令和6年度 心の輪を広げる体験作文 障がい者週間のポスター作品集 ごあいさつ 大阪府知事 吉村 洋文  今年度も、「心の輪を広げる体験作文」と「障がい者週間のポスター」に多 数のご応募をいただきありがとうございました。また、入賞された皆さまに は心からお祝いを申し上げます。  大阪府では、「第5次大阪府障がい者計画」に基づき施策を推進し、計画に 掲げる基本理念である「全ての人間(ひと)が支え合い、包容され、ともに 生きる自立支援社会づくり」の実現に向けて取り組んでいます。  このような社会を実現するためには、府民の皆さまに障がいや障がいのあ る方への理解を深めていただくことが重要です。本事業では、毎年、幅広い 世代の方々を対象に、障がいをテーマとした作文やポスターを募集しており、 特にこれからの時代を担う若い世代の皆さまに理解・関心を深めていただく 良いきっかけになると考えています。  今回入賞されました作文は、身近にいる障がいのある人との関わりを振り 返ることで、障がいについて改めて考え、自身のことと対比しながら、障が い者への肯定的な理解と、啓発の必要性が明確に述べられている作品など、 どれも心に響くものばかりでした。  ポスターについても、障がいに関する様々なマークや色彩豊かな笑顔の手 形が描かれ、障がい者理解を元気に明るく促進するような作品や、障がいの ある方を色々な立場の人が支え合うことを巧みに表現し、見る人を優しい気 持ちにさせてくれる作品など力作ぞろいでした。  2025年大阪・関西万博の開幕が近づいてきました。この万博では「い のち輝く未来社会のデザイン」をテーマとして、150を超える国や国際機 関が世界中から「いのち輝く未来社会」への取組みを持ち寄り、SDGsの達 成とその先の未来を描き出します。万博を通した様々な取組みにより、障が い者を取り巻く環境がより良く変わっていくことにも大いに期待しています。  そして、このテーマを実現するためには、障がいの有無にかかわらず、相 互に尊重し合い共生する社会の実現が不可欠です。この作品集を通じて、障 がいへの理解を一層深めていただき、理解不足から生じる差別や偏見をなく すことで、すべての人にとって暮らしやすいまちを実現することを共にめざ しましょう。  結びに、今回の募集にあたって、ご協力いただいた関係機関ならびに審査 員の皆さまに、この場をお借りして厚くお礼を申し上げます。 ごあいさつ 大阪市長 横山 英幸  今年度も「心の輪を広げる体験作文」及び「障がい者週間のポスター」に ご応募をいただき、誠にありがとうございました。また、各部門において入 賞された皆様に、心からお祝いを申し上げます 。  今回入賞された作文は、作者と友人の会話を通して、いつも配慮して接し てくれる友人への感謝を綴った作品や、作者とご家族の体験を振り返り、作 者が感じた誰もが生きやすい社会を作るために大切なことを綴った作品、作 者とご家族のコミュニケーションを通して、障がいに対する理解を深めてほ しいと願う作品など、体験を通じて、人それぞれの考え方や感じ方が異なる ことを理解し、相手の気持ちを考えながら行動しようとする気持ちを強く感 じる作品が多くありました。  障がい者週間のポスターは、みんなが助け合う社会、愛にあふれた社会を 表現した作品や障がいのある方に関するマークや補助具を描くことで、障が いへの理解が進んでほしいという思いが込められた作品がありました。  どの作品も、障がいのある方とない方との関わりを通じた思いやりの心が 表現されており、将来を担う若い世代の皆様の心に、このような気持ちが育 まれていることをとても嬉しく思います。  2025年には「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマとして「大阪・ 関西万博」が開催され、異なる文化や背景を持つ世界中の方が数多く訪れます。 万博を通じて、多様性を分かち合い、互いに理解を深める機会となることを 心から願っています。  大阪市では、すべての市民が住み慣れた地域で安心して暮らすことのでき る社会をめざして、「大阪市障がい者支援計画・障がい福祉計画・障がい児福 祉計画」を策定し、施策を推進するとともに、様々な分野において市民の皆 様への積極的な啓発に取り組んでいます。また、様々な障がいの特性を理解し、 困っている様子を見かけたときに手助けや配慮を行うことで、誰もが住みや すい社会をめざす「あいサポート運動」にも取り組んでいます。  この作品集や障がい者週間での取組などをきっかけに、より多くの方に障 がいや障がいのある方に対する理解と認識を深めていただき、障がいの有無 によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合う共生社会 の実現に向けて、着実に歩みが進んでいくことを心から期待しています。 ごあいさつ 堺市長 永藤 英機  「心の輪を広げる体験作文」と「障害者週間のポスター」に応募いただきあ りがとうございました。また、入賞された皆様に心よりお祝いを申し上げます。  それぞれの立場から「障害」というテーマに向き合い、熱心に取り組まれ たことを嬉しく思います。  今回入賞された作文は、ダンス公演で障害のある方と一緒に踊ることで心 の輪がつながった瞬間と障害について知る大切さを実感した作品、テレビ番 組をきっかけに障害者の生活環境や周囲の支えに注目した作品など、どれも 実体験を通して得た気づきや学びが豊かに表現されており、障害のある方に 対する正しい理解が進んでほしいとの思いが伝わりました。ポスターについ ても、会話をしなくても絵に描いて伝わる喜びが感じられる作品で、円滑な コミュニケーションには伝達手段の工夫が大切であることが表現されていま す。  堺市では市政運営の大方針である「堺市基本計画2025」において、重 点戦略の施策に「障害者が生きがいを持って心豊かに暮らせる社会の実現」 を掲げ、暮らしの場の確保や社会参加の促進など積極的に取り組んでいます。 本年3月には「第5次堺市障害者計画・第7期堺市障害福祉計画・第3期堺 市障害児福祉計画」を策定し、ライフステージや障害特性等に応じた途切れ のない支援を推進しています。  現在、障害のある方が地域で安心して自分らしく生活できる支援基盤の充 実を図るため、障害者福祉の拠点である「堺市立健康福祉プラザ」を中心に、 障害の有無にかかわらず多くの方の利用を促進すること、またスポーツや文 化芸術活動などを通じた社会参加や障害のある方とない方の相互理解を深め ることに力を注いでいます。  堺市は、個性と人格を尊重する意識を社会全体に広げ、障害のある方の生 活を地域全体で支えるサービス体制の構築を進めていますので、皆様の一層 のお力添えをいただけますと幸いです。  そして、この作品集が学校や地域で広く活用され、より多くの皆様に障害 のある方に対する理解と認識を深めていただくことを願っています。 心の輪を広げる体験作文 目次 最優秀賞小学生部門 (大阪市)「きこえる友だちのサポートに感謝」 大阪市立北中道小学校 6年 前田 琉唯菜(まえだ るいな) (堺市)「家族の助けあい」 賢明学院小学校 5年 森 葵生(もり あおい) 最優秀賞中学生部門 (大阪府)「ぼくの大切ないとこ」 関西創価中学校 1年 松村 聡明(まつむら そうめい) 最優秀賞高校生部門 (大阪市)「誰もが生きやすい社会を作るために」 関西創価高等学校 3年 松峯 奈穂(まつみね なお) (堺市)「心の輪がつながる時」 関西創価高等学校 2年 西村 爽空(にしむら そら) 最優秀賞一般部門 (大阪市)「見えない障がい」 大阪医療技術学園専門学校 伊藤 咲菜(いとう さな) 優秀賞小学生部門 (大阪府)「この夏の思い出」 大阪狭山市立第七小学校 4年 中井 敬尊(なかい ひろと) (大阪府)「私という人」 岸和田市立光明小学校 6年 植村 有(うえむら あり) (大阪市)「交流手段の多様性」 城星学園小学校 5年 矢部 碧子(やべ あこ) (堺市)「みんなのまつり」 堺市立原山ひかり小学校 3年 伊藤 希(いとう のぞみ) 優秀賞中学生部門 (大阪府)「おじさんとの一日」 関西創価中学校 1年 石原 花凜(いしはら かりん) (大阪市)「盲導犬と声楽家のハーモニー」 大阪教育大学附属平野中学校 1年 谷内 俊介(やち しゅんすけ) (大阪市)「障がいがある人」 桃山学院中学校 1年 早川 倫子(はやかわ りんこ) 優秀賞高校生部門 (大阪府)「みんな同じ」 関西創価高等学校 3年 安達 清美(あだち きよみ) (大阪府)「対話と想像」 関西創価高等学校 3年 茂山 聖菜(しげやま せな) (大阪市)「心の輪を広げる第一歩」 関西創価高等学校 2年 永田 弘美(ながた ひろみ) (大阪市)「日常」 関西創価高等学校 3年 入江 美奈子(いりえ みなこ) 優秀賞一般部門 (大阪市)「優しい嘘」 大阪医療技術学園専門学校 須本 凛(すもと りん) (大阪市)「偏見の先に」 大阪医療技術学園専門学校 中野 桜(なかの さくら) (堺市)「白羽の矢が立って」 森下 美里(もりした みさと) (堺市)「他者との関わりの中で」 森田 香奈(もりた かな) 小学生部門最優秀賞 前田 琉唯菜 大阪市立北中道小学校六年 きこえる友だちのサポートに感謝  給食の時間が開始され、自由に席を替えて食べることが可能なので、同じ クラスにいるもう一名のきこえにくい子と、きこえる友だちと一緒に机を付 けて食べ始めました。  突然、きこえる友だちが 「二人は、どうやって手話を覚えたの。」 と、質問をしてきました。 (手話は、入学前に聴覚支援学校の幼稚部に通っていた時から使っていたし、 どうやって覚えたのか記憶がないな。) と、頭を抱えました。 「手話をどのようにして覚えたのかあまり覚えていないけど、先生が手話で表 されるのを見て真似をして覚えたと思う。」 と、友だちが納得のいく説明ができたか自信がなくて不安げに伝えました。  きこえる友だちは納得していた様子だったので、ほっとしました。  一緒に食べていた、きこえにくい子が 「最初に覚えた手話は、『おいしい』だよ。二人が初めて覚えた手話は何かな。」 と、質問をしてきました。 「初めて覚えた手話は何か、覚えていない。何だったかな。」 と、首をかしげていると、きこえる友だちが 「初めに覚えた手話は『一緒』かな。」 と、うなずきながら言いました。 (一緒に何かをしようと誘うため、『一緒』という手話をまず覚えてくれたの かな。気持ちが伝わるようでうれしいな。今まで手話について会話したこと がなかったけど、手話に興味を持ってくれていたのかな。) と、感動してしまいました。  次の日の一時間目は、音楽の授業でした。担任の先生が、開口一番 「運動会で応援団が歌う歌をかけてみます。一度聞いてみましょう。」 と、説明をされ、すぐに曲がかかりました。  パソコンをモニターに接続し、モニターから音が出ていたので、モニター の所にワイヤレス補聴援助システムのマイクを先生が置いてくださったので 大きめの音で聞こえていました。どんな曲か必死に聞いていました。  昨日、手話について会話したきこえる友だちが、突然、隣の席から合図を してきました。  その友だちは、続けて何か言いましたが、マイクから大きな音で曲が聞こ えていて、聞き取れませんでした。 「音楽が大きく聞こえていて、聞こえなかったから、もう一度言ってくれる。」 と、即座にお願いしました。  友だちは、快くもう一度言ってくれましたが、やはり聞こえず、困ってい ると、自由帳を取り出し、何か書き始めました。 『応援団がセリフを言うとき、白や赤からイメージすることばを言うので考え る。』 と、先生が指示されたことを書いてくれました。 『分かった』と手話でまず表しました。 「先生が指示されたんだね。音楽が大きく聞こえていて分からなかった。書い て教えてくれてありがとう。白からイメージするのは、マスクかな。」 と、お礼を伝え、思いついたことばを言いました。  友だちは、笑顔で『OK』と手で表してくれました。 (手話に興味を持ってくれ、聞き取るのは難しいと判断した時は、文字で伝え てくれたのでうれしいな。雑音が多くて聞き取れないことが多いので、見て 分かりやすいように配慮して伝えてもらうととても助かり、ありがたいな。) と、心から感謝しました。  その後、歌う時や楽器を演奏する時は、きき取りにくいことが多く、あま り得意ではない音楽の授業に気分よく参加することができました。 小学生部門最優秀賞 森 葵生 賢明学院小学校五年    家族の助けあい  夏休みが始まってしばらくした頃の夜、夏期講習から帰ると、テレビで強 度行動障害のある子とその家族の特集が放送されていました。  強度行動障害という言葉を、私はその時初めて知りました。怖い感じがす る名前だなと思いました。テレビを見ていると、その言葉の通り、「困った行動」 のレベルが命に関わるようなものでした。例えば、テレビに出ていた子は、 血がでるまで自分の顔を叩いてしまったり、大人が止めるのをふり切って、 全力疾走で大通りを走って行ってしまったり・・・という危険な行動です。  その子たちを支える周りの大人も、とても大変そうでした。家族の他に、 デイサービスのスタッフさんや、学校の先生などが毎日必死に命を守ってい ました。  「障害者」と一言で言っても、いろいろな人がいるなぁと感じました。パラ リンピックなどに出場し、世界で活躍できる人もいればつねに隣に支援者が いないと、命に危険が及ぶような人もいます。  私がふだん、外で強度行動障害と言われるような人に出会わないのは、きっ と、その人の隣にいる家族や支援者の人が、必死で危険のないように守って くれているからだと思いました。すごく責任重大で大変な仕事だと思います。  私の姉も、今は中学一年生で少し落ち着いたけれど、昔は危険な行動がた くさんあったそうです。家の中は、当時の工夫のあとがたくさん残っています。 吹き抜けは金網で閉鎖されているし、ベランダはサンルームのように囲って います。庭は、高い壁で囲ってありドッグランのようになっています。窓には、 それぞれ鍵が複数ついています。  今は、そんなものが無くても、高いところには登らないと思うし、窓から 勝手に出て行ったりもしないと思うけれど、小さい頃は、とても重要な命を 守るバリケードだったそうです。  テレビ番組では、後半に、絵カードを使って意思を伝えるという方法が放 送されていました。この方法を使えば、言葉を話せない人でも、自分の意思 を伝えることができます。伝わることでイライラも減って、困った行動が少 しだけ落ち着いたというお話しがありました。伝わることって安心すること なんだなと思いました。  自分に置き換えて少し想像してみました。もし、家族に今日学校であった 出来事をいっしょうけんめい話したあと、全く関係のない事を言われたり、 聞いてもらえていなかったら・・・すごく悲しいし、ストレスです。  強度行動障害の人も、その家族も、毎日緊張感いっぱいのはりつめた気持 ちで、必死に生活していると思います。  この番組では、最後に家族の人からのお話で「こんな方法で、少し楽になっ たよ」とか、「こんな福祉サービスを使って、連けいが取れたよ」という紹介 もされていました。  テレビの力はすごいなと思いました。家の中で、誰にも相談できずに困っ ている家族の人がいたら、この番組を見てくれたらいいなと思いました。 中学生部門最優秀賞 松村 聡明 関西創価中学校一年 ぼくの大切ないとこ  ぼくには、大好きないとこがいます。お母さんの妹、ぼくのおばさんの三 人の息子です。一番上のしんちゃんが二十四才、二番目の蓮くんが二十二才、 三番目のだあちゃんが十六才、高校一年生です。  ぼくが生まれたときから、いつも一緒でたくさん遊んでくれて、たくさん かわいがってくれます。  ぼくにとって三人は、兄弟のような存在です。三人の中で、一番仲良しな のはだあちゃんです。  大好きなだあちゃんは、小学校から支援学級に通っています。大きな音が 苦手なので、支援学級に通っているのよ。とお母さんが教えてくれました。 ぼくにも苦手なことはあります。野菜を食べることや水泳などが苦手です。 でも、だあちゃんの苦手は好きやきらいではなく、心がとっても苦しくなっ てしまうそうです。それが、だあちゃんの持っている障害だと聞いて、ぼく はびっくりしました。  そして、障害がある、ないのちがいは何なのだろうと思いました。  だあちゃんは、得意なことがたくさんあります。例えば、動物のことをよ く知っています。動物の名前や種類、生息地などにくわしいです。動物園に 行くと、一つ一つ動物について説明してくれるので、とっても楽しむことが できるし、勉強にもなります。  ぼくが苦手な野菜もモリモリ食べます。泳ぐのも大好きで、この夏も何度 もプールに行っていました。とても明るくて、いつもみんなを笑わせてくれ ます。いやなことも楽しいことに変えることができます。  いつもニコニコ笑っていて、とてもかわいくて、とても優しいです。  ぼくが悔しい思いや、苦しくなったときは、すぐに助けにいくよと、ぼく を元気づけてくれます。ぼくにとってだあちゃんは、最大の理解者であり、 大好きで、とても大切な存在です。ぼくも、だあちゃんにとって最大の理解 者でありたい、強い味方でありたいと思っています。  なぜなら、ぼくにとって大切な人だからです。ぼくにとって「障害」とい う言葉は「個性」だと思っています。  生まれた国、顔や性格、得意なこと不得意なこと、好きなこときらいなこ とが、全て同じな人は一人としていない。ぼくと同じ人間はどこにもいません。  それは、とても貴重で素晴らしいことだから、ぼくのまわりにいる友達の ことも大切にしていきたいと思いました。  これからぼくは、障害がある人とは言いません。今までも思ったことはあ りません。自分とはちがうところがあっても、それは個性だと思っているか らです。  その個性を認め合い、称え合えれば、いじめや差別がなくなっていくんじゃ ないかと思うのです。  今、フランス・パリではパラリンピックが行われています。世界共通のスポー ツを通して、みなが平等であること、だれもが無限の可能性があることを教 えてくれています。勇気と希望を広げてくれている姿に感動します。  ぼくにも、個性とよべるところがあります。生まれた時から頭頂部の毛根 が少なく、かみの毛が生えにくいのではげている様に見えます。今までもか らかわれた事があったけど、ぼくの証で、個性なんだと思っています。  だからぼくは、見た目で人を決めつけたりしません。これからも、目の前 にいるその人のそのままを受け入れる人でありたいと思っています。  そして、優しくて心の広い人になりたいです。  こう思えるのも、いとこのおかげです。  だあちゃんに、本当にありがとうと伝えたいです。 高校生部門最優秀賞 松峯 奈穂 関西創価高等学校三年 誰もが生きやすい社会を作るために  「どうして身体が大きいのにお母さんと学校に行っているの?」これは母が 近所の人に言われた言葉です。妹は知的障がいがあり、我が家では妹が母と 一緒に通学することは当たり前のことでした。近所の人はそのことを知らな かったのかも知れません。  しかし、母はこの言葉でその道を通るのを嫌になったのです。私はその話 を母から聞いて、とても悲しい気持ちになりました。その言葉をかけた側の 人は、家庭の苦労も何も知らないからそういう想像力の無い言葉を平気で言 えたのでしょう。私はこの事を通して知らないということは人を傷つける可 能性があることに気づかされました。そして、私も知らないうちに人を傷つ けてしまうことがあるかもしれないと思うと怖くなりました。目の前の出来 事を自分のものさしで言葉を発するのではなく、相手の事を想像して思いや りのある言葉選びをすることが大切です。私は小学生の時に集団でいじわる をされた経験があります。その経験は昔のことだけど、今でも鮮明にされた ことやあびせられた言葉やその時いじわるをした人の顔を思い出します。思 い出す度にその時の辛さや苦しさが蘇るのです。ずっと心に傷が残ってしま うようなことや言葉が現実にあるのです。人はそれぞれ育った環境も積み上 げてきた経験も違いますが、どの言葉で傷つくかも人それぞれ違うので、軽 く言った一言だったとしても心に刺さって傷つく人もいます。だから、簡単 に自分の考えを押し付けたり否定的な言葉を言ってはいけないと思います。 また、自分では解決できないことや悩んでいる時は人を頼ることが大切だと 感じています。  私は悩んでいる時期に部活の先生に相談し、先生も幼少期にいじめられた 経験があると教えて下さいました。私の話を親身になって聞いてくださって、 心がとても楽になりました。友達に相談した時も、私もいじめられていたこ とがあると言ってくれた人がいました。  悩んでいるのは自分だけではないんだと安心し、心が救われました。皆言 わないだけで何かを抱えて生きていると思いました。友達の中には私の妹よ り重い障がいのある家族がいると教えてくれた人もいました。その時私は一 人じゃないと思いました。きっと、その友達も同じことを思ったと思います。 人は自分と同じような経験を持つ人の話を聞くと自分だけではないという安 心感と共に勇気を得ることができると思いました。人はどうしても辛い時や 苦しい時、こんな思いをしているのは自分だけだと思ってしまうことがあり ます。でも実はそうではなくて、周りの人にも自分と似たような思いをして いる人がいると思うと気持ちが楽になります。妹の学校の生活発表会を見に 行った時、障がいがあっても力を合わせて頑張る生徒の姿に感動し、元気を もらいました。妹の同級生は桜梅桃李でみんな輝いていました。桜梅桃李と は仏法用語で桜、梅、桃、李の各々の花がそれぞれの時期に咲き、全ての花 に良さがあるという意味の言葉です。生活発表会を見て、体が不自由でもみ んなとても楽しそうでキラキラしていて、「みんな違っていいのだ」と改めて 思いました。一緒に発表会を見に行った父は「先生が発表を見ながらずっと 涙を流していたのが一番感動した」と言っていました。支える方の情熱は心 を動かします。  私も人の目を気にしたりせずに強く生きていこうと思えました。また、私 が通う学校の近くにある支援学校と学校間で交流会をした時、上手く交流が できるのか不安だったけど、支援学校の生徒さんや先生方が私たちを温かく 迎えてくれ、一緒にダンスをしたり、画用紙で作品を作ったりして楽しい心 の交流ができました。どんな人とも優しい心があれば楽しく交流できるのだ と痛感しました。私は妹を見ている中で、障がいがあるのは可哀想なことで はないと感じています。世の中には障がいのある人や病気を患っている人な どたくさんの人がいます。その人も周りの人からサポートをしてもらいなが ら生きています。それはその人の個性で、否定していいものではありません。 それは妹の存在があったおかげで胸を張って言えます。私も昔は妹はどうし て障がいがあるんだろう、普通じゃないんだろうと思ったことがあります。 しかし、それは知らないうちに妹を他の人とは違うと差別しているというこ とに気づきました。私は皆、障がい者になる要素を持っていてそれが大きい か小さいかの違いだと思います。障がいや病気がなくても苦手なことや不得 意なことがあると思います。反対に、障がいや病気があっても得意なことや できることがあります。だからそれを自分にしかない個性ととらえ、周りの 人の個性も認め、支え合えればより良い社会にしていけると思います。  最後に、私が経験した全てのことが私の人生でとても大切でかけがえのな いものだと思います。なぜならそれらの経験があればあるほど、人の気持ち がわかる人になれると思うからです。私は障がいがある妹のおかげで障がい について深く知ることができました。また、いじめを受けた経験からいじめ られた人の気持ちがわかるようになりました。誰もが生きやすい社会を作る ためにはまずは自分が知らないことを積極的に知っていくことが大切だと思 います。まだまだ知らない障がいや差別問題などがあるので、これからたく さんのことを学んでいきたいと思います。そして、私がたくさんの人に助け られたように今度は私が誰かを助けられる存在に成長していきたいです。 高校生部門最優秀賞 西村 爽空 関西創価高等学校二年 心の輪がつながる時  私は十一歳のときからダンスをしている。ダンスは音楽に合わせて演じら れる表現方法の一つで、音のとりかたや、気持ちののせかたによってさまざ まな種類がある。  今年、私はある一人のダンサーに出会った。その人は聴覚障がい者で、暗 闇の中で光を身にまとって踊る世界的なダンスチームの一人として活躍して いた。どうして聴覚障がいがあるのに、そのうえで暗闇の中で踊るという視 覚的な制限もあるチームに入ったのか不思議に思ったが、その人は「僕は耳 が聞こえないから、視覚で楽しめるダンスの作品に関わりたいと思っていた。 このチームの作品を見たとき、音楽が聞こえなくても目で見て楽しめた。」と 話していて、なるほどと思った。  「音楽が聞こえない」。ダンスを音楽に合わせて踊っている一人として、「音 楽が聞こえない」は自然と「踊れない」の考えに結びついてしまっていた。 でもそうじゃない。音楽は聞こえなくても踊れるんだ。音楽という土台の上に、 ダンスがあるという私の誤解は、この人と出会って変わった。  そこから私は障がいを持ちながらもダンスを踊っているたくさんの人に興 味を持ち始めた。知っていくたび、全員が自分のありのままの姿で「踊る」 ことの意味を教えてくれているような気がした。聴覚障害のあるダンサー以 外にも、車いすのダンサー、低身長症のダンサー、自閉症のダンサー、盲目 のダンサー、たくさんの価値観と身体をもつ人たちだからこそぶつかってき た壁があり、伝えられるものがあり、その人だけが踊れるダンスの強みがある。 障がいの種類、年齢、性別関係なしに、自分たちのありのままの音楽表現で すべての人の可能性を広げていくそんな姿を見て、「私もこんなふうに踊れる 人になりたい。」と思うきっかけになった。  そんな中、今年の夏にダンスの公演があった。その公演の中で、私は障が いをもつたくさんのダンサーさんと交流する機会があり一つの作品を踊りき ることができた。この作品を通して私は改めて、ダンスに障害の有無は関係 ないと思えた。ダンスに適した身体なんてない。ダンスだけではなく、勉強 に適した身体も、スポーツに適した身体も、働くために適した身体も、何一つ、 適した身体なんてない。少なくとも、この公演を見に来てくださった方には それが伝わったのではないだろうか。なぜなら、公演後の拍手が「一生懸命 に頑張って踊ったダンサー」に対してではない、「感動を届けてくれた1人1 人のダンサー」への敬意の拍手だと確信することができたからだ。ダンスを 通して障がいに触れ、一緒に踊り、ありのままの気持ちを伝えた瞬間。これ が私の心の輪がつながったと思えた瞬間だった。  この地球に住むわたしたちはいろんな個性で溢れている。みんな同じでは なく、みんながみんな違っている。その違いに否定という感情が出てきてし まうと、そこには差別が生まれる。否定をうまないために私たちができるこ とはなにか。まずは、障がいについて正しく知ることだと思う。自らが障害 に触れ、学び、伝えていく。これが「心の輪を広げること」ではないだろうか。 この作文を書き、そう思った私はこれからもこの学びを伝えていこうと思う。  ダンスを通して繋がることができた、たくさんの障がいをもつダンサーさ んたちへの敬意を込めて。 一般部門最優秀賞 伊藤 咲菜 大阪医療技術学園専門学校 見えない障がい  私の母は声が出にくい。出にくいといっても吃音症と似ているようでまた 少し違う。声を出そうとすると自分の意志とは無関係に声帯が異常な動きを してしまい、絞り出すような声が出てしまうのだ。原因は不明である。これ が厄介なもので、声帯には何の異常も無く医師にも周知が徹底されていない 為に「精神的なもの」と診断されることも少なくはなく、幾つもの病院をま わり、診断結果に辿り着くのに何年もかかるケースも珍しくはない。私の母 も実際に、この障がいだと分かるのには長い時間を要した。耳鼻科や咽喉科 に行っても症状は判明せず専門の外来に行ってようやく、痙攣性発声障がい だと分かった。母はその中でも内転型痙攣性発声障がいというものだ。吃音 症は最近、世間では「注文に時間がかかるカフェ」等がメディアで取り上げ られ、少しずつ認知をされてきている。吃音症と同様にこれらの発声障がい は「見えない障がい」として理解を深めていかなければならない。  私の母は接客業をしていた。日々の業務でお客様に「いらっしゃいませ」 と声をかける時や受付で名前を呼ぶ時に声が上手く出ずに、馬鹿にするよう に笑われることもあった。声帯の異常は当たり前だが見た目では分からず、 周囲からの理解を得にくくしている。また、全国に内転型痙攣性発声障がい の患者は約4500から9000人と推定される希少疾患なのだ。潜在患者 はそれよりも、もっと多いと考えられている。それもまた理解を得にくくし ている要因であると言えるだろう。  娘である私は、母の苦しむ姿を小さい頃から間近で見てきた。一緒に買い 物をして、何かを注文する時よく母に「言えないから代わりに注文言ってく れる?」と言われた。母は自分が注文すると相手に声が聞こえにくくて何度 も聞き返される。ということを経験している為に、ネガティブな思考になっ てしまうことも多々ある。「おはよう」、「ありがとう」、「私の名前は〇〇です」 このような私達が普段当たり前に話すような簡単な一言も、この障がいがあ る母にとっては上手く言えない時がある。伝えたいのに、相手に伝えられない。 というのはとても辛くて苦しいことだ。小さい頃から母が話した言葉を聞き 返される、という場面を多く見てきた中で、ある母の表情が目に焼き付いて いる。それは、聞き返されてしまうその度に見せる母の悲しそうな顔だ。い つかこの障がいが完治すれば良いのになあ。と思っていたのだが、最近になっ てこの障がいの根本的な完治は難しいということを初めて知った。「声」は人 間がコミュニケーションをする上で何よりも大切なものであるのに障がいと いう障壁があるのはとても辛いことである。  私達はそんな「見えない障がい」に対しての理解をもっと深めなければな らないと感じる。母の悲しむ姿をもう見たくない。少しでも笑顔になってほ しい。静かに、ゆっくりと話に耳を傾ければ母は楽しそうに話す。なんの滞 りも無く。心と声は結びつく。これは母とのコミュニケーションの中での大 きな気付きであった。他人の話に耳を傾けるのは当たり前の事だが、思いや りを心に持たなければならない。思いやりを心に持たなければ、傾聴するこ とは出来ない。思いに寄り添い、相手の話に耳を傾ける。これらが声の障が いがある母との会話の中で学んだことである。皆さんには母のように上手く 声が出せない人が居たとしても、急かすことはせずに待ってあげて欲しい。 相手を思いやる気持ちは、本当に当たり前のような事であるが、何よりも大 切なものなのだ。心と心を繋げるのは貴方の思いやり。そう心に少しでも留 めておいてほしい。障がいのある人もない人も、「全ての人間」が気持ちよく 過ごせるように日々学び、理解を深めていく事が大切だ。間違った認識は捨 てて、これから正しく理解をしていけば、より良い共生社会を作っていける と私は思う。人間生まれたからには幸せに暮らしたい、そう誰もが思うこと。 そんな中で何かしらの障がいがある人は幸せになれないか。と言ったら決し てそうではない。幸せは私達の自分とは違う誰かを思いやる気持ちが作るも のなのだ。その考えを大切にして日々を過ごしていきたい。 小学生部門優秀賞 中井 敬尊 大阪狭山市立第七小学校四年 この夏の思い出  ぼくは、この夏、Aくんに出会いました。ぼくのお母さんは長年支援学級の 先生をしており、Aくんはぼくのお母さんの教え子で、卒業して何年もたつの で、会いに来てくれました。お母さんは、久しぶりにあうAくんととても親 しげに話していましたが、ぼくは初対面だったので何を話してよいのかわか りませんでした。きんちょうしているぼくに、Aくんは、 「いっしょに遊ぼう。」 と話しかけてくれました。そのおかげでぼくも話すことができました。  Aくんとはじめ、ぼくのゲームで遊ぶことにしました。ぼくがそのゲーム のやり方を教えると、Aくんは、 「わかった!」 と言って、一回でゲームをマスターしてしまいました。それをみて、めっちゃ すごいなと思いました。一回きいただけで、一回見ただけで理解するってす ごい才のうだなと思いました。その後、ぼくのゲームのじゅう電が切れてし まったのでAくんのスマホの中に入っているたいこの達人のゲームをいっ しょにしました。ぼくは、たいこの達人のゲームをもっているけどそんなに うまくないので、 「教えて!」 と言うとAくんはぼくの指をもっていっしょにしてくれました。すると一番 むずかしいレベルにまでたどりつくことができました。Aくんに、 「ほんとAくんってすごいなあ。」 と言うと、 「ひろとくんも上手やん。」 と言ってくれました。これらのゲームを通してとても仲良くなれて楽しかっ たです。  ぼくは、帰りの車の中で、その話をお母さんにすると、お母さんもAくん のとくいなたいこの達人のことをしっていて、支援学級で勉強がんばったら お楽しみで、Aくんが毎日やっていたことを教えてくれました。ほかにも、A くんといっしょに勉強したこと、Aくんのとくいなこと、苦手なこと、いっぱ いお母さんから聞きました。ぼくの知らないAくんの一面がたくさん聞けて うれしかったです。ぼくは、見た目でしょう害があるとかないとかはんだん していたけど、Aくんとの出会いを通して、色んな人と積極的に関わることっ てとても大切だなと思いました。  ぼくは、しょう来、小学校の先生になりたいと思っています。しょう害が あるとかないとかで人をはんだんするのではなく、その人と関わっていきた いと思います。 小学生部門優秀賞 植村 有 岸和田市立光明小学校六年 私という人  私は小さい時から音に敏感で、特に初めて体験する時や体調が悪い時は小 さな音でも不安感でいっぱいになることがあります。 だから、家でも学校でも、たくさんの人に心配をかけています。  私はなぜこんな体なんだろう、人にめいわくや心配をかけてばかりじゃな いかな。と自分のことが嫌になったり、このこと自体を考えるのが嫌になる 時もあります。  でも家族はいつも大丈夫とそばにいて話を聞いたりアドバイスをしてくれ るし、学校の中では、どの先生も私に寄り添って対応してくれます。友達も 大きな音が鳴るような時は「怖くない?大丈夫?」と横に来て声をかけてく れたりします。クラスメイトが大きな音を立てた男の子に「やめたって!有 の耳痛いやろ!」と止めてくれたこともありました。  思い返すと、ここに書ききれないくらい周りの人達に理解してもらって助 けられながら生活している事に気付きました。  こんな私の性格は外見からはわかりません。私の周りにいる人達の中にも、 私が知らないだけで見ただけではわからない不安な気持ちや悩みを抱えてい る人がいるかもしれないと思います。  人が嫌な思い、不安な気持ちになっていることに気づいたら私は人からやっ てもらっているように自分ができる事をやっていきたいと思います。  自分が持っている性格や個性を当たり前に「自分」として認められて、全 ての人が幸せに暮らせたらいいなぁと思います。 小学生部門優秀賞 矢部 碧子 城星学園小学校五年  交流手段の多様性  そーっと、そーっと、ガラス戸を開けると、笑顔で迎えてくれたお店の人。  案内された席に座ると、手のひらサイズのカードを渡された。かわいいイ ラストとともに、この店のマナーが書かれていました。  このお店を知ったきっかけは新聞で、『会話禁止カフェ』という記事を読ん で行ってみたいと思ったからです。そこはほとんどの店員さんが聴覚障がい 者で注文も手話か筆談か指さしのどれかです。私はグリーンティとわらびも ち、母は抹茶を、メニューを指さして注文しました。  ふと横を見ると、店員さんとのやりとりが出来るノートとペンがあり、中 をみると遠くの県から来た人や、たまたま入った人、また英語や中国語などの、 様々な外国語もあり交流の広さにおどろきました。  わらびもちが来ました。私はちょっと緊張しながら手話で 「ありがとう。」 をすると、店員さんが笑顔で答えてくれました。私の手話が伝わってほっと しました。  わらびもちがおいしかったので、ノートに書いて見てもらいにいくと、 「書いてくれてありがとう。実はわらびもちも他のメニューも全て手作りなん だよ。」 と教えてくれて、だからこんなにおいしいんだと思いました。 「手話習っているの?」 「学校で習った事があるけど、少ししか覚えていないです。」 と書くと、 「こんにちは。」 を手話で教えてくれました。そこからもたくさん会話をしました。そのやり とりが楽しくて、その場がにこにこ笑顔であふれたような気がしました。  席に戻ると母が茶をたてていました。静かな所にシャカシャカと音がひび いて心地よかったです。私のグリーンティをズズッと飲みほす音もひびいて ちょっぴりはずかしかったです。  そしてお会計を済ませて出ていく時にお互いに、 「ありがとう。」 と手話であいさつをしてお店を出ました。最初は『会話禁止カフェ』と聞く といったいどんなきびしいお店なのかと思いましたが、BGMのない、家のリ ビングともすこしちがう、静かでいやしを味わえる時間をすごせる場所でし た。手話ができなくても筆談ならだれでも会話をたくさんできるし、相手が 書いている時どんな返事かワクワクするし、またその会話が残るのも新しく 感じました。また手話もお互いの表情がとても大切でにこにこされたら私も にこにこが伝わって笑顔になったり、人と人との交流ってなんでもありだな と思いました。  図書館でもこういう交流があればいいなと思いました。私は本が好きでよ く行くので、好きな本の話とかを手話や筆談で会話したいです。 小学生部門優秀賞 伊藤 希 堺市立原山ひかり小学校三年 みんなのまつり  お母さんがとつぜん、「おまつりの手伝いする?」と聞かれて私はすぐに「す る。」と言いました。お母さんの仕事はしょうがい者がかよっている、生活か いごで仕事をしています。その場所でまつりをして地いきの人たちに知って ほしいために行なうと言っていました。  まつりに行って分かった事は、知的しょうがい者がある人には、ゆっくり 話かけたらあいてに伝わったり、言葉をりかいできない人やコミュニケーショ ンがむずかしい人は、絵カードを使って「かきごおり下さい。」とお店の人に 伝えて買っている人もいました。  絵カードを使うことであいてに伝わり、地いきでくらせるかのうせいがあ るんだなと思いました。なかよくなった、しょうがい者の女の子に、「ねこふ んじゃったひいて」と言われたのでキーボードでひきました。  いっしょに歌をうたったりしてひきおわったら「ありがとう。」と言ってく れて、音楽だけでこんなになかよくなれると思いませんでした。いっしょに 楽しい時間をすごしてうれしい気持ちになりました。  しょうがい者の人たちもみんなとかわらず楽しいことは楽しんだり、しょ うがい者の人はできることもあると地いきの人に知ってもらいたいです。  私たちも視かく的しえんがなければ生活がする事がむずかしいです。信号 き、ひょうしき、お店の写真がついたメニューなどたくさんあるんだなと思 いました。学校の時間わりがなければ次のじゅぎょうが分かりません。  あたりまえの生活の中に視かく的な物がこれだけあるとはだれも思わない と思います。私たちが生きるためには、どうしたらいいか、私は、これから 考えて、伝えていかないとダメじゃないかなと思います。しょうがいがあっ てもなくてもみんな同じ人間だからだ。 中学生部門優秀賞 石原 花凜 関西創価中学校一年  おじさんとの一日  私のおじさんとの特別な日がやって来ました。おじさんは、知的障害を伴 う自閉症です。そのおじさんと一日を過ごす日です。おじさんはいつも通り、 明るい性格なので、おじさんとの時間を楽しみたいです。  おじさんは私のお父さんの弟です。  お父さんの話では、おじさんが赤ちゃんの頃、高熱が何日か続き、障害が残っ たということです。おじさんが小さい頃は、多動で、少しでも目を離すと、 どこに行ってしまうか、わからなかったそうです。お父さんは夏休みには、 共働きの両親に代わって、おじさんを毎日探し回っていたそうです。時には、 海に落ちていたり、警察に保護されていたり。でも、今は、そんなことがあっ たのが信じられないほど静かです。  おじさんは朝、お父さんと私が訪ねてくるのを心待ちにしてくれています。  午前10時、おじさんのいるグループホームに到着しました。おじさんは 笑顔で迎えてくれます。お父さんとの再会は温かく、兄弟の絆を感じます。  私達はまず、祖父母のお墓参りに行きます。そして静かに手を合わせ、水 をかけます。  お墓参りの後、昼食を食べにおじさんの希望の中華料理か、ハンバーグ屋 さんに行きます。おじさんは父と私と一緒に座り、静かに美味しい昼食を楽 しみます。私より食べる速度が3倍早くて、出されたものは必ず完食します。 私が小さい頃は、私が食べれなかったものを食べてもらっていました。おじ さんが小さい頃は、食べ物の好き嫌いが激しくて、本当に好きなものしか食 べなかったそうです。でも今のおじさんからは、想像できません。何でも食 べているイメージがあったからです。  食事の後、まず、近くのスーパーに行きます。そこで、新聞とデザートの オレンジジュースとプリンかアイスクリームかスナック菓子を買います。  スーパーに行った後は、本屋に行って、おじさんは、なにか独り言をブツ ブツ言いながら、本屋の中を歩き回って、自分で好きな鉄道の本を選んでい ます。おじさんは棚の本をじっくりと見て、興味深そうに本を手に取って、 お父さんに渡します。そして、その本を買ってもらっている姿を、私は微笑 ましく見ています。ちなみに、グループホームでは、週刊のテレビ番組の雑 誌と野球の雑誌を取っているそうです。  私が小さい頃は、なんとも思っていなかったけど、小学校高学年になって、 おじさんと居ることが恥ずかしいと思うこともあります。お父さんもやっぱ りそうだったそうです。  夕方になると、私達はグループホームに戻る準備を始めます。その時いつも、 おじさんは、車の中で、買ってもらった鉄道の本か、新聞をずっと読んでい ます。  グループホームに着くと、私達は別れのあいさつを交わし、次の訪問を約 束します。  そして楽しかった一日を振り返ります。私の心には、家族の温かさと絆が 深く刻まれています。次におじさんに会える日を楽しみにしています。いつ までたってもおじさんに会いに行こうと思います。  私はおじさん以外の障害者の人と接する機会がほとんどないので、町中や 電車の中で、障害者の人はもちろん、車椅子の人や白い杖を持っている人や 妊婦さん、お年寄りの人やヘルプマークを付けている人がいたらお手伝いし ようと思います。 中学生部門優秀賞 谷内 俊介 大阪教育大学附属平野中学校一年 盲導犬と声楽家のハーモニー  この題を選んだ理由は、コロナ禍でコンサートに行けない時に、インター ネットを見て初めて知ったからです。その盲目の声楽家は、目が見えなくても、 盲導犬をつれて舞台で歌を披露しようと、音楽を一生懸命勉強されて、コン サートの舞台に立っておられます。視覚障がいがあっても、音楽を感じたり、 歌ったりして表現できるのは、本当に素晴らしいです。  音楽は、ずっと昔から続く、だれもが楽しむことのできる芸術です。声楽 家は、声で自分自身の思いなどを表現しています。声で表現することによって、 同じ目が見えない人たちにも勇気を与え、聞いている人もコンサートを楽し むことができます。そして、コロナ禍でも、自宅からも聞くことができて、 ぼくも音楽を聞いていました。  盲導犬は、日常生活の中でとても大切な役割を果たしています。盲導犬の 役割は、目の不自由な人が、安全に歩くためのパートナーとなることです。 交差点や段差で止まったり、障害物をよけたりして歩きます。ハーネスから 伝わってくる盲導犬の動きや、周りの音や、足元の変化を基に周りの状況を 判断します。目の不自由な人と、盲導犬の歩行は、人と犬との共同作業です。  盲目の声楽家は、ぼくが通っている附属中学校の、大学の音楽科でした。 音楽活動以外にも、盲導犬を知ってもらうために、小学校に講演に行ってい ます。小学校に向かう時は、盲導犬がきちんとサポートしています。講演の 内容は、視覚障がいのある人の歩行手段、声のかけ方、盲導犬についてです。 盲導犬は、毎月健康診断を受けています。また、社会全体で取り組む課題と して、盲導犬と一緒に入れるお店が少ないことをお話しておられます。  この声楽家は、中学生の時に目が不自由でいじめられたり、将来に絶望し たりしたけれど、高校で出会った先生や、大学の時に友人から励まされた一 言で、目標に向かってがんばることができました。そして、声楽家になる夢 を叶えました。小学校の講演は、子どもたちと触れ合う場でもあり、障がい について知ってもらう場でもあります。メディアに出演して、幅広く活動中 です。盲導犬について理解されるようにSNSなどで発信されています。  障がいがあってもがんばっていて、ぼくはすごいと感じました。コンサー トの時は、盲導犬も一緒に舞台に登場しますが、歌っている間は静かに座っ ています。生きていくうえで夢を持つことの大切さ、出会う仲間、先生が宝 物であると、声楽家はぼくたちに伝えてくれています。いつかコンサートホー ルに行き、堂々と歌っている姿を見たいです。 中学生部門優秀賞 早川 倫子 桃山学院中学校一年  障がいがある人  わたしは中学生になったばかりで、電車で通学しています。駅では小学生 のころは見かけたことのない人たちがいっぱいいました。その人たちは白い 杖を持って点字ブロックの上を歩いていたり、車いすに乗って駅員さんが電 車のドアの前に用意した折りたためるスロープを下りたりしていました。わ たしはそれを見て障がいがある人たちに興味を持ちました。それで、わたし は障がいの種類を知ろうと思いました。いっぱいありましたが、肢体不自由 と精神障がいが特に気になりました。  肢体不自由とは、体に不自由な部分がある障がいのことです。先ほど例に 出した車いすに乗っている人も肢体不自由だと分かります。精神障がいは精 神機能の障がいです。幻覚を見たり、何かにとても不安になったりします。 わたしが小学生だった時、同級生に一人、精神障がいだった人がいました。 面白い人だなと思っていました。その人には必ず先生が共にいました。わた しは、何とも思っていませんでしたが、お母さんに教えてもらい、初めて知 りました。  障がい者はたくさんいますが、わたしはその人たちは快適に生活できてい るのか気になりました。最近はバリアフリーというものがありますが、わた しはそれの満足度を調べることにしました。  障がい者の人たちは満足している人たちが大半でしたが、まだ不満がある 人たちもいました。わたしはその人たちも満足にできる工夫をするのが課題 だと思います。一部の人が不満だと、不公平です。みんなで暮らしやすい街 を造れば障がい者関係なく、幸せでいられるとわたしは思います。  このように、利用者が多い公共の場所ではエレベーター、手すり、点字ブロッ クなどがあったり、テレビのニュースでも手話を見ることもあります。健常 者だけでなく、様々な事情がある人もいると理解し、改善すべき所を直せば、 もっと豊かになっていけると思います。 高校生部門優秀賞 安達 清美 関西創価高等学校三年 みんな同じ  私が通っていた小中学校では、近くの特別支援学校の同年代の子たちと交 流するという行事が毎年二回ほど行われている。交流会では、一緒に楽しむ ことができるゲームやスタンプラリー、ダンス、歌、クイズなどを生徒たち が企画して楽しんだ。交流会の前になると支援学校の子たちの自己紹介の紙 を見て、どういう子たちなんだろう、何ができるのだろう、何が好きなんだ ろうと休み時間に友達と話していたことを覚えている。また、小学生の頃には、 運動会でやったダンスも発表していたことも思い出の一つである。  私は小学六年生のときにやった夏祭りが一番記憶に残っている。前半はペ アになった支援学校の子の車椅子を押しながら同級生たちが考えて作った輪 投げや魚釣りなどのブースを時間いっぱい回って一緒に楽しんだ。後半には 同じクラスのグループの子たちとよく考えて作ったボウリング屋さんを出し た。当日までにシミュレーションや予行練習を何度も繰り返して、支援学校 の子たちに楽しんでもらえるようにルールややり方を試行錯誤した。小さな 力でもピンを倒せるように補助台を作ったり、車椅子に乗っていても簡単に ボールを転がせるような補助台にしたりとたくさんのことを想定しながら 作った。どうしたら支援学校の子たちに楽しんでもらえるのか、何が喜んで くれるのか、たくさん考えた。私たちが悩みながら考えて作ったもので支援 学校の子たちが笑顔になってくれたり、喜んでくれているのを見るととても 嬉しい気持ちでいっぱいだった。  毎年行っている行事ではあったものの私は毎回緊張していた。支援学校の 子とのグループでの自己紹介のときにはうまく笑顔で話せていなかったり、 時間が余って静かになってしまうこともあった。私の頭の中は、車椅子に乗っ ていたり、自分の気持ちを言葉にして伝えることがうまくできないような支 援学校の子たちに対してどのように話しかけたらよいのか、何をしてほしい のか、何をしてあげなければならないのか、傷ついたりしないようにどうし たらいいのかと多くのことを常に考えていた。しかし、交流会での先生の挨 拶を聞いて、そんなことを考えている事自体が間違えているのだと気がつい た。 「今日はみんな同じ学年の子同士、たくさん一緒に楽しんで、仲良くなって帰っ てください。」 この何気なく使われた「みんな同じ」という言葉が私には響いた。  私はそれまでずっと、支援学校の子のためにどうしたら、何をしたらと考 えてきた。いつの間にか支援学校の子たちを自分たちとは違っていて障がい というハンディを持っているから私たち健常者が手助けをしてあげなければ いけないと思い込んでいた。しかしそれは違った。もちろん、立場の弱い人 や困っている人に手を差し伸べるのは当たり前のことだ。だが、勝手に自分 とは違うと決めつけて、その上やってあげるというあたかも自分の方が上の 立場であるかのような考え方になっていた。ところが「みんな同じ」という 言葉を聞いて何か特別にやってあげるのではなく、ただ同じ空間で同じこと をやったり、一緒になって楽しんだりすることが大切なことなんだと感じた。 障がいを持っている子と持っていない子ではなく、同じ学年の友達として接 することが必要なんだと思った。  そこから私は交流会のことを考えるときにはいつものように自分たちが やって楽しいことは何かを大事にして考えるようになった。支援学校の子た ちもこの交流会で私たちに何か特別なことをしてほしいと思っていなかった と思う。毎回、最後には支援学校の子たちが笑顔になってお別れをしてくれ る姿を見る度に、短い時間だとしても同じ学年の一人の友達として一緒に遊 んで笑い合うことを楽しみにしてくれていたのだと感じた。笑顔は言葉がな くても、心が通じ合えば自然と広がることを実感した。  世界には自分とは異なる、それぞれの美しい個性を持った人がたくさんい る。障がいを持っていたとしても、それはその人の個性だと思う。みんなと 違うから可哀想なのではない。違うからこそ素晴らしい個性であり、それが その人自身なのだ。  障がいは単なる違いにすぎない。個性である。みんな同じなのだから。 高校生部門優秀賞 茂山 聖菜 関西創価高等学校三年 対話と想像  「じいじ!結果どがんやった?」  私が駆け寄るその先に、顔の半分以上をマスクで占めた祖父が立っている。 私の声に気がついたのか、大きく腕を上げると、頭の上で丸を作って私に示 した。薄ら見えるその目は、少し微笑んでいるようだった。  今日は祖父の定期検診及び、誕生日である。  七十六歳になった祖父はこれまで、十三回の手術を経験してきた。食道癌、 胃癌、肺癌、そして咽頭癌。今日は半年に一回ある定期検診の日で、片道二 時間かけて長崎大学病院に付き添いとしてやって来た。どうか癌が見つかり ませんように、そう強く願って、説明を受けている祖父母を母と二人で待っ ていた。祖父へのバースデーカードを書きながら。  結果は、癌は見つからず大丈夫とのことで、また元気に半年を過ごせると 安心しているのか、祖父の機嫌はとても良いように思えた。病院の帰りに寄っ たスーパーで、ショートケーキを買ってあげた。渡す時、祖父は右手をあげ て頭をぺこりと下げて、「ありがとう」と示した。帰り際、大きく手を振って「バ イバイ」と示してくれた。  私は祖父の声を聞いたことがない。  二〇〇六年、私が生まれた年に、祖父は咽頭癌で声帯を失った。私が物心 ついた時から祖父はユアトーンを使ったり、紙やペンを用いたり、手話や身 振り手振りを付けて会話をしている。祖父の趣味は家庭菜園で、庭はたくさ んの野菜や花でいっぱいになっている。夏になるとトマトやキュウリ、ピー マンやイチジクが、冬になると大根や白菜が収穫され、いつもおすそ分けし てもらう。料理上手でもある祖父は、両親が仕事の時によくご飯を食べさせ てくれた。幼い頃はひらがなやカタカナも教わっていた。大好きな祖父との 思い出は一生の宝物である。  そんな祖父は若い頃、海上自衛隊に務めており、水泳の国体選手でもあった。 当時の写真を見ると、背中は逆三角形でとても筋肉質な体である。が、今は もう泳げない。喉に空いている穴に水が入ってはいけないらしい。今では体 つきは薄く、手足は細くなっている。祖父の家には選手だった頃の賞状や写 真がたくさん飾られていて、そのタイムは信じられないくらい速く、とても 誇りに思っている。それは、私も水泳の経験者であるからだ。祖父の血を引 き継いだのか、私は小学生の時に水泳を始め、高校では水泳部に入った。中 学では別のスポーツをしたが、高校でまた水泳を始めた理由。泳ぐことが好 きだから、それももちろんあるが、祖父と泳ぎたい、その一心だったのかも しれない。頑張っても願っても、一生叶わない夢であることは分かっているが、 孫として一目祖父の泳ぎを見てみたかった、そして教えてもらいたかった、 そんな気持ちがずっとあった。だから、泳げなくなった祖父の分まで泳ぐ。 泳ぎ切ってやる。三年間水泳部として頑張ることができたのは、紛れもなく 祖父のおかげである。  私はずっと、祖父が障がい者であることを信じられなかった。障がい者手 帳によってバスに無料で乗れたり、医療費の助成制度を利用できたりするこ とから、改めて障がい者なんだなあと実感してしまう。「障がい者」と聞くと、 ついつい「普通じゃない人」を想像するのではないだろうか。一目見て、普通か、 障がい者か。私はそんな概念は間違っていたと、祖父を通して気づく。  「普通」の人間はこの世にはいない。ベーシックな形を表す者はいないのだ。 しかし、なぜ人間は「普通」と思いたがるのか。それは自分にとっての「普通」、 言い換えれば、「当たり前」を相手に押し付けようとするからである。誰かに とっての「当たり前」は、ある人にとっては「当たり前」じゃないかもしれない。 自分ができることをできない人が現れた時に排除するのか。逆に、相手にで きて自分にできないことがあった時、自分は排除されてしまうのか。  結局大事なことは、「対話」と「想像」だと思う。一見、健康な人と思えても、 話してみると声が出なかったり、喋るのが上手じゃなかったりするかもしれ ない。車椅子が必要な人や、介護なしでは生活できない人だっているかもし れない。私はその人がどんな人なのか知るために「対話」し、どんな思いを しているのか「想像」して、共感できる人でありたい。そして誰に対しても、たっ た一人のかけがえのない「人」として接していくことを大切にしたい。身近 にいる大切な人に教えてもらった大切なことを、私は心において生きていき たいと思う。  ある日、祖父の家に行った時、手でものを型どるような身振りと、お礼を 言う身振りをしながら私に話しかけてきた。分かろうと努めたがこれは難し い。  じいじ、せめてマスクは外そうか。 高校生部門優秀賞 永田 弘美 関西創価高等学校二年 心の輪を広げる第一歩  私は、人の気持ちを考えることは、とても大切だと思っています。自分だ けがよければいい、ではなくて、その場にいる人もしくはいなくても関係が ある人で、誰かが嫌な思いをすることはないか。誰かが無理をして笑ってい ないか。それらを常に頭に入れて生活したいと思っています。また、逆に人 の気持ちをすべてわかった気にならないことも大切だと感じています。どれ だけ自分で想像をしても、結局のところ他人の気持ちは本人が素直に口に出 してくれない限り、わからないからです。  「想い」それは、障がいの有無にかかわらず、誰もが持っているものだと思 います。それをうまく言葉にできなかったり、声に出せないことはあっても、 人それぞれに想いがあるはずです。私は、その他人の想いを大切にできるか どうかで、よりたくさんの人が生きやすいと思える世の中が作れるか、決ま ると思います。  世界中には、文化も環境も言葉も悩みもそれぞれ違うものを抱えて生きて いる人がたくさんいます。そんな人たちが、なぜ協力し合ったり、国境を越 えてかかわりを持てるのか。これもまたそれぞれの想いがあるからだと私は 思います。  私が住む街では日々、より多くの人が住みやすい、生きやすいと思えるよ うな工夫が凝らされていると感じます。毎日のように道路の工事を行ってい る人がいたり、警察の方がパトロールをしていたり。目に見えるところから 目には見えないところまで、様々な職業の人が、地域のために日々奮闘して います。しかし、そんな中でも、やはり気になるのは障がいのある人がはた して「生きやすい」と思って生活できているのか、です。もはや今ではあた りまえのようになった信号が変われば音がなること。点字ブロックがあるこ と。手話は会話をするための言葉だということ。身近に感じられる要素はた くさんあるのに、どこか自分に関係ないことと捉えてしまう人が多いと思い ます。白杖を持った状態で、困っているように見える人がいても、その横を たくさんの人が素通りしていくのが現実です。子どもの頃にどれだけ「困っ ている人がいたら助ける」ということを教わっていても大人になると行動す るよりも先に頭であれこれ考えてしまうがゆえに、すぐには実行できないの も一つの理由だと思います。しかし、声をかけないことが必ずしも悪いとい うわけでもないと思います。自分から見て困っていると思っても、障がいの ある人だからという理由でそう思ってしまっただけで、その人が助けを必要 としているのかはその人自身にしかわかりません。自分で挑戦していきたい と考えている可能性も十分あります。良かれと思ってした行動でも相手にとっ ては嬉しくないことかもしれない。だからこそ、私は他人の想いに目を向け るべきだと思います。人と人とのかかわりを広げるためには「想い」をお互 いに理解するしかないと思います。どれだけ相手のためだと思って行動したっ て、それを相手がどう思ったのかは、本人に聞いてみるしかありません。  きっと世の中、悪いことをしてやろう、相手を悲しませてやろうと思って 行動している人の方が少ないと思います。誰かのことを想って、行動した結 果が、本人が望んでいたものと違ったり、相手を余計に悲しませるなんて、 すごくもったいないと思います。「あなたに笑顔になってほしい」「あなたの 幸せのために動きたい」そう思っているなら、素直に想いを表現して、お互 いが気持ちの良い関係を築けたほうが何倍もいいと思います。  障がいがあるからと特別扱いするのも違うし、自分には関係ないと素通り するのも違うと思います。障がいがあってもなくても、今自分の目の前にい る人は何をしたら喜んでくれるのか、少しでも笑顔になってくれるのか。そ んなふうに考えられる人が増えれば私はすごく嬉しいし、そう考えることで より多くの人の幸せに繋がると思います。  誰に対しても、かかわるうえで大切なのは「想いをどんな形でも伝えること」 そして「相手の想いを受け止めようとすること」だと思います。人それぞれ 考え方や感じ方が違う中で、お互いが生きやすい環境で幸せに生きていくた めに、他人の気持ちに目を向けて、行動していくことが、心の輪を広げる第 一歩になると思います。 高校生部門優秀賞 入江 美奈子 関西創価高等学校三年 日常  高校生として迎える最後の夏休み、私はあることに必死に取り組んでいま した。海外大学志望の私は提出する必要のある推薦書のもととなる自己推薦 書を書いていたのです。自分のいいところを高校時代のエピソードを交え、 六つ出して先生に書いていただくことになっており、これは私にとって、自 分を見つめ直すとても素敵な機会になりました。元来私は、とても楽観的で 類を見ないポジティブ思考の持ち主です。だからといってすべてを放ってお いてしまうわけでもないし、根が真面目なのもいいところだと自負していま す。そんな私のいいところはさておいて、言ってしまえば、これが初めて私 の楽観主義が仇となったことでありました。私は生まれてこのかた失敗を失 敗だと認識したことがありません。なぜなら全てが次の成功のチャンスで、 挑戦した証ですらあると考えるからです。そんな思考の持ち主であるため、 感情の起伏が大きくなく、自分の成長エピソードのきっかけとして失敗を盛 り込むことが非常に困難でした。そのため一つまた一つと減っていく形容詞 に悩まされていました。そんな時担当の先生がある長所を教えてくれました。 偏見が無いことです。そうして私は偏見が無いことの理由を探し始めました。 何より先に出てきたのが弟の存在でした。私には二歳差のダウン症の弟がい ます。元来愛嬌があってみんなの懐に入るのが上手な彼はみんなにとても愛 されて育ちました。私は弟に連れ添って同じ障がいのある子たちの集まりに 参加したりしました。そうするとある日、私の感性を大きく揺さぶるあるこ とに気付いたのです。そうした集会で弟と友だちが一緒になって遊んでいる 姿を見るとそこにはいつも弾けるような笑顔があることに気付いたのです。 その時私は幼いながらに、人間は本来こうした輝ける笑顔をもった存在なの ではないかと思ったことを鮮明に覚えています。障がいのある弟は健常者よ りわからないことや出来ないことがどうしても多くなってしまい、時には助 けが必要です。ですが、そんな弟だったからこそ、人間のまっさらな姿を投 影してくれた気がしたのです。その気付き以来、私は人が好きになっていき ました。その気付きがなければ今の私はいないと言っても過言ではありませ ん。どんな人間もきっとその根っこには輝ける何かがあって、でも、自分で 選択を間違えたり、時には他人に曲げられたりしながら少しずつ陰りを落と してしまう。その陰りのきっかけは大半が言葉です。自分の見栄のために人 を蔑む言葉、あなたには出来ないとなじる言葉、世の中はどうしたってそん な言葉に溢れていて、避けて通ることは難しいと言えます。そして少なくな い人数の人たちが本来のまっさらな姿とかけ離れたところにまで追いやられ てしまうのです。そうした人を作ってしまう事にならないために、私にはひ とつ秘策があります。それは「ダメ」と言わないことです。私が思うに、日 常で生きていてする行動の中で取り返しがつかなくなるほど「ダメ」なこと はあまり起こりえません。時間さえあれば大抵どうにかなるのです。そして、 注意する言葉は決して「ダメ」を使う必要はありません。私はこれまで「ダ メ無し」を信条に弟と一生懸命向き合ってきました。そんな私達の日常を少 し紹介します。八月一〇日から一二日にかけて母が単身で帰省し、父・私・ 弟と妹の四人で家事を担うことになりました。そのうち二日は父が仕事だっ たため、ほとんどの時間を私達三兄弟で過ごしました。私達の連帯が光った のは三日目のお昼でした。料理が得意な私は炊事を担当し、教育上手の妹は 皿洗いをしながら弟に皿洗いを教え、味噌汁も作ってくれました。弟に何か を教えることは正直なかなかに根気が必要で、妹の教育力にはいつも驚かさ れます。一生懸命三人で台所に立ってご飯が完成していく中、ふと洗い上が りを見ると、泡の残った食器たちがいました。「泡は洗い流さないとダメだよ」 という言葉の可能性がある中で、私は常々そうしてきたように実演しながら 「泡はこうやって流すんだよ、皿洗いしてくれてありがとうね。」と伝えました。 すると弟はにっこり笑って「うん!」と元気の良い返事をくれました。感謝 を添えることもまた私の信条です。協力して完成したご飯たちはどれもとっ ても美味しくて、些細な幸せに感謝しました。この三日間を過ごして、それ ぞれの得手不得手を生かして埋め合って乗り切った私達はとても清々しい気 持ちで母を迎えました。この家族の一員でまっさらのまま育ち、些細な幸せ に気付ける日常にとても感謝しています。 一般部門優秀賞 須本 凛 大阪医療技術学園専門学校 優しい嘘  私が小学三年生の頃、発達障がいのある女の子と出会いました。  当時の私は人見知りで友達も少なく、放課後に遊ぶ人は決まって彼女でし た。  鬼ごっこやかくれんぼをして夕方まで時間を潰し、決まって「また明日な!」 と別れるのが友達の少ない私にはとても嬉しかったことを今でも覚えていま す。  四年生になった私は以前よりも人見知りが治まり、友達も増え彼女以外の 友達と遊びに行く事が多くなりました。  四年生になると授業の内容も難しくなり、高学年への準備期間となって、 みんなが少しずつ成長していく中、彼女だけが変わらないように見えました。  漢字ドリルや計算ドリル、連絡帳やリコーダーなどの忘れ物がとにかく酷 く、毎日先生に叱られている彼女。また、授業中によく立ち歩き、「今日は遊 べる?」と席の離れた私の元に聞きに来ることもあり、私たちと違った行動 をする彼女のことが苦手になっていきました。  そんな中彼女の方から「土曜日遊ぼうや!」と誘ってきたのに、約束の公 園に来なかった事が引き金となり、彼女と距離を置くことにしました。  同級生が彼女に対して「あいつめっちゃ忘れ物するやん」「いつも先生に怒 られてるよな」と言っているのを聞いて、彼女のいい所を一番知っているは ずの私も「そうよな。もっと気をつけたらいいのに」と同級生の言葉に共感 してしまいました。  三者面談では「誰と仲良しか」という先生の質問に彼女が、私と一番仲良 しと答えてくれていたようで、後日先生が私に「あの子と仲良しやねんな! 忘れ物多いし気にかけてあげてね」と声を掛けられ、私たちの思う普通とは 違う彼女と仲良しだと思われることが恥ずかしくて、泣いてしまい先生を困 らせてしまったこともありました。  ある日の昼休み、私がクラスで飼っているザリガニの掃除当番だったこと を忘れ、急いで水槽の掃除をしようとすると、昼休み終わりのチャイムがなっ てしまい慌てていました。彼女が「どうしたん?」と声を掛けてくれ、私が「水 槽の掃除するん忘れてた」と言うと、「手伝おうか?」と言ってくれました。「大 丈夫」と断ってしまいましたが、先生も来てしまいどうすることも出来なく なりました。  生き物が好きな先生だったので教室に入ってすぐ「あれ水槽洗ってへんや ん、当番誰?」と聞かれ、教室がざわつき始め、怒られてしまうと怖くなっ て泣きそうになっている私を見て、当番が私である事を知っている彼女が 「あっ、私や!当番やったこと忘れてた!」と言い出しました。  クラスの子たちの「またお前かよー」という声と、先生の「また授業終わっ たら洗っといて」という声に笑いながら「ごめんー」と言っている彼女の顔 を今でも忘れません。  授業終わりに彼女と水槽を洗いに行き、「なんで嘘ついてくれたん、当番私 やのに」と言ったら「先生に怒られるんって怖いやん?でも忘れん坊の私やっ たら、もし怒られてもすぐ忘れられるからと思って」と言ってくれ、「ごめんね」 と言ったら「なんで謝るん?すぐ忘れる私の方が悪いやん、いつもごめんね ありがとう。」と言ってくれ、自分の情けなさと彼女の優しさでまた泣いてし まいました。  あとで先生に私がザリガニ当番だったことを伝えて謝ると、「そうなんや。 次から気をつけてね」と声を掛けてもらいました。  先生に怒られることやみんなに責められることなどの感情の恐怖は誰でも 忘れることはないのに嘘をついてくれたこと、私を庇ってくれたこと、物や スケジュールを忘れたくて忘れているのでは無いこと、私の思っている普通 とは違うというだけで彼女を遠ざけていたこと、彼女の優しさ、私は立て続 けに忘れ物をしないし、授業中は立ち歩かないけれど、私には彼女のような 勇気と優しさはないです。  私の普通の価値観は他の人から見たら普通では無いし、人によって普通の 基準は違い、それを人に押し付けることは良くないんだなと学びました。  彼女とは今でも仲良しで今回作文にしていいかと聞いた時、「いいけどそん なことあったっけ」と言ってくれました。  そんな彼女が大好きです。 一般部門優秀賞 中野  桜 大阪医療技術学園専門学校 偏見の先に  正直、私は精神・知的障がいがある人が苦手でした。もちろん、理由があ ります。小・中学生の頃に近所に知的障がいがある男性が住んでいました。 その人が苦手だったのです。10代であろう女の子には必ず挨拶をしてくる ところ、挨拶を返さなければ殴られるという噂までたっていたこと。もちろん、 そんな事件が実際に起こったことはありません。  しかし、そんな噂がたってしまうほどにみんな彼を恐れていました。私も その一人で、彼に挨拶をされたときは殺されるんじゃないかという恐怖で必 死に挨拶を返していました。そして、私の叔母にも知的障がいがあります。 例の男性ほどではありませんが、幼いころは叔母が怖くよく分からない大人 だと思っていました。心無い言葉に、子供ながらに傷ついたこともありました。 「正直、苦手。」これが、今までの私の正直な意見です。  ですが、21歳になった今、以前のような偏見や恐怖心がなくなりました。 知識がついたこと、自分が大人になり体も大きくなったことなど。私自身の 変化による理由もありますが、私の気づかぬうちに心の底にあった偏見が覆 される出来事がありました。それは、実際に障がいがある人と関わることに よって起きたことです。  ひとつめは、祖母の家で障がいがある叔母に言われたひとことです。当時 の私は摂食障がいになり自分の容姿が嫌いで嫌いでたまりませんでした。そ のせいで人と会うことを避け引きこもりがちになっていました。そんな中、 私なりに勇気を出して祖母の家に行きました。小さいころから関わってきた 叔母です。昔は心無い、私の容姿についての言葉をかけられたこともありま した。正直、今の体で叔母に会うことが不安でした。  そんな私の不安をよそに、叔母がかけてくれた言葉。それが、「綺麗やな」 でした。「なんか今日、綺麗やな」。そう言う叔母に、「今日だけか」と祖母は笑っ ていました。私も笑いました。愛想笑いなんかではありません。本当に、笑 いました。  ふたつめは、バイト先で一緒に働いている障がいのある男性スタッフとの 出来事です。出会ったばかりのころは高圧的で苦手でしたが、一緒に働き仲 が深まるにつれ彼の笑顔が増えました。「これ、やっておきました!」「体に お気を付けて!」彼は笑顔でそう言ってくれます。  そんな優しい彼ですが、新人の子に対してはやはり高圧的になります。新 人さんが彼のことを悪く言うたびに「あぁ、違うのにな」と複雑な気持ちに なります。  みっつめは、冒頭で書いていた挨拶をしてくる知的障がいのある男性です。 昔は本当に怖かった彼。大人になった今、彼が私に挨拶をしてくることもな くなりました。そして、今になってからその彼と関わる場面があるのです。  私は小学生のころと同じ地元で、アルバイトをしています。私が働いてい るお店に、彼はお客さんとして訪れます。働き始めたばかりの頃、初めて彼 を見たときは久しぶりに昔の恐怖心を思い出し、緊張しました。彼が私のレ ジへ来たときは正直怖かったです。ですが、これも無駄な心配でした。彼は とても礼儀正しく、最後には私に礼を言い去っていきました。彼はとても独 り言が多く、声も大きいです。今の私でも、障がいに対する多少の知識すら なければ「怖かった。変な人。」で終わっていたんじゃないかと思います。  ほかにも、障がいがある人たちとの関わりの中で私の偏見が消えていった 出来事はたくさんあります。『偏見の先に』。自分の凝り固まった考え方を自 分自身で変えることはとても難しいです。変える気すらない人たちもたくさ んいます。悲しいですが、本当のことです。昔の私もそのひとりでした。  そんな人たちに偏見の先を見てもらうには、やはり障がいがある方々との 関わりしかないのだと思います。そんなに難しい知識なんてなくても、関わ りのなかで彼らの優しさや純粋さが見えてくるはずです。私は卒業したら福 祉系の仕事に就きます。実際、私自身がどう行動すれば人々の偏見が消えて いくのかは、まだ分かりません。  ですが、障がいがある人と共に過ごしていく中でその場面に出会えると信 じています。人々の偏見がなくなっていく瞬間を、この目でたくさん見てい きたいです。 一般部門優秀賞 森下 美里 白羽の矢が立って  「私は今、重度の知的障がいを伴う自閉症の息子を育てています。」と言わ れた時、あなたは何を思いますか。  人はいざ、自分の身に降りかからない限り専ら他人事で済ませてしまいが ちです。これは過去の私自身にも言えることに他なりません。まさか我が家に、 白羽の矢が立つなんて誰も思わないのです。「親ガチャ」という言葉が生まれ て久しいですが、子が親を選べないように、親も子を選べません。この作文 を通じて、題名の意味を少しでも感じていただければ幸いです。  我が家の小学二年生になる次男は、重度の知的障がいを伴う自閉症で、現在、 支援学校に通っています。言葉を話すことはできませんが、「あっ」と声を出 して、表情や目線、指さしやしぐさ等で要望を伝えてくれます。こちらの言 うことも、日常に使う簡単な言葉なら、多少理解できているようで、学校で は絵カードも活用しながら、コミュニケーションを学んでいます。  次男は元気に生まれ、すくすく育ち、一歳までは特に目立った成長の遅れ は感じませんでした。ところが、一歳半健診を受けた際、指さしや発語がな いことを指摘され、二歳の時、初めて心理診断を受け、そこから少しずつ療 育の道を歩み始めることになります。最初は「こんな可愛い次男に障がいな んてあるはずがない」と思い、年少で療育園に入園するまで、実に様々な葛 藤がありました。入園後も、「どうしてこんなところに通わなければならない んだろう」と、毎日思っていました。  次男には二つ年上の兄(長男)がおり、当時、長男は地域の幼稚園に通っ ていました。次男も同じ幼稚園に入園する予定でしたが、障がいのある次男 にとって、幼児教育か療育どちらが必要か考えた結果、苦渋の決断で、兄弟別々 の園に通うことになったのでした。  周りが息をするかのごとく当たり前に、兄弟同じ幼稚園に通わせている中 で、自分にも当たり前に訪れると思っていた未来が、自分にだけ訪れなかっ たことに、絶望しました。  次男に障がいがなければ、兄弟同じ幼稚園に通うことができたでしょう。  しかし、次男が療育園に通う日々の中で、私はある事実に気付きます。そ れは障がいは次男の一部であり、障がいがなければ次男ではないということ です。障がいも含めて次男なんだと気付いた時、障がいがなければ、今目の 前にいるこの愛しい存在に出会えなかったということになり、次男に出会え ない人生なんて考えられないので、次男が次男で良かったと、心から思うこ とができたのでした。  白羽の矢が立つと、これまでの日常が一変すると同時に、普通や当たり前 という言葉がいかに視野の狭い言葉であったかを、身をもって知ることがで きます。  障がいをもって生まれた次男は、私の狭い視野を広げ、様々な価値観や考 え方があることを教えてくれます。そして、今まで知り得なかった世界を見 せてくれます。  日々の何気ないことも、決して当たり前ではなく、普通なんて言葉は、そ もそもこの世に存在しないのです。  普通や当たり前という言葉に囚われず、視野を広げることができれば、障 がい者にとっても健常者にとっても、生きやすい世の中になるのではないで しょうか。 一般部門優秀賞 森田 香奈 他者との関わりの中で  私は精神障害を持つに至った。障害の種別は種々あり一言で片づけられな いのだが、その中の一つに被害妄想的に事実を受け止めてしまうという少し 困った考え方の偏りがある。  そのせいかも知れないが人と関わるのが難しく表面的であったり短期的で あったりしてしまい、おおよそ全体像を捉えることが出来ずに、同じことを 何度も繰り返してしまい、心の輪を広げるという機会を逸し続けている。要 するに表面的で幅が狭いのである。  なかなか次の一歩を踏み出すことが出来なかったのだが、最近ようやく生 活訓練施設へ通所する運びとなり今のところ続けてゆけている。(頻度は少な い方ではあるが)  ある時教えてもらったことにリフレーミングというものがある。事実の枠 組みを違う視点で見てみようというものだ。コップに半分の水が入っている とする(事実)、これを「まだ半分残っている」と捉えるか、「もう半分しかない」 と捉えるか、はたまた別の見方があるのか、というものである。  これを自身の考え方の偏りに応用することが出来れば症状は和らぐだろう か。  生活していると理不尽な思いや虐げられていると受け取ってしまう出来事 に遭遇する事があり、そんな時には話を聞いてもらうことがある。相手は主 に医療従事者であり、病気に対して理解のある方々だ。随分と助けてもらっ ている。  一方で身近な対人関係の親や家族は、私が辛い思いをした話をすると決まっ て話を聞かなくなる。私は自分の思いを吐き出す術を失い言葉を失っていく。 なぜ受け止めてくれないのだろうか。先ほどのリフレーミングを使い、私が 虐げられている事があったとして、それを自分の傷のように扱ってくれてい るのかもしれない。痛みを感じているのかもしれないと思うことにした。私 は言葉を失い、それを二次被害のように感じてはいるが、そこは私が主体と なり違う見方をしなくてはいけないのではないかと思う。  不満を口にしなければ上手くいくのだろうか。世の中のいわゆる健常者と いわれる人々はそんなにも厳しく自分を律して生きてるのだろうか。根拠は ないが私はそう思えなかった。それでもリフレーミングをすることによって 今まで自分を孤立に追いやっていた自身の考え方が改善され家族とも心のふ れあいというか窓口、扉のようなものに鍵が掛かるのを防げてるようになる という気がする。  今はまだ障害のない人との関わりというと病気に理解のある医療や福祉、 それに類する関係の人たちに限定されてはいるが、はじめの一歩ではないが、 方法を学べば自分の足で歩きだせそうな気がしてきた。  何故だかそれは私にリンゴの皮むきのような映像を思い起こさせる。リフ レーミングは皮を上手に剥いていく作業、事実はりんごの果実。少しずつで はあるが食べやすく準備をしていつかは皮も剥け食べられるようになる。  心のふれあい体験というのはそれを食べる事。そんな様子が目に浮かんで くる。青森産、長野産、産地も種類も違うリンゴたち。でも食べる経験はも うすぐだと思えるようにまで回復したと思っている。そしてこれから一歩ず つ歩けるのだと思いたい。 障がい者週間のポスター 目次 最優秀賞小学生部門 (大阪府)「みんなにこにこ」 岸和田市立光明小学校 1年 柏 奈歩(かしわ なほ) (大阪市)「みんな同じ人間さ」 大阪市立長居小学校 3年 久保 茅咲穂(くぼ ちさほ) 最優秀賞中学生部門 (大阪府)「支えアイ」 羽衣学園中学校 2年 井田 結菜(いだ ゆいな) (大阪市)「愛にあふれた社会へ」 羽衣学園中学校 2年 岸本 美海(きしもと みう) 優秀賞小学生部門 (大阪市)「あたらしいマラソン大会」 大阪府立中央聴覚支援学校 6年 野村 ひかり(のむら ひかり) (堺市)「伝わることって嬉しいこと」 賢明学院小学校 5年 森 葵生(もり あおい) 優秀賞中学生部門 (大阪府)「どんな人でも関係ない」 羽衣学園中学校 2年 三宅 玲奈(みやけ れいな) (大阪市)「世界で障がいの差別がないように」 大阪教育大学附属平野中学校 3年 木村 友千華(きむら ゆちか)