人権学習シリーズ ぶつかる力 ひきあう力 「暴力」はわたしには関係ない?!

更新日:2016年2月9日

「暴力」はわたしには関係ない?!

ねらい

 人権侵害が起こるところには必ず暴力があったり、また、対立と向きあうときに暴力を使うことで、さらに状況を悪化させていくということがあったりします。これらは、表面的な「現象」としてのみ起こっているのではありません。むしろ、人々が社会をかたちづくってきた歴史の中で、「構造」として組み込まれてしまっているのです。「構造的な問題」によって表面化してくる問題について考えましょう。『特に、「対立」は悪くないし、それどころかチャンスなのだ』という見方があることを知り、『対立に平和的手段によって取り組むことが大事だ』ということを理解しましょう。そのためにも、暴力や平和という概念を整理しておく必要があるでしょう。
 概念として分析したあと、それでもまだ整理しきれないものが残ります。その暴力と平和のさかいめとは非常に見えにくい、分かりにくいものです。たとえば、「音楽」は平和でしょうか。平和のメッセージを含んだ歌も数多くありますが、武力を鼓舞したり、暴力を肯定したりする音楽もあります。どこで平和と暴力の境界線を引くのかというのは結構難しい問題です。そして、私たちはどちらにも振れてしまう可能性を持っていることを理解しましょう。さらに、具体的に日常における暴力、社会、国家における暴力などを取り上げて考えてみることにしましょう。 

プログラムの流れ

●「暴力」や「平和」と聞いて連想する言葉…
 あらかじめ用意された言葉のリストを見て、「暴力」や「平和」と関連付けられる言葉を選び、ホワイトボードに書き出していきます。
 ○アクティビティ:「暴力」や「平和」ってどんなこと?

●「暴力」と「平和」ってひとつづきになっている?
 上記の2つの言葉のグループを見て、「暴力」にも「平和」にも関係する中間の言葉を選び出します。そこで、「暴力」と「平和」とは、単なる二項対立ではなく、一続きになっている概念だということを理解します。
 ○アクティビティ:「暴力」と「平和」って正反対?

●「暴力」は見えるとは限りません
 「暴力」について考えるとき、見えるものに限定する必要はありません。見えない暴力について考えましょう。
 ○アクティビティ:見えない暴力

●境界で生まれる「対立」について考える
 「対立」は、暴力ではないのです。「対立」をどうしたら「暴力化」させずに、「平和化」させることができるか、考えます。
 ○アクティビティ:日常の「暴力」と「平和」の境界で考える

【発展編】
●国際問題についても考えてみよう
 個人レベルの対立の構造が、国際レベルの対立(「紛争」と呼ばれることが多い)の中に見出されることがあります。領土問題などの国際問題について考えます。
 ○アクティビティ:日常の延長で考える「暴力」と「平和」

〔準備するもの〕
 プリント「言葉のリスト」(参加人数分)
 プリント「暴力の関係性」(参加人数分)
 はさみ(できれば参加人数分 *必要に応じて配る はさみを使わず切ってもらってもよい)
 ホワイトボードと専用ペン(黒板も可)

アクティビティの進め方

●「暴力」や「平和」ってどんなこと?(10〜20分)
1.  リストの中の言葉について話し合ってみましょう。「暴力」と聞いて連想する言葉はどれでしょう。同様に、「平和」と聞いて連想する言葉はどれでしょう。グループ(4〜5人)に分かれて話し合ってみましょう。
  ▶参加者にプリント「言葉のカード」を配る
  (必要に応じて線に沿ってはさみで切りとって、カードを作ってもらってもよい)
  ▶3〜4分後に、様子をみながら
  それでは、報告してみてください。
  ▶ 黒板を左右に分け、左半分の上のほうに「暴力」と書き込み、右半分の上のほうに「平和」と書き込む。グループからの報告を聞きながら、それぞれ「暴力」と書かれた文字の下と、「平和」と書かれた文字の下に、どんどん言葉を並べていく

2.  どんなことが見えてきますか。何でもいいですから、感想をどうぞ。
   これは、「暴力」じゃないでしょう、「平和」じゃないでしょう、という言葉など、ありませんか。
      ▶ 意見が出てきたら、受け止める。この段階では分析しないで、参加者から一方的に発言してもらう

《ファシリテーターへの注意》
参加者をグループに分けて話し合いをしたあとに、全体で共有する場合、それぞれのグループを代表して発表者が話すことになりますが、毎回同じ人が発表するのではなく、まんべんなく順番に発表することを心がけましょう

●「暴力」と「平和」って正反対?(10分)
1.  整理した言葉のリストの中で、「暴力」と「平和」、ともに重なる中間の言葉があったでしょうか。もっと自由に発言してください。
       ▶ グループで話し合いをしたあとでもよいし、最初から全体で共有してもよい。発言されたものを○で囲んで目立たせてもよい。より「暴力」に近い言葉、だれもが「平和」に属すると考える言葉は、特にホワイトボードの両端に書いてみる。迷う言葉は真ん中に持っていく

2.  暴力と平和を分ける、そのさかいめは何でしょう。どちらに属するか迷っている言葉は、どういう場合に「暴力」となり、どういう場合には「平和」となるのでしょうか。自由に発言してください。
   ▶ まずグループで3〜4分ほど話し合ってから、全体で、自由に発言を促す

3.  私たちは単純に「暴力」と「平和」を分類しがちですが、意外と境界線上にあるものも多いのです。複雑で難しく感じますか。みなさんは、どう考えるでしょうか。

●見えない暴力(10〜15分)
1.  暴力の中には、見える暴力(直接的暴力)と、そうでない暴力(構造的暴力や文化的暴力)があります。見える暴力を手段とする「対立」を扱うとき、また、見えない暴力を手段とする「対立」と向きあう場合、どんなことが起こるでしょうか。
       ▶ グループごとに3 〜 4分話し合ってもらってもよい

2.  暴力の関係性を示した図を見て、グループで話し合ってください。資料にある暴力の定義を使って説明してもいいでしょう。
       ▶参加者に資料「平和学とは」、プリント「暴力の関係性」を配る

3.  最初の「暴力」と「平和」の言葉のリストに戻って、再度考えてみましょう。「暴力」カテゴリーに入れた言葉をもう一度見直して、直接的暴力、構造的暴力、文化的暴力のどの分野にどの言葉が関係してくるか話し合ってください。
       ▶ 参加者の様子を見ながら発言してもらってもよい

4.  直接的暴力は、構造的暴力や文化的暴力によって支えられています。とくに、文化的暴力とは、その他の暴力の形態を正当化する側面を持っています。何か気づいたことはありますか。グループから発表してください。
       ▶ 無理に意見を言ってもらう必要はなく、少し促す程度でかまわない
          もし、何もコメントがなければ、次のアクティビティに移る

●日常の「暴力」と「平和」の境界で考える(15分)
1.  次に、その境界に立ってみましょう。「対立」が起こったとき、あなたなら、どう対応しますか。きょうだいでおやつ(ケーキやみかん)を分け合うときの解決策を考えて箇条書きにしてみてください。どんな場合に、「暴力」的な解決となってしまうでしょうか。また、反対に、どんな場合に、「平和」的手段での解決となるでしょうか。グループで話し合ってみてください。

2. ▶8〜10分後
    さて、どんな話し合いができましたか。全体で分かち合いましょう。

3. ▶出てきた意見を生かしながら
  勝つか負けるかという勝負のみにとらわれると、暴力的な手段を使うことになりそうですね。では、平和的な手段を使う場合は、どのようなことをめざして解決策を探しているのでしょうか。何か気づいたことはありますか。

【発展編】
●国際問題についても考えてみよう(15分)
1.  次に、国際的な対立とされる領土問題、海洋資源をめぐる問題、あるいは宇宙開発の問題などについても考えてみましょう。一見、私たちの日常とはかけ離れているように思える国際関係についても、「対立」はしばしば起こっています。それらは、一般的にどのように考えられているか話し合ってみましょう。

2. ▶3〜4分後
  さて、どんな話し合いができましたか。全体に報告してください。今まで報告者になったことのない人が報告してください。

3.  国際関係における対立の例として、領土問題についてもう少し考えてみましょう。まずは、さきほど話し合ったように、日常の対立と同様の構造で考え、その延長線上にとらえてみましょう。対立を平和化することが可能でしょうか。暴力化する場合はどんなことが起こっていますか。一定の土地をめぐって、その土地に接する2カ国、あるいは3カ国が、どのようにその対立を解決したらいいか考えてみましょう。

4. ▶7〜10分後
  さて、どんな話し合いができましたか。全体で分かち合ってみましょう。今まで発表者になったことのない人が発表してください。

5.  おやつを分け合うというケースについて議論したときと、領土問題について議論したときに、それぞれの「対立」には、どんな違いがありましたか。また、どんな類似点がありましたか。

6.  おやつを分け合うという問題は、身近な問題として現実味があります。領土問題ともなると、「自分自身の問題ではない」として切り離し、「政治家に任せてしまおう」と思ってはいませんか。「身近な対立」と「国際的な対立」を比べてみたとき、何か気づいたことはありませんか。

ファシリテーターのために

 参加者には、「こういう文化(例えば、イスラムの文化)は暴力的だね」と決めつけるような安易な一般化は、ステレオタイプ化した偏見を生み、そして、そういった言動が暴力につながっていくことに気づいてもらいたいと思っています。そういった「暴力の芽」をしっかり認識できるようになり、その芽が深刻な暴力に育たないようにと願っています。
 参加者の中には、さまざまな対立を経験した人がいるでしょう。また、「平和」や「暴力」についてもいろいろな意見があるでしょう。ファシリテーターは、一方的に「それは、思い込みだ」と対応するのではなく、一緒に考ていく姿勢をもちたいものです。
 対立にとっての解決方法を見つけようとするとき、思い切った奇想天外な意見を大事にすることは、創造性を活性化し、徐々に、とても平和的なアイデアが生まれていくことにつながることが多くあります。怖れずに、たくさんのびっくりするような意見を出してもらうように働きかけてください。

 ※非暴力については「ちがいのとびら」の「暴力の状況を考える」を参照してください。また、この活動を組み合わせることもできます。

資料

平和学とは

   戦争などに代表される目に見える暴力をはじめとして、さまざまな形の暴力(見えないものも含む)がなくなることをめざす、平和学という学問があります。また、平和学とは、社会における正義を追求し、平等な権利を獲得し、環境の中における生存などの問題に積極的な形で関わっていく学問でもあります。ただ、「学問」といっても、理論分析ばかりをするのではなく、実践を大事にします。実践から学んで理論を構築し、またそれを、実践に生かしていくことが、平和学のアプローチです。

以下、平和学による暴力の定義について、議論の時系列で説明します。

<ピースレスネス=「非平和」>
 平和学は、冷戦開始後の1950年代に本格的になりました。1968年には、インドのスガタ・ダスグプタという平和研究者が、「南の世界(いわゆる開発途上国)においては戦争がないからといって平和とは言えない、戦争がなくてもおびただしい死者がいる」と指摘し、この状態をピースレスネス(peacelessness)=「非平和」とよびました。そして、これらの死者をださないための方法、政策を探究することも平和学の課題であると主張したのです。

<「消極的平和」と「積極的平和」>
 ダスグプタのこの指摘は、ノルウェーのヨハン・ガルトゥングに影響を与えたとされています。翌1969年に、ガルトゥングは、「平和=戦争のない状態」と捉える「消極的平和(negative peace)」という概念を編み出しました。また、「構造的暴力(structural violence)」とは、社会構造の中に組み込まれている不平等な力関係、経済的搾取、貧困、格差、政治的抑圧、差別、植民地主義などをさすと主張しました。そして、そういった「構造的暴力(structural violence)」のない状態を「積極的平和(positive peace)」とすると提起し、平和の理解に画期的な転換をもたらしました。
 戦争、さらには、実際に目に見える暴力を「直接的暴力(direct violence)」と呼びます。物理的に暴力を加えたり、言葉によって他者を傷つけたりするようなことです。そして、「消極的平和」とは、「直接的暴力がない(だけの状態である)」として、「消極的」に平和概念を表現する定義となっています。それに対して、「積極的平和」は、「構造的暴力がない」というだけではなく、次第に「積極的な」定義付けがなされるようになりました。社会正義があることや医療システムの恩恵を受けられることなどは、積極的な平和の定義です。

<「構造的暴力」>
 上記のように、構造的暴力がない状態とは、社会正義がある状態をさすと考えます。よって、積極的平和とは、経済的・政治的安定、基本的人権の尊重、公正な法の執行、政治的自由と政治プロセスへの参加、快適で安全な環境、社会的な調和と秩序、民主的な人間関係、福祉の充実、個人における幸福の存在などを意味するのです。
 ガルトゥングによれば、人が本来その潜在的能力を発揮できる状態以下であるような状況におかれているならば、その社会には(何らかの形で)暴力が存在します。例えば、平均寿命が50歳前後である国・地域の状況は、75〜85歳である先進工業国と比べてみると、人として平等ではない状況があるわけで、そこにはある種の暴力、社会構造・制度に組み込まれた暴力である「構造的暴力」が存在するといえます。
 例えば、21世紀の今、結核による多数の死者が発生するのは、構造的暴力が原因であると考えられます。つまり、医療設備や薬品が整備されてさえいれば予防できたはずなのに、治療の機会を奪われたことになるのです。
 構造的暴力は、暴力の主体が何であるのか分かりにくく、流血を伴わず、緩慢・日常的・習慣的であるというような特徴をもっています。日ごろから軍隊という制度を維持するために、税金を徴収し兵隊を訓練するということなどは、直接的暴力と大きく違って、瞬間的に大破壊が起こるわけではないと思われがちで「目立たない」ため、ニュースにも取り上げられず、注目されないことから、問題が埋没してしまうという構造をもっているのです。

<「文化的暴力」>
 最後に、「構造的暴力」に加えてもう1つ暴力概念を知っておきましょう。ガルトゥングは1990年代に入ってから、「文化的暴力(cultural violence)」概念を提起するにいたります。直接的暴力、構造的暴力、文化的暴力は相互に依存・補完しあっています。文化的暴力とは他の2つに正統性を与え、支えているものです。例えば、神や祖国の名のもとに殺人を犯すことはどうでしょう。また、人類のなかのさまざまな弱者を根絶やしにするために、「弱者切り捨て」的発想で人々を窮乏のうちに死なせることなどはどうでしょうか。文化的暴力の中には、戦争を容認する意識や、私には関係ないと無関心な姿勢をとることが含まれています。そして、そういった姿勢や意識というものが、直接的・構造的暴力を正当化・合法化するのです。人は、言葉を用い、文化を形成しながら、自らの思想や行動の意味を見出すものです。そこから生まれて支えられる暴力を「文化的暴力」と名付けます。ですから、選民意識やナショナリズムのような、宗教やイデオロギーが生み出している諸問題も、文化的暴力となる可能性があるのです。

 これらの暴力・平和概念を知ることで、一般に暴力とよばれるものの実態を、その深部から理解するために役立ててください。さまざまな社会状況、人間関係の中で、どういうことが起こっているのか分析してみてください。状況を整理して考える道具にしてもらえたら幸いです。
*プリント「暴力の関係性」の図もあわせて参考にしてください

参考文献:
*『ガルトゥング平和学入門』
  ヨハン・ガルトゥング+藤田明史他、法律文化社、2003年 (とくに、第1章「平和とは何か」)
*『いま平和とは何か:平和学の理論と実践(グローバル時代の平和学1)』
  藤原修+岡本三夫他、法律文化社、2004年 (とくに、第4章「平和学へのアプローチ:平和・暴力概念を手がかりに」)
*『平和学の現在』
  岡本三夫+横山正樹他、法律文化社、1999年 (とくに、第3章「平和:戦争の不在から暴力の不在へ」、第4章「構造的暴力と積極的平和」)

 
資料「平和学とは」 / [PDFファイル/379KB]

プリント「言葉のリスト」 ・ プリント「暴力の関係性」 / [PDFファイル/1.87MB]


 

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このページの作成所属
府民文化部 人権局人権企画課 教育・啓発グループ

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