子どもを養育してきました。身近に養育里親の良い部分悪い部分を見る機会に恵まれたと思います。

里親をしていて良かったと思う部分は、やはり子どもの成長を真近に見ることができることです。新しい人間関係が生まれることも良い部分です。先輩の里親さん、学校の先生、そして地域のいろんな福祉関係の方々とつながりができ、自分自身も成長することができます。

難しい面もあります。問題点ともいえると思いますが、養育里親制度自体が社会にほとんど知られていない。理解されていないのです。実子さんの経験だけでは対応できないことも起きてきます。完璧な親がいないように完璧な里親もいないのです。子どもを守り育む責任と言うのはすべての大人1人1人にあると思います。子どもたちが家庭生活を奪われたのは、彼らの責任ではないのです。誰が悪いかを追求するのではなく、誰かが力を合わせてそのゆがみを解消していくことが里親としての意義じゃないかと思っています。

私が里親となるきっかけになった少年は、私たちを親とは見ていないですし、その子自身親子関係を求めていないのです。その子に必要なのは、親子関係を築くことではなく、社会生活に必要な能力つまり困っているときに助けを求められる技術を身につけることです。困っている自分の状況を客観的に見ることができ、助けてくれる人を見つけることができる社会性、信頼できる人間関係作り、お願いできるへりくだった心を身につけてほしい。そして正常な家庭像を学ぶことだと私たちは思って日々接しているわけです。よく家庭はもっとも小さな社会だと言われます。愛する力のある者が愛さなければならない存在を愛することだと思います。

そしてもう一つお互いに相手を大切に思うことです。私たち家族の下へきた子どもたちに「私(なべちゃん)と妻(なおちゃん)は夫婦だけど元は、他人だった、血がつながっていないけど家族なのだよ。君も含めて3人は、誰も血がつながっていない。でもお互いを大切に思ったらそれで家族になれるのだよ。」と初日に話します。私の家庭ではとても大切なことです。

愛知県のある国道を走っていると《福祉の里》と言う看板があり、「里→コミュニテイー」と訳してありました。里親ってコミュニテイーで親をすることなのだなぁと思いました。里親1人で背負えるほど特別な必要がある子どもの人生は、軽くないと思いますが、学校、民生委員児童委員、各地域の社会福祉協議会、近所、里親の先輩方、そして子ども家庭センターの方々と一緒に子どもを養育していけたら本当にすばらしいと思います。

メッセージ3

週末里親って、なんでこんなに楽しいの?

大人になってからいわれのない差別を受けて傷ついたとき、帰る場所があることで安心して生きて欲しい。私は里子に対しては一緒に生きる仲間として接しています。


私は夫婦で週末里親をしています。施設に入所している子を夏休みや週末に預かる制度ですが、我が家は、里子が毎週、家に来るというやり方です。里親になり4年が経ちますが、その間に、里子が 3歳の時に別れた母親が見つかり、中学の入学式には母親と私たち夫婦、施設の先生とが一緒に子どもの晴れ姿を見るという嬉しい出来事がありました。

週末里親を始めた動機の1つは「赤毛のアン」の物語を読んだことです。子どもを生んだことのない老兄妹が「働き手になる男の子が来てほしかったのに、女の子が来てしまって・・」と言いながらも、その子を大学まで出し、学校の先生にする。そんな他人なのに沢山の愛情を注げられる関係って、温かくていいなあって思っていたことです。さらに大学で女性学を学び、実親のいないという理由だけで差別される子どもの身になって、何か役に立てることはないかと漠然と考えていました。

夫や義母からも最初は「犬猫を育てるのではなく責任があるのだから、一旦始めたら簡単に辞められないよ」と反対されたので、それもそうかと躊躇していました。そのうちに夫婦ともに仕事が忙しくなり、実際に里親をやるまでには、10年かかってしまいました。しかし、結婚した頃に広報で見て興味を持った「里親募集」の記事を再び目にし、「世の中に里親を求めている子供がいるのなら、やってみた方がいいのでは?!」と思い、家族を説き伏せ、里親をやってみることにしました。私たちのように、平日遅くまで働いている人でもやれそうなボランティアという形の週末里親制度があったこともラッキーでした。

最初は「オレはやらへんで」と言っていた夫が、今では、一番子どもの面倒を見てくれています。里子もはじめは、なかなか私たちに打ち解けてくれませんでした。夫婦双方の親や親戚の子まで巻き込み、ご飯の後片づけや犬の散歩など、一緒に過す時間が長くなるにつれ、話をよくするようなりました。

ところで、里子と私たちとの家族写真を見ると、なぜか、よく似ていると言われます。行動までも似ていて、縁があるんだなぁと思います。

もう中学男子なのに、「うっとい」と言われながらも、「うちの子が一番かわいいい」とベタベタくっついたりしています。3人で川の字に寝て、布団の争奪戦をやるなど、親子のような、仲間のような感じですごくオモロイです。

私たち夫婦は週末里親になることで、つかの間の親の気分にもなれ、子ども時代に立ち返った気持ちにもなれて、楽しませてもらっています。

メッセージ4

家族 そして 心の財産

私自身も施設での生活を経験しました。多くの子どもたちに「家庭のあたたかさ」を伝えたいと思っています。


私が小一の時に、家庭の事情できょうだい3人が施設に入所していました。当時父は入院、16歳の兄は仕事をして私たちきょうだいのために施設に会いに来てくれていました。私が施設の生活の中で学んだことは、「人が困っていても知らん顔、もめ事に巻き込まれないように生活する。」ということでした。共に泣いたり笑ったりしてくれる大人はいませんでした。就職先では、物がなくなると「あんたじゃない?」と言われたり、「施設の子だから我慢が足りない」と言われ、大人が信じられませんでした。

20歳を過ぎて下宿先の女性と知り合いました。彼女のご両親は、8人もの子どもを育てていて私を「9人目の子だよ」と言ってご飯を食べさせてくれたり、話を聞いてもらったり・・。このことで私は家族の暖かさを学ばせてもらい、人に話を聞いてもらえることの大切さを知りました。私にとってある意味、「里親」との出会いだったかもしれません。

主人と結婚して、夢にまでみてきた家族でしたが、子どもに恵まれず長男を養子で迎えました。子育ての中で多くの難問に出会いながら、両親の助けで親として大人として多くのことを教えてもらったように思います。

今は、週末里親や短期養育里親として子どもたちと出会いがあります。今まで6組の里親をしてきました。

一年に2から5回施設からくる姉、弟。もう10年以上の付き合いになります。

お母さんのお産のための預かった8ヶ月の女の子。今もお母さんが疲れたり、保育所の行事があるときは連絡がはいります。

お母さんの入院のために預かった小6と小2の姉、弟。お母さんの病気、祖父の死によって心に大きなものを抱えていました。泣いているだけの姉をみておろおろする弟、大変でしたが、食事だけは「おいしい。おいしい」と何でも食べてくれました。生活する中で子どもたちといくつかのルールを作りました。朝の挨拶をする。うそはつかない。悪いと思った時は素直にごめんなさいと言う。相手の気持ちを考える。食事の手伝いなどなど子どもたちと話し合って決めました。一つ一つのことからいろんなことを学んでくれたと思います。学校にも出向きいくつかお願いしたり、ご飯の作り方を教え、お母さんがしんどい時は、助けてあげるようにと話しました。共に笑ったり、泣いたり、怒ったり、もうだめかなと思ったりの一年でした。

その子が先日、作文を書いてくれました。

“私の将来の夢。私の将来の夢は里親になることです。なぜかと言うと私が1年ぐらい里親さんに育てられたからです。里親になって子どもを安心させたいと思う。”など涙が出ました。この子どもたちもまた宝物を残してくれました。彼女が里親になりたいと思ってくれたこと、同じ境遇の子どもたちへの思いやりを心の財産としてくれたことです。

施設での生活環境は昔と今とでは大きく変わりましたが、子どもの心の病は今も変わりません。家族のあり方は施設で学ぶことは難しいと思います。私は下宿先の彼女に出会い、主人に出会い、息子に出会い、多くの里親さん、仲間に出会いました。そして大切な子どもたちに出会いました。家族の心の財産をたくさんいただき、本当に感謝しています。

このページの作成所属
福祉部 子ども家庭局家庭支援課 育成グループ

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