『日本書紀(にほんしょき)』や『続日本紀(しょくにほんぎ)』に記された難波宮の所在地は、昭和29年(1954)から開始された、山根徳太郎を中心とする発掘調査により、現在の史跡指定地にあることが明らかにされました。
その後の調査により、2時期の宮殿遺構があることがわかり、それを前期難波宮、後期難波宮と呼び分けています。前期難波宮の遺構には火災痕跡があり、朱鳥(しゅちょう)元年(686)に焼失した天武天皇の難波宮にあたり、その創建は「大化改新(たいかのかいしん)」ののち、孝徳天皇により造営された難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)と考えられています。一方、後期難波宮は聖武天皇によって再建された難波宮です。
史跡公園内には復元された後期難波宮の大極殿基壇(だいごくでんきだん)や前期難波宮の八角形建物などが立体的に遺構表示されています。また、大阪歴史博物館の地下には前期難波宮の倉庫群の遺構が保存され、一般公開されています。
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教育庁 文化財保護課 文化財企画グループ
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